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東海道五十三次

東海道八番目の宿場 大磯宿

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平塚宿を出るとすぐ大磯宿につきます。その距離3km。川を境に宿場が並んでいます。平塚・大磯は古代から相模国の中心で国府がおかれたようです。平塚の相模国府跡は発掘により確かめられています。その後大磯の丘陵に一時国府が移動したとの推定もされています。

茅ヶ崎・平塚は土地が低く縄文時代には海岸線がかなり現在の陸地に入りこんでいました。この地に国府推定地があるのはそうした立地によると思います。

小さな宿場です。まずは大磯駅に向かいます。こちらの駅は初めて。走ってますけどね。
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駅前には有名なエリザベスサンダースホームがあります。沢田美喜の努力には頭が下がります。
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残念ながら残っているものが少なく、説明版がほとんどでした。
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小島本陣跡
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汗だくなので立ち寄りは遠慮しました。
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上方見附の説明版
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ちょっと愛想がない記事になってしまいました。
(撮影日 2013年7月20日)                                                               きむらよしのぶ

旧東海道五十三次を走る (8)平塚宿から大磯宿 27町 2.9km

平塚宿から大磯に向う。この区間は東海道で三番目に短いらしい。確かに花水川を渡れば大磯宿でした。
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花水川を渡ればもう大磯です。高麗山を間近に。
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少しだけ寄り道を。高来神社に。
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・旧街道 化粧坂に入ります。松並木が重厚です。
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化粧井戸
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化粧坂の一里塚
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古墳にも向かいたいが、時間もないので
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東海道線があるので、地下道になっていました。
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トンネルを抜けるとまたまた重厚な松並木が続きます。
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すぐ大磯宿の江戸見附跡が。
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■平塚宿→大磯宿 2.9km

東海道七番目の宿場 平塚宿

今年に入って初めての五十三次RUNです。平塚宿は現在の平塚駅前の繁華街をやや大磯側に寄ったあたりで隣の大磯宿とは花水川を挟んで対岸に展開しています。
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平塚宿地図
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平塚宿は東海道の設置とともに設立された宿場です。宿場規模は小さく次の大磯宿との距離も短い。宿泊よりは休憩を目的とした宿場であったようです。

宿場という制度は、税金や労務を免除する代わりに近隣の村落に宿場業務を委託して成立しています。公的施設ではあるものの国家(幕府)や自治体(藩)の直接経営ではありません。

宿場の業務で利益を上げることは難しく、公務にあたる人間は大変苦労をしました。これは平塚宿はこれに耐え兼ねて幕府に意義を申し立て「平塚新宿」ができました。現在の平塚駅の北側で市役所がある一帯です。時代が変わっても政治と経済は似たようなところがあります。

江戸見附を出発します。すぐ脇本陣跡があり宿場の中心施設の案内板が登場します。

・脇本陣跡
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・高札場跡
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・本陣跡
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・問屋場跡
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・平塚の碑 平塚の由来となった墓(?)
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遺跡や現存建物が少ないので、古を想起させる数少ないものです。この石柱の佇まいはなかなかよいですね。

碑の緑地を出ると宿場外れの京方見附です。

・京方見附
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京方見附は推定地です。先を見ると高麗山が見えます。
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(2013年7月20日撮影)
                                               きむらよしのぶ

旧東海道五十三次を走る (7)藤沢宿から平塚宿 3.5里 13.7km

(7)戸塚宿を出発、藤沢宿を経由し、平塚駅で終了   2012年9月15日 

戸塚から藤沢宿をくるっとまわっていよいよ平塚にスタートします。正月の箱根駅伝は藤沢宿の遊行寺から藤沢橋を渡り、辻堂海岸に向かいます。旧東海道はこのまま内陸を走ります。どうせなら海岸線を楽しみたいのですがまた別の機会に。藤沢宿から平塚宿は13.7kmとやや距離があります。ほとんどを現在の国道一号線を走ります。正直単調なコースですが途中楽しみにしていた史跡があります。

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走り始めてメルシャンの建物の前におしゃれ地蔵が登場します。    
   

・おしゃれ地蔵
白粉が塗られた地蔵さんです。どなたがお化粧しているのでしょうか

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宿場の間には休憩所として「立場」がありました。藤沢ー平塚には4つの立場がありその一つが四谷立場です。

・四谷不動 四谷辻

この辻は大山道との交差点で道標がおかれています。実は対岸なので写真だけです。

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この間も開発のが進み、古い建物は少ないですが街道走りの楽しみの一つなので全工程でとったものをあげておきます

・街道の古い屋敷

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松並木が美しいですね。自治体の努力は大変だと思いますが整備に努めてもらいたいですね。
この辺りはフラットないしやや下りなので走りやすく気持ちがよい。信号が多いのは玉に瑕ですが。
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・二ッ谷稲荷
こちらも大山詣での立場だったようで、茶店が二軒並んでいたことか由来とのことです。こういう由来は事実のことが多い。民間伝承は偉大です。
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茅ヶ崎市に入りました。松並木がきれいでしょう。
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松並木が続く中、次の立場につきました。立場がある場所は平地で風の通る場所が多い。

・牡丹餅立場
四谷に続いて二つ目の立場が牡丹餅です。
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牡丹餅から少し進むと重厚な松並木が登場します。北側は茅ヶ崎高校です。   

・東海道の松並木 路線橋の上から平塚方面を
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走ってきた藤沢方面を  この絵柄いいですね
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茅ヶ崎駅までもう少しです。ジャスコが見えます。以前車で通った時はなかったように思いますが、相当昔のことだったのかな?ジャスコを過ぎると南側の角に一里塚跡がありました。道の両側に史跡や名所があるので信号を渡るのが大変です。私、信号は守るので。

・茅ヶ崎一里塚跡 14番目の一里塚です。一里とはほぼ4km。当時の旅人は目安にしながら旅をしていましたが、私も楽しみになってきました。

茅ヶ崎駅前の繁華が見えてきます。たまに呑みにくる場所です。いつもぐでんぐてんで帰ります。
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茅ヶ崎駅周辺を離れてすぐ、急速に雲が広がり激しい雨が降り出しました。雷が怖いので少し休憩です。
30分ほどで晴れ間が広がりました。最近多いですね急激な天気の変化が。
    

南湖入口 三つ目の立場があったあたり? 
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車にもまれるような感覚で一号線沿いを走ります。トラックも多くあまりよい気分ではありません。鳥井戸橋のたもとに左富士之碑がありました。富士は見えませんでしたが、確かに富士は右側に見えますが、ここともう一箇所では道の角度が変わるので左に見えるそうです。東名高速でもこんなことありますよね。


南湖の左富士之碑

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この橋の北に伸びる参道は鶴嶺八幡宮です。例大祭でした。

今回のお楽しみは旧相模川橋脚という遺跡です。今年の大河ドラマは平清盛です。この橋の開通式に招かれた源頼朝は落馬事故を起こし、それが元になって没したとの伝承があります。その橋の橋脚が関東大震災によって地上に現れました。

・史跡旧相模川橋脚
別にアップしますが感激です。 背景の池が橋脚の保存の池です。

  

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橋脚を過ぎると相模川まではあとちょっとです。

・相模川馬入橋上の写真
左上は北向きに撮影 右上は海岸を向いて撮影 
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渡りきったところから振り向いて一枚です。Cimg1296
相模川の手前で、平塚市に入りました。橋を渡って一号線は右にカーブしていきますが、旧東海道は直進。すぐ一里塚が出てきました。

   
・馬入一里塚跡 15番目です

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平塚駅を左に見て進みます。当時の平塚はもっと西よりだったのでしょうね

・平塚宿江戸見附跡
到着です。
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次回は小田原に行きます。

         ■日本橋 → 平塚宿 16里(62.8km)

東海道 六番目の宿場 藤沢宿 遊行寺門前の宿場

9月15日藤沢宿に入りました。戸塚宿を出て、原宿の平坦な道をしばらく走ると遊行寺坂の下りに入る。この先に藤沢宿の江戸方見附跡が登場します。見附跡の碑があるのは遊行寺の入口近くです。現在の藤沢市は、北側は相模野台地で南側は海岸平野が広がっています。印象では江ノ島と海岸線ですが、実態は相模野台地がおりなす低丘陵地帯が大半です。相模野台地を下ったあたりにあるのが藤沢宿なのです。
    
●藤沢宿は観光でも賑わいました  遊行寺の門前町

宿場の成り立ちは様々です。藤沢宿は時宗の総本山遊行寺の門前町として栄えていましたが宿場がおかれてさらに発展したようです。東海道だけでなく、大山詣から江ノ島、鎌倉、金沢八景に繋がる観光ルートでも賑わいました。おそらく現在より観光の影響は大きかったのではないでしょうかね。町の発展で残る遺跡はほとんどありません.

藤沢宿地図

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(1)遊行寺
    
鎌倉五平氏の流れをくむ俣野景平が開基しました。俣野氏は治承・寿永の乱で平氏につき戦います。その後の俣野氏の資料はほとんどありません。

時宗の総本山だけに造りも大きく、国宝を含んだ多数の宝物があります。一遍上人絵伝は是非ゆっくり眺めたいものです。時間をかける値打ちがたっぷりありますが、今日は走りが目的なのでまた後日。
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(2)遊行寺橋と広小路
遊行寺の門前は三大広小路の一つといわれ大変賑わいました。当時の広小路辺りに説明版がありました。
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・古地図
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この解説を見ていると遊行寺の賑やかさが想像できます。

・遊行寺橋を渡ったところからの写真 正面の森が遊行寺
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橋を渡ると右折しますが、その角に看板がありました。
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(2)藤沢御殿跡  江戸幕府の将軍の別荘のようなもので近郊にいくつかありす。私は武蔵小杉と仲木戸を確認しています。もっともどこも残っていません。右折して藤沢公民館の前に観光マップがありました。Cimg1140_2

街道にもどるとすぐ本陣跡が出てきます。


(3)蒔田本陣跡
街道を走り出して本陣もぼちぼち調べています。本陣の経営はボランティアのようなものですが、経済的な負担はかなり大きかったようです。試算を見たいのですがどこかにないでしょうかね。     
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次に立ち寄ったのは源義経首洗井戸です。

(4)伝 義経首洗井戸
鎌倉に送られた義経の首。首実検のあと片瀬に捨てられる。その首が境川をさかのぼってこの辺りの里人が拾い上げて洗った井戸だと。こうした伝承はいつどんな手続きで出て行くものなのか?義経人気は江戸時代からだと思うのですが。それ以前の民間伝承があったのでしょうか?
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(5)古い建物いろいろ
数は多くはありません。但し表通りしか見ていないもので。

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(6)上方見附跡 

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今日はこのあと平塚宿に向かいます。この間は距離が長い。

                  (2012年9月15日撮影・訪問)

旧東海道五十三次を走る (6)戸塚宿から藤沢宿

(6)戸塚宿を出発 平塚駅で終了   2012年9月15日

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戸塚宿上方見附跡から「大坂」を上ります。江戸時代はもっと高い位置まで上っていたようです。今はなだらかな長い坂になっています。
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登り初めに地蔵さんたちが集まっていました。
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松並木が登場し始めます。
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今の景色 やや雲が多いのが残念
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坂を上ると「原宿」という大きな町名に入ります。坂之上の平らな土地で、間宿がおかれていました。
例えて言うなら高速のPAです。このあたりからはフラットで走りやすい。藤沢宿まではしばらく平地、最後に下ります。

・原宿一里塚跡  既に撤去されています。
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「俣野」は平安時代に関東に展開した平氏の武将の本拠でした。
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街道筋の古い屋敷が楽しみになってきました。街道にはまりだしたようです。
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鉄砲宿 こちらも間の宿
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お花畑好きですからほっとさせていくれます
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緑ヶ丘の旧東海道松並木跡
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松並木は今日の私にも木陰をくれました。
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遊行寺坂を下ります。
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すぐ先に一里塚の跡が登場します。標柱が上りで、解説版が下り。やめてほしいわ。道は渡れへんのに。
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さて江戸方見附につきました。遊行寺の車の入口に近いところでわかりにくい。
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少し暑さはましになりました。今日はこの後どこまでいけるかな?

■日本橋 → 藤沢宿 12里18町(49.1km)

東海道 五番目の宿場 戸塚宿 日本橋よりほぼ40kmです

戸塚宿は相模国に入って最初の宿場で、日本橋からの距離40Kmほどで昔の旅程では一泊目の宿です。
東海道が整備されたときにはなく川崎宿とともに1604年に出来ています。設置にあたっては次の藤沢宿がかなりの抵抗をしたようです。宿場間の距離が開きすぎるので当然のような思うのですが、文献を見ていないのでまたにします。

現在は宿場の中央にJR戸塚駅があり街道をを分断しています。駅前の再開発や有名な開かずの踏切解消でこれからもっと変化するでしょう。宿場としての戸塚は本陣が二つあり小田原に告ぐ旅籠数がある大きな規模でした。

戸塚宿地図

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(1)江戸方見附跡
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味わいのある建物がありました
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(2)戸塚一里塚跡
 少し進むと吉田一里塚の標柱が登場します。日本橋から十番目の一里塚ですから約40kmです。
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(3)吉田橋
 広重の五十三次には吉田橋がとりあげられています。今もある吉田橋の袂に浮世絵がありました。川の手前の道は鎌倉につながっています。
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私が好きタイプの銭湯がありました

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すぐ左折すると戸塚駅の西口に。私は直進し開かずの踏み切りを超えます。今日はすぐ開きました。但し半分進んだら警戒音がなりだしました。東口は駅ビルの完成で大きく変わりました。

(4)駅前すぐの場所に「内田本陣跡」があります。
  写真奥の建物が駅ビルです。少し進むと脇本陣の解説版が。
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(5)澤邊本陣跡
  澤邊家はこの場所にありました。
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公認されるのに当時の澤邊家当主は努力されたようです。本陣はボランティアですからえらいものです。
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(6)富塚八幡宮
 八幡宮らは戸塚の発祥伝説があるようです。古墳があるようですが確認できませんでした。
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(7)上方見附跡
 通りを挟んで左右に解説がありました。左車線のもの
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右車線のものです。

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残念ですが、戸塚宿も残っているものが少ないですね。

さてここからは大坂を登っていきます。

       (2012年9月15日・9月2日撮影・訪問)

旧東海道五十三次を走る (5)保土ヶ谷宿から戸塚宿

(5)保土ヶ谷宿を出発 戸塚宿で終了   2012年9月2日

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権太坂をひいひい言って登り保土ヶ谷宿の境木立場で一休み。境木地蔵尊前は風も通ってほっとする平地。
地蔵尊前から出発するとまずは坂を下ります。


・焼餅坂 
江戸時代、この坂のロードサイドには焼餅を売るお店があったようです。ここから一気に下ります。
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焼餅坂を下りまた坂を上ります。この辺りは上り下りが多い。しかし、丘の上の景色がよくて気持ちがいい。
丘を登り始めると両側に小さな森が登場します。一里塚の跡です。

・品濃一里塚
品濃一里塚は当時の状態のままで残っている数少ない塚です。一里塚は道の両側に塚を築きます。
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(南側から見た信濃一里塚。道が旧街道です。道幅も当時のままです)

片側だけ残っているものはありますが、品濃一里塚は両側が残っています。街道の道幅も当然当時のままですから立地や木陰で休憩するような雰囲気など味わい深い。一里塚は塚があるだけですから遺跡が出るようなものではありません。雰囲気を楽しみましょう。私はランニング途中なのでこのあたりで。
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向かって左側が東塚。塚に上るのは先に進んで左折して回り込んだら公園入口が。西塚は直接上れます。
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西塚の標柱
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東塚の入口 岡の向こう側が街道です
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西塚にある案内板
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さてゆるやかに坂を上り右折すると東戸塚駅です。
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今度は信濃坂 下り坂です。この間は尾根歩きのようで景色がよい。
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この先は階段と路線橋に変わっています。
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信濃坂下の説明版
Cimg0434_3_2路線橋から北側の東戸塚駅周辺を眺めます
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このあたりで半分が終了。ここから先は普通に街中を走っているような景色です。国道1号線を渡ります。
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説明版が充実しているのでルートを迷うことはありません。今回調べてきていないので助かりました。

不動坂の手前に天然記念物のモチノキがありました。見事でした。

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国道一号線沿いを走っていましたが、だけ併走する旧道に入ります。
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街道筋の旧家が登場します。ぼちぼち宿場です。
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旧道からこの川沿いを通って再び国道1号線に戻ります。
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国道1号線に戻り、あとはひたすら一号線。走りにくいのが難点です。
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ファミリーレストランの前に戸塚宿の江戸方見附跡を発見しました。全く愛想ないですが戸塚宿に到着です。
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戸塚宿はなんどか来ていますが、見附から眺めるのは初めてです。

    

■日本橋 → 戸塚宿 10里18町(41.2km)

東海道 四番目の宿場 保土ヶ谷宿

保土ヶ谷宿は相鉄天王町からJR保土ヶ谷駅を経て権太坂を登り相模と武蔵の境である境木までの間です。
現存する遺跡は少ないですが、国境の特徴的な宿場だと思いました。既に何度も走り・歩きをしていて、私としては好きな宿場です。権太坂がきついのが玉に瑕です。

○宿場の地図

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(1)江戸方見附跡
  江戸側の宿場入口跡。見附は公式な出入り口ですが、実態はこの外にも家があります。また宿場も成長をしたので、見附の位置づけがなくなってもいってようです。

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(2)旧帷子橋跡
  天王町駅前に橋が再現されています。帷子川の江戸時代の流れはこの橋の下を流れていたようです。
    
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この橋を渡って保土ヶ谷駅前の商店街を走り抜けます。
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(3)街道をおもわせる町並みになさっています。この先で昔の商店街に入ります。
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(4)ここに品川台場のネタがありました。幕末時期に今井川を改修した際に発生した土砂を品川台場を作る土砂として献上したとありました。情報はつながるものです。びっくり。
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(5)宿場の役所跡 助郷会所跡と高札場跡
  助郷とは宿場の仕事を周囲の村の民に割り振るのですが、これを助郷といいます。この役所は助郷の責任者があつまる役所です。
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(6)問屋場
  問屋場と本陣が宿場の役所の中心です。
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商店街を進むと、JRの踏み切りを超えて、街道が右折していきます。その曲がり角に本陣跡があります。

(7)本陣跡
  建物はありませんが、門が残っています。ちなみに本陣の家主さんも同地にお住まいになっています。
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(9)脇本陣跡
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当時は3軒の脇本陣がありました。
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(10)旅籠 本金子屋跡
   江戸時代の旅籠跡を手を入れて保存されていました。まだ入ったことかありません。

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(11)一里塚跡・上方見附跡
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旧街道は国道から離れて右側に入っていきます。

(12)元町
  その先が元町です。保土ヶ谷宿の初めはここから起こったようです。逆に現在の位置に移った理由もわかりません。
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元町を左折するとすぐ権太坂が登場します。箱根駅伝でも名前が売れましたが、駅伝で走るコースは新道でこの道がほんものです。

(13)権太坂
  この角度、わかりますかね?えぇ!という感じで登場します。登りきるまで500mほどです。
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横横道をまたぐ橋を超えて光陵高校の手前に解説版が登場します。おかげで休憩でたりして。
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このあとしばらく、丘陵の尾根のような場所を通ります。建物がなければ素晴らしい見晴らしだと思います。
あまりにしんどくて、写真をとるのを忘れました。

狭い、尾根道を抜けると境木の広場のような場所が登場します。

(14)境木立場跡
  宿場の間で人足や馬が休憩する施設が立場です。景色もよく、風が通って旅人にとっても心休まる場所だったに違いありません。
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     境木地蔵Cimg0402  「境」は武蔵国と相模国の境ということでした。
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この空間、昔の街道筋を想像させてくれます。私も一息入れて、戸塚宿に向かいます。
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       (2012年9月2日・2011年7月24日撮影・訪問)

旧東海道五十三次を走る (4)神奈川宿から保土ヶ谷宿

    (4)神奈川宿を出発 保土ヶ谷駅で終了   2011年7月24日、2012年9月2日

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    この工程は旧街道でなくても面白い。スタートは神奈川宿の京側見附上台橋から。横浜駅から徒歩だと15分
    ほど。ここから浅間下までの横浜駅側は海に面した風光明媚な崖上の街道でした。
    
    上台橋から少し走ると環状1号に合流します。

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    足元にはこんな標識が。
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    浅間下の交差点に到着。歩道橋を渡ります。歩道橋から軽井沢方面を
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    歩道橋からみなとみらい方面を

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    歩道橋手前には解説版が
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    神奈川区から西区に変わるとプレゼンが変わるので観察してから再出発
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    歩道橋を渡る公園があり、公園の北側の細い道が旧東海道です。私は多少の違いは気にしないので。
    ここから先は旧街道のにおいがしてきます。
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     神社は飛ばしました。こんな家屋が登場しだしました。
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    芝生追分
    追分とは街道の分基点のことです。東海道と八王子道の分岐点です。
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    やってきました、松原商店街。東京だとアメ横のようなところでしょうか
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    なんども来ています。規模もほどよくて。走っていることが多いので買い物はできないのですがね。
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    松原商店街を抜けると保土ヶ谷宿の江戸方見附跡がありました。
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    見附跡を過ぎるとすぐ相鉄天王町駅に到着します。

    

        ■日本橋 → 保土ヶ谷宿 8里9町(32.4km)