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名所・旧跡・史跡

赤穂事件史跡 大石内蔵助他十六人忠烈の跡

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元禄15年12月14日、世界に日本人のなんたるかを印象づけるできごとが起きました。

赤穂浪士の吉良邸への討ち入りです。

12月15日の朝4時ごろ四十七士は吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首をはねるまで約2時間を要しました。

冬の早朝6時頃、寒かったでしょうね。一行は高輪の泉岳寺に向けて2時間程度歩きます。約10kmの道のりです。

映画やドラマほどではなかったでしょうが、一行の通過を聞きつけて人々が集まってきました。

突然、訪問された泉岳寺は驚きとともに、冷静にまた称賛をもってもてなします。

泉岳寺に向かう途中、大目付仙石伯耆守に報告し、幕府の沙汰を寺で待ちます。

幕府の首脳は江戸城に集まり、とりあえず四十七士を四家に分割して預けます。

四十七士にとって泉岳寺で過ごした時間はどんなものだったのでしょう。


浪士が切腹するのは2月4日です。

大石内蔵助が切腹した細川邸の跡の写真です。

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◆大石内蔵助以下十六人忠烈の跡

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国史跡 荻生徂徠の墓

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江戸時代中期。赤穂事件に対して、四十七士の処刑を主張した学者です。彼は柳沢吉保に仕え、幕府にも出入りしていました。最後まで江戸府内に身を置いたようです。八代吉宗は幕府に出仕させようとしたようですが、至らず病で死に至ったようです。

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◆荻生徂徠の墓

所在地 東京都港区三田4-7-29

アクセス 地下鉄白金高輪駅より徒歩5分
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天然記念物及び史跡 国立科学博物館附属自然教育園

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今年はできるだけ初めてのところを散策しようとしています。国立科学博物館附属自然教育園に行ってました。 JR目黒駅から10分弱歩きます。 都会の真ん中にある不思議な場所です。国史跡です。
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高台に土塁と城郭跡がありました。
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晩秋から初冬の時期、最後のあでやかさです。
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小さな館跡のように思いました。情報がもっとほしいものです。Cimg1070左右が土塁です。
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◆国立科学博物館附属自然教育園

所在地 東京都港区白金台五丁目21-5

交通  JR目黒駅徒歩8分

横浜 三溪園の紅葉

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横浜の三溪園に行ってきました。初めてです。大きな庭園でした。値打ちありました。
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◆三溪園

神奈川県横浜市中区本牧三之谷

横浜駅・山手駅からバス、徒歩

頼朝、義経のおじいちゃん 源為義の墓

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参道のような道の入口は七条通りの商店街に面しています。
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やや見えにくいかなぁ。「六条判官源為義公墓」とあります。
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近年の大河ドラマでは、小日向さんがこれまでにない為義を演じきり新しい印象を現出しました。

平氏とは違い、源氏は血縁での競争が激しく、為義も最後は息子の義朝に首を討たれます。

墓となっていますが為義の遺体を埋葬した場所ではありません。罪を受けての処刑ですから、遺体を丁寧に扱ったとは思えませんので設立時から供養塔のようであったと思います。

社殿によると戦国期以前に七条通りの北側にあったようで供養塔は江戸時代の初期に再整備されたとのことです。

現在地に移動したのは明治時代です。

源家は八幡太郎義家の時代に宮廷に足場ができましたが子孫たちは、喧嘩ばかりしてなかなかポジションができません。

為義はアウトローです。トラブルが多くとても品行方正とは言えない。
最後は保元の乱で生涯を終えます。

この地に葬られたのがいつかは定かでないですが、六条堀川の邸宅からも近く(ひょっとすると領地内だったかも?)、縁者の誰かがそっと供養をしていたのかもしれませんね。当時は今日のはずれでもあったはずれでもあったはずですから。

◆源為義の墓

所在地 京都市下京区朱雀裏畑町(七条新千本東入ル)

アクセス 市バス七条千本下車すぐ

江戸時代の刑場跡 小塚原回向院

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JR南千住の駅前です。写真正面の葵のご紋は小塚原回向院です。時代劇にも登場する名前です。江戸時代の処刑場の跡です。江戸の三大処刑場はここと、品川の鈴ヶ森、八王子の大和田です。それぞれ江戸の出入り口にあたります。みせしめということでしょうかね。

ちなみに奥の細道の出立の地ともいわれています。駅前には芭蕉の像がありました。

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さて正面です。どうもこうした建物は味気ないと感じます。
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処刑された死体は簡単に埋まられ、動物たちがあつまってすごいことになっていたようです。
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案内板にもありましたが当時腑分けと言われた解剖を公式に行った記念すべき場所です。記念は不適切かな。
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一般のお墓とは別に刑場跡がありました。
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◆小塚原回向院

所在地 東京都荒川区南千住5-33-13

アクセス JR・地下鉄 南千住駅 すぐ

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幕末、彰義隊の戦いの痕跡 旧上野の黒門

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千住は通過することが多いのですが、おりたのは初めて。南千住駅から10分ほどで円通寺につきます。

円通寺には上野寛永寺の黒門が保存されています。

幕末維新で有名な彰義隊の上野戦争では、実質の大手門として最前線にあった上野寛永寺の山門です。この木製の標柱が郷愁を誘います。

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銃弾のあとがいっぱいです。木製なので、現代の武器の威力ならすぐ破壊されるのでしょう。
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真正面から。門があった上野恩賜公園の入り口は幅がひろい。こうした門がかなりつながっていたのでしようか
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お墓を撮影するのは好きではないので、この標識だけです

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遠景の黒門 こぶりでしょう

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円通寺さんはこんな風になっています。
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このあたりで。

◆旧上野の黒門(上野寛永寺黒門) 円通寺内

所在地  荒川区南千住1-59-11

交通    地下鉄日比谷線三ノ輪駅徒歩5分、JR南千住駅徒歩10分

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鳥羽伏見の戦い2 伏見街道 伏見奉行所跡 会津藩・新撰組奮闘の地

 

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鳥羽街道で押し問答が続く中、薩摩隊からの発砲が時代の転換点となりました。
鳥羽街道を進む徳川軍の主将、大目付滝川具挙はこの発砲に驚き逃げ戻ったといわれてます。

滝川家は戦国時代織田信長に仕え五人の家老の一人として関東攻略戦を担当していましたが、信長の死ともに撤退しその後の秀吉との戦いにも敗れ子孫は徳川旗本として家名を残すのみになりました。

子孫が幕府の最後に関わりを持つのは皮肉なものです。

さて、鳥羽街道での発砲から戦闘が始まり、御香宮に展開していた別の薩摩隊が伏見奉行所に向けて発砲を開始します。

鳥羽伏見の戦いは近接する、二つの地域での戦闘でした。

伏見奉行所に陣取る主力は会津藩と新撰組でした。徳川軍の意気は高かったでしょうが洋式武装した薩摩軍の敵ではありませんでした。

薩摩軍も必死だったでしょうね。ほぼ一藩で天下の軍を相手にして火ぶたを切ったわけですから。

伏見奉行所跡は団地になっています。

伏見は巨椋池を南にして湖沼を俯瞰する高台にあって都の入り口であり、離宮も存在した地域です。豊臣秀吉が3つの隠居城を構えたことで歴史上欠かせない土地になりました。

徳川幕府の時代には京の入り口の宿場として発展をします。

最近は坂本竜馬由来の寺田屋さんも人気です。余談が過ぎました。

3日間にわたって戦闘が行われますが、薩摩軍から錦の御旗が出たことで徳川軍の腰が引け撤退をします。

徳川軍の首脳はこの戦に意味が分かっていなかったのでしょう。

今に残る銃弾の跡が「魚三楼」に残ります。残っているのはこれだけです。歴史の転換点が銃弾跡だけとはさびしいものです。

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◆鳥羽伏見の戦い 伏見奉行所跡                   2016年6月20日撮影
                                                                      
所在地 京都市伏見区

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鳥羽伏見の戦い1 開戦の地

日本に新たな時代が訪れた場所に立っています。

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歴史の分岐点はたくさんありますが、こんなに明確なスポートは珍しいと思います。

薩摩藩の発砲から開戦し徳川軍は退却します。鳥羽街道のこの場所と伏見奉行所と周辺がメインの戦闘地域でした。

石柱だけが残るだけなのが時代の切り替わりを表すようでより感慨深い。

・正面の交差点に「鳥羽伏見の戦い」の石柱があります。

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・開戦の地から東に城南宮が見えます。ここも戦闘地域でした。
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・石柱ともにある解説版
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・石柱から幕府軍がやってきた鳥羽街道を眺める。向かって左の公園、鳥羽離宮跡公園の中にも石柱がありました。
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・かたわらの「愛宕山」の石柱
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・鳥羽離宮跡公園の解説版
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 地図にフォーカスしてみました。すごくリアルです。
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◆鳥羽伏見の戦い 開戦の地

所在地 京都市伏見区中島秋ノ山

化野念仏寺

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■化野念仏寺

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