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城跡

作延城跡

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自宅からランニングで作延城址にいきました。
JR南武線津田山駅から10分程度ですが、大型霊園である緑ヶ丘霊園の中ですので、わかりやすいです。駅を出ると坂を上ります。
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霊園の入り口までは5分程度です
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霊園に入ると管理施設を右に見ながら登っていきます。

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園内の地図です。区画は6区のようです。
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わかりやすく案内版もあります。
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登り切ったあたりが6区です。写真をとり忘れましたがビューがいいです。
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ここから北側にいくつかの城跡がありますがビューはここで一番です。桜もいいと聞きました。

伏見城(指月城)跡の発掘調査 現地説明会

伏見城跡発掘調査の現地説明会に行ってきました。

                                               現地説明会資料より

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太閤秀吉は隠居城として伏見に居城し亡くなるまで本拠とします。

伏見から南側の向島方面を眺めると平地がひろがります。この地は昭和以降の埋立地で、伏見城があった16世紀頃は巨椋池がひろがっていました。都人は伏見の高台に別荘をおき舟遊びにこうじていたのでしょう。

今回の発掘調査は太閤の初めの城跡です。巨椋池のそばの高台にあるこの城は夕に朝に美しい景色を見せてくれたでしょう。

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えらい人で約1時間待ち
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ネタが薄いなぁ
                                                        木村嘉伸

京都市山科区の史跡 山科本願寺跡Ⅱ

推定された山科本願寺跡の外周をまわりました。既に中心的な遺跡は訪問しています。残りを紹介します。
     (前回の記事:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-9a61.html)

山科本願寺は中世城郭のはしりのような縄張りを有していました。平地に土塁と堀をめぐらしただけですから防御力はたいしたことはないと思います。

前回は北部に残る土塁や蓮如の隠居地の南殿址を紹介しました。今回は残る土塁と遺跡を紹介します。

○山科本願寺の縄張り推定復元図

4箇所をまわります。まずは寺内町跡の解説板から。

 

●山科寺内町跡解説板
古い解説板です。本願寺跡のほぼ中心にあって城でいえば本丸と二の丸の間でしょうか。文章では山科団地の建設にともなう発掘調査で遺跡が発見された顛末が紹介されていました。

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●ここから西側に残る土塁に至ります。写真は南側に伸びる国道1号線からのものです。

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土塁の西側には蓮如が亡くなった寺院がありました。

●蓮如上人往生之地(西宗寺)

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●国道一号線沿いに石柱がありますが工事用の防御柵に隠されていました。ひどいものです。

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国道一号線を西に少し進み、山科西野交差点を南下する土塁の南西角の解説板があります。この解説板が一番新しいものかもしれません。

●山科本願寺土塁跡南西角

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土塁は高さ5~6m、基底部約15mとかなり大規模な部分もあったようです。

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住宅がかなり建っていますから今後の発掘は難しいかもしれません。貴重な遺跡ですから大事にしてほしいものです。今回はこれだけです。
                                                     

きむらよしのぶ

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京都市の史跡 太閤秀吉の古跡 聚楽第址 2 現地見学会に行きました

     聚楽第址から石垣が発見されました。これは非常に珍しいことです。聚楽第は秀吉によって徹底的に取り壊
     された為遺構はほどんど残っていません。また、その後住宅地になり遺跡の発掘も難しく稀なケースです。

     ということで大喜びで足を運びました。

     ちなみに前回の記事ですhttp://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/no1-9261.html

     ●聚楽第推定復元図と今回の遺跡
     市内関係遺跡図で聚楽第の位置を確認して、その規模を眺めてみましょう。かなり広大な規模であったことが
     わかります。

     聚楽第跡推定図では今回の発掘調査地が確認できます。聚楽第の縄張りは不明な点が多いのですが今回
     発掘されたのは大手門の西側に続く石垣だったことがわかります。
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     ○現地説明会資料
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     ○現地見学会
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     聚楽第屏風にみる今回の調査地
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     発見されたのは石垣の基底部になるようです。高さは失われている為不明です。奥が大手門に続きます。Cimg0220_2
     見学は50名程度をグループにして進行していました。かなりの動員でびっくりしました。休日やし中心部やし
     当然かもしれませんが。

                                                  きむらよしのぶ











静岡県韮山町の史跡 韮山城跡 北条早雲の関東進出

○5ヵ年に渡る伊豆平定戦

駿府興国寺城から堀越御所を襲撃し伊豆に入った伊勢新九郎(のちの北条早雲)は韮山城を本拠とします。
北条早雲は謎の多い人物です。この時代は記録が極端に少なく、都からは離れるに従って難しくなります。
早雲の一番の謎は“年齢”です。大器晩成の代表と認識されていましたが、さすがに80歳を超えて戦場に身をおくことは難しいでしょう。出自は備前伊勢氏に落ち着きつつありますが、生年も新たに材料が出てほしいものです。

伊豆平定ですが、30日程度で終わったというのが私の若い頃の理解でしたが近年では足利茶々丸と地元有力豪族の頑強な抵抗に5か年を費やしていることがわかってきました。これだと「箱根の坂」を駆け下り小田原に攻め込んだのは伊豆平定の途中ということになります。面白いですね。この方が戦国の幕を早雲があけたと受け止めやすい。伊豆は山が多く、海岸沿いのわずかな平地を都市化しています。これは当時もかわりませんから、平定戦も大変な手間が掛かったはずです。

○大津波がもたらした早雲の躍動

今回伊豆平定を調べている際に考古学者で教育委員会や大学講師をなさっている金子浩之氏の論文に出会いました。早雲が伊豆・小田原に攻め込んだ時期は数回に渡り相模湾の海底地震により大津波が発生していて西伊豆の宇佐美氏・伊東氏は津波でかなりの被害を受けたようです。小田原も同様でした。これであれば早雲がわずかの期間で伊豆を平定し、小田原を攻め落としたことが説明できると思いました。

早雲は没するまで小田原には入らず韮山城を本拠にしていました。伊豆が落ち着いていなかったのが一番の理由だったのかもしれません。

○韮山城

韮山城の正式な築城時期は不明です。早雲を初め後北条氏の重要拠点でしたが豊臣秀吉の小田原侵攻戦では約百日も持ちこたえたがついに落城します。最後は徳川の世になると直轄地になり廃城となりました。
現在残る縄張りは徳川時代のものです。城のある丘陵は大きなものではないので恐らく同様の使い方をしていたと思います。興国寺城を見た後なので同様の中世の城郭のにおいがたっぷりします。石垣がない東日本の城だからかもしれません。

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●史跡 韮山城跡

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蛭ヶ小島あたりから本丸を眺める
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蛭ヶ小島から韮山中学校の南側の道を右折して城跡の沼に出ます。
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途中曲輪の間の堀がみえます。
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城沼の周囲を回って虎口に至ります。解説版です。
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グーグルで比較mapを作りました。古図は18世紀のものです。
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熊野神社  この前を通り二の丸に向かいます
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雰囲気たっぷりです。古城跡の神社は独特の悲しさがあります。
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二の丸?
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空堀? 
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本丸から蛭ヶ小島(手前の鉄塔のあたり)や守山(やや左の小山)を眺める
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山は富士です。
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本丸跡
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解説版
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解説版2
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塩蔵に向かう尾根
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ちなみに 郷土史料館で頂戴した復元想像図です。これを見ると大手口は韮山高校側でしたね。
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韮山城が豊臣勢を迎え撃ったときには背景にある丘陵地に砦を築き連携した戦闘を行ったのでしょう。
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豊臣時代の武器や戦闘力でこの城だけで100日も防衛するするのは困難のはずです。小田原を囲んでいるので無理押しはしなかったのかもしれません。

■史跡 韮山城跡
所在地  静岡県伊豆の国市韮山韮山
アクセス 韮山駅から20分
                                                      きむらよしのぶ

静岡県韮山町の史跡 堀越御所跡 北条早雲の伊豆討入り

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                                    (興国寺城跡からみた伊豆の山々)


○二人の公方    

鎌倉を追われた鎌倉公方足利成氏は本拠を古河に移します。(茨城県の史跡古河公方館跡)
 
幕府は新たに足利政知を公方として関東に送りますが成氏の勢力は強く、箱根の坂を越えることが出来ず伊豆堀越に落ち着きます。これが堀越公方です。二人の公方の争いは続きますが、幕府も応仁の乱で関東に手が出せません。ついに幕府と成氏は和睦します。実に25年が経過していました。

和睦により成氏が再び関東の主となりました。堀越公方は和睦の条件として伊豆を譲られますが事実上一地方領主となってしまいます。撤収すればよいのですが25年もの戦いはしがらみも出来て簡単には京に戻れなかったのでしょう。 

○堀越公方の追放

足利政知は病没し後継争いが起こります。政知の子茶々丸が兄弟、母を殺し二代目に就任します。足利家はこうした争いごとばかりです。茶々丸は幼名です。元服前だったはずなので幕府からは公式に二代とは見られていなかったのかもしれません。

茶々丸が親殺しの結果伊豆の主となって二年後、駿河興国寺城の伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆を襲撃し茶々丸を追放しました。これで堀越御所は滅亡します。

早雲が伊豆に乗り出したのは幕府との連携で、混乱の収拾が目的だったとの説が主流となっています。
茶々丸ですが、司馬遼太郎の『箱根の坂』では襲撃とともに逃げ出した設定でしたがしばらくは伊豆にいて、追放されたのは数年後というのが事実のようです。伊豆の回復を望み上杉などの勢力を頼っていましたが結局は早雲につかまり自害をします。
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●伝堀越御所

韮山に守山という古城があり北条氏のふるさとです。堀越御所は山麓にあった北条氏の館跡にあったようです。司馬遼太郎の『箱根の坂』で見たのが私の初見でした。

・伝堀越御所跡 公園整備の為に解説板のみでした
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実際の規模ははっきりしませんがかなり広大な領域のようです。しかし、堀越御所だと確実視する発掘結果は難しいでしょうから、「伝」はとれないでしょうね。

・周辺地図  解説版があるところは韮山駅から徒歩20分ほど。その跡守山の山麓を一周するのがいい。中世の匂いがたっぷりします。
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解説版たち1
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解説版2
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解説版3
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この解説版の通り向かいには北条政子の産湯の井戸があります。井戸は一般家庭の庭先にありますから気遣いが必要です。
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少し北側には頼朝が政子と新婚時代を送った屋敷跡の伝承地が成福寺になっています。堀越御所もこの地下に眠っているようです。
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       (2012年8月25日撮影:訪問)

■堀越御所跡
 所在地  静岡県伊豆の国市四日市
 アクセス JR韮山駅より徒歩20分
                                                    きむらよしのぶ

茨城県の史跡 古河公方館跡

今日は朝から北関東で仕事です。移動時間を利用して古河市に立ち寄りました。古河市は坂東平野の真ん中にあります。水運がよいのも特徴で渡良瀬川、利根川を利用すれば関東各地への展開が可能でした。関東のヘソといった場所ですね。このブログで初めての茨城県の史跡です。今日古河駅に着くまで栃木県だと思っていました。歴史的にも茨城県、栃木県、群馬県に関係しています。現在の市外局番は栃木県扱いで茨城県内
    の他地域は県間の通話扱いになっています。おもしろいですね。

・古河駅前の案内図Cimg0837

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○古河公方の成立と滅亡
   
関西育ちの人間には室町時代の関東の勢力図は、理解するのが難しい。わかりにくくしているのが「公方」という存在です。歴史上は鎌倉時代から使われたようですが、定義は時代によって変わります。足利尊氏は政権を京都と鎌倉のどちらにおくかを大変迷ったようです。結局、京都で幕府を開くのですが、勢力の基盤である関東を別の組織で統治することを決めます。鎌倉府の成立です。尊氏の次男基氏を関東公方として鎌倉に送り、甲斐以東(のちに東北も追加する)を統治させます。私はこの尊氏の決断がいまだに理解できません。先々問題が起こることは目に見えていると思うのですが。関東公方は地域統治の全てを行いますから、日本を分割するようなものです。かならず、組織ストレスが起こります。


関東公方は基氏の子孫たちが継承していきますが、次第に京の幕府と対立するようになり、鎌倉公方四代持氏は幕府と決裂し兵を起こします。鎌倉公方を補佐する関東管領上杉憲実は幕府側につき持氏と対立し持氏は自害し鎌倉府は滅びます。

○鎌倉府の再興と古河公方の成立

その後、この時の勢力争いは関東を混乱に招きます。幕府は持氏旧臣の鎌倉府の再興の願いを受けて鎌倉府を再興する。持氏の遺児成氏を五代鎌倉公方としました。しかし、これでも関東の諸豪族と関東管領などの緊張関係が続き、成氏はついに関東管領上杉憲忠を謀殺しあたらな乱が勃発します。戦乱が続きますが、成氏が鎌倉を離れている間に今川家が鎌倉を襲い、成氏は古河に本拠を移します。


このように古河公方はあたらに発生したものではなく、鎌倉府が流浪を始めた第一番目の“移動政府”と理解するのが妥当です。

室町時代の後半は戦国時代となりますが、関東の戦国の扉を開けたのは北条成氏でした。

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    ○古河公方館跡
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足利成氏が古河に本拠を置いた時の館跡です。2年後に古河城を築き移ります。それ以降の館跡の状態はわからないことが多いのですが、豊臣秀吉の時代に当時の公方がこの館に移されたようですので、なんらかの形で拠点はあったのでしょう。

ちなみに古河の町は渡良瀬川の流れが大きく変わった為、江戸時代の城下町も残っていません。従って公方館も残っていません。

・公園に入ると公方広場なるアプローチがありました 
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右に続く通路を歩くと
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館跡へのアプローチです。民家が再現保存されていました。撮り忘れました
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突き当たりに石柱がありました。この石柱のたたずまいは好きですね
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解説版です
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もう一つの石柱です
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石柱の後ろには土塁と空堀がありました
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周囲には沼地が広がります。周囲を沼地に守られた小高い岡が本丸に擬される部分です。
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光が緑を細かく照らしています。そろそろ秋ですね。
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縄張りを想像させる地形はたくさん残っていますから、足を運ぶ値打ちはあります。この後の古河城は渡良瀬川の土手や河川敷になっています。
   
・中世の古河城本丸跡
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念願の古河を訪問。成氏が古河に御所を移動させた為、幕府はあたらに公方を関東に送りますが、関東に入ることも出来ず、伊豆の韮山(北条)にとどまり堀越公方となります。私の旅もやっと韮山の公方に至りました。

堀越公方を襲撃し、これを追ったのは伊勢新九郎、北条早雲です。これはのちほど。

 ■古河公方館跡
   所在地    茨城県古河市鴻巣 古河総合公園内
   アクセス JR古河駅よりタクシーで10分
                                                         きむらよしのぶ

東京都の史跡 品川第三台場

    お台場が出来、公園化されてある意味もっとも有名な湾岸遺跡です。私は先月、韮山を訪問し、この台場を
    設計した江川太郎左衛門英龍の育った地を訪問してきました。まだまだ英龍の事跡には疎く語れる資格が
    ありませんが、今日久しぶりに訪れて違う目で眺めてきました。
    ○レインボーブリッジからの史跡記念碑

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    ○レインボーブリッジから第三台場
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    ○未公開の第六台場

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    嘉永6年(1853年6月) ペリー艦隊が浦賀に来航する。時代が変わった瞬間です。 江川太郎左衛門は品川台場(今のお台場)建設を提案します。

    江戸防衛のための江川太郎左衛門英龍は観音岬などにも砲台をすえる広大な計画でしたが幕府に受け入
    れません。台場の築造は8月より始まり1854年7月に完成します。完成したのは5基の台場です。残りを作る
    前に日米和親条約が結ばれて必要がなくなりました。江戸は開港することがありませんでしたから、防衛拠
    点としてはずくに歴史の遺物となってしまいました。
    ○台場公園内にある解説版

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    ○台場内の遺構
    遺跡は多くはありません。そもそも複雑な構造ではないはずです。

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    ○入口

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    ○北側の土塁上をいく。何門の砲をおいていたのでしょうか?調べたのですがわからない。

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    ○西側の土塁

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    ○南角から眺める。

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    ○南側より。手前はかまど跡。真ん中は陣屋跡。

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    ○南側土塁上の砲台跡。幕末ではなく後世のものです。

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    ○弾薬庫跡
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    ■第三台場
    所在地 東京都港区台場1丁目10番
    アクセス ゆりかもめ「お台場海浜公園駅」下車、徒歩15分
                                                    きむらよしのぶ

神奈川県川崎市の史跡 小沢城跡と枡形城跡

○小沢城 枡形城 周辺地図

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私は川崎市の鷺沼に住まいしています。仕事でよく調布に向かいますが、その間に2つの中世の城跡があります。小沢城と枡形城です。両城とも多摩川に近い丘陵地に存在し、その歴史は長い。

城主は小沢郷を領した稲毛三郎重成。妻は頼朝の御台所政子の妹で、頼朝の重臣として活躍します。
幕府が出来てしばらくすると重成は入道となり、自分は隣の枡形城に移り小沢城は長男の小沢小太郎重政に譲ります。その後の歴史ははっきりしません。

両城は交通の要衝にある為、たびたび合戦の舞台となりました。明確なのは次の3つの戦いです。

1333年新田義貞と鎌倉防衛軍の分倍河原の戦いです。分倍河原の戦いに勝利した義貞軍は小沢城を占領し鎌倉攻略に向かいます。

1504年北条早雲が山内上杉顕定を打ち破った戦い。相模を征服した早雲はこの戦の勝利以降関東制覇に乗り出していきます。

1530年北条氏康が扇谷上杉朝興を初陣に破った一戦。

それぞれ合戦の実態ははっきりしませんが、要衝にある両城が時代を眺め続けてきたのは間違いないようです。残念ながら、ともに残る遺構は多くはありません。

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○小沢城跡アクセスマップ 京王稲田堤から25分程度です
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小沢城がある丘陵は駅から見えています。丘陵沿いの道をいきます。
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ここが城跡に上る道です

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整備された道を5分程度上ると尾根にこの看板が。左右に城跡が広がります。まずは右のルートへ

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すぐ空堀跡が出てきます

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物見台跡

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城の最高位、浅間山

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本丸跡のようです
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縄張りです

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戻ってさきほどの尾根に先に進むと解説版があります

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石柱です。この碑はおしゃれですね。珍しい

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このあたりは馬場跡といわれています

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解説版

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決して広くはありませんが、丘陵の尾根をうまく使った中世の砦といったところでしょう。夏の訪問でしたのでビューが悪くて残念です。
    (2012年8月22日撮影:訪問)
 
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○枡形城跡のアクセスマップ

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枡形城は生田緑地内に公園として整備されています。残念ですが歴史的遺構は残っていません。


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○山頂広場には矢倉があります。

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○枡形山山頂の石碑

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○矢倉からのビューは抜群です
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○調布、深大寺城方面を眺める。真ん中の森は武蔵野崖線(ハケ)です。当時は深大寺城が見えたかも?

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立地は素晴らしい。当時は攻めがたい城だったのでしょう。
    (2012年5月12日撮影:訪問)

■小沢城跡
 所在地 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目
 アクセス 京王稲田堤より徒歩25分、京王よみうりランドより15分

■枡形城跡
 所在地 神奈川県川崎市多摩区枡形6-4740ほか(生田緑地内)
 アクセス 小田急線「向ヶ丘遊園駅」南口下車、徒歩15分

静岡県沼津市の史跡 興国寺城跡 北条早雲の居城 

○北条早雲と興国寺城    

室町時代後期から江戸時代初期まで存在した興国寺城は駿河国東部の重要拠点でした。

成立の時期や築城者は不明ですが、城主で最も有名なのは伊勢新九郎盛時、のちの早雲庵宗瑞、通称北条早雲です(以降早雲)。早雲の出自は近年見直されています。徒手空拳で戦国を切り開き関東に勢力をはった梟雄と言われてきましたが、どうやら室町幕府の官僚で中央政庁との指示の元で、関東の安定に尽力した武将であったというのが定説となってきました。

興国寺城は駿河に赴き家督を含めた今川家の政権安定に寄与した褒美に早雲に与えられた城です。
 
興国寺城からは伊豆の山々がはっきりと見えます。以前の早雲、素浪人説ではこの景色を眺めながら、
伊豆進出の方法を練ったというところでしょうが、実態は異なるようです。

○早雲の伊豆侵攻

関東は幕府の初期の頃より鎌倉公方(通称)が統治をしていましたが、代を重ねるほどに京の将軍家と対立するようになってきます。永享の乱、享徳の乱を通じて幕府と鎌倉公方の争いを続き、一度鎌倉公方は断絶します。この時代、複雑です。新たに足利成氏が鎌倉公方となりますが、また幕府と揉め、鎌倉を追われ古河に逃れここで古河公方と名乗ります。またややこしいのですが、成氏を鎌倉から追い払った為に京からは次の公方を関東に差し向けるのですが、戦乱で鎌倉に入れず伊豆に滞在し堀河公方を名乗ります。

早雲が興国寺城に入ったのはこの時期で、関東には二人の公方が存在し争っていました。早雲が伊豆に乗り出したのは幕府との連携で、この事態の整理の為だったとの説が主流となっています。
ちなみに早雲が伊豆に占領した時点で興国寺城は今川家の所有に戻ります。このことを見ても早雲の単独行動ではなかったはずです。

○早雲以降の興国寺城

これ以降甲斐の武田、駿河の今川、相模の北条の攻防の地となり領主は何度も変わります。

最後は徳川時代初期。関ヶ原の戦い後天野康景が、1万石で入封するも部下を庇って城から出奔します。
そのため興国寺藩は改易となり慶長12年(1607年)3月に廃城となります。

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●興国寺城の立地
駿河の東部にあり愛鷹山が海に迫っていて甲州・関東からの兵を防ぐには絶好の立地です。
この城のことは司馬遼太郎の『箱根の坂』で初めて知りました。念願の訪問で感激していました。
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(1)原駅から今回もランニング。興国寺城通りに入る。駅から徒歩で30分ほど。

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(2)この通りの突き当たりが城跡です。見えているあたりは三ノ丸跡。

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(3)縄張り
北曲輪を新幹線が通っていますが、縄張りははっきりと残っています。中世城郭としては秀逸です。
規模は小さいが、舌状の丘陵地と周囲の堀をうまく配置した城です。

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(4)車で入れます。左右は三ノ丸跡です。

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(5)段差が二の丸と三ノ丸の境

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(6)本丸と正面は天守台 土塁の高さは秀逸です

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(7)本丸跡には穂見神社

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(8)北条早雲碑

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(9)解説版

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(10)最後の城主天野三郎兵衛康景碑

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(11)部下を庇って城から逐電し、世を捨ててしまいました。素晴らしい人物でした。

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(12)天主から続く土塁 この先に西櫓台があります。

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(13)天守台跡 天主はなかったのでしょうけど。

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(14)大空堀 かなりの規模です。中世の城郭では珍しい。

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(15)西櫓台から  空の先に見える山々は西伊豆。早雲が攻め込んだ韮山はあの山の向こうです。

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(16)天守台北側の大空堀

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関西では北条早雲の事跡に接することがありません。今回念願がかないました。また、興国寺城は名将早雲の居城として十分な特殊性を持っています。北条氏はその後独特の築城術で歴史的な城を残しますが、どうも早雲が果たした役割が大きいと思いました。
    (2012年8月25日撮影:訪問)

■興国寺城跡
 所在地  静岡県沼津市根古屋
 アクセス JR原駅より徒歩30分
                                                         きむらよしのぶ

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