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歴史が教えてくれる

京都を壊滅させた 『応仁の乱勃発の地』

京都市の都市計画は平安京の建設によってもたらされた。

しかし、当初より人口数や収益構造等の実態にあわない規模であった為早々に平城京に戻る議論が起こります。とても維持ができなかったわけです。

まず右京が衰退します。右京の南部は桂川に近く低湿地が多く初めから開発が困難でした。そして鴨川周辺の市街地化が進みます。現在のカタチになってきたわけです。

1467年京都を壊滅させる出来事が起こります。応仁の乱のはじまりです。

11年続く応仁の乱で京都市街は灰燼に帰します。太平洋戦争ので空襲被害を受けた東京や大阪の写真を見ることがあると思いますが、あんな様子だったはずです。

戦国時代に入りなかなか町は安定しませんでした。

現在の都市設計になったのは応仁の乱の約100年後に登場した豊臣秀吉の時代でした。

このことは以前のお土居の記事で。

   京都市の史跡 史跡御土居3(北区紫竹上長目町・堀川町、上京区寺町広小路)
   http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/3-af78.html

   京都市の史跡 史跡御土居(中京区西ノ京)
   http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3ac1.html

   京都市の史跡 史跡御土居2(上京区馬飼町·平野鳥居前町)
   http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7f90.html

さて応仁の乱が始まったのは現在の京都市上京区にある上御霊神社でした。
上御霊神社の南には相国寺、花の御所がひろがります。室町幕府の中心的地域だったと思います。

史上これほどわかりにくい争いはない。あまりに利害関係が入り乱れ、裏切りが多く節度のある関係はほどんどみられない。戦は東北を除く全国に広まります。最後は誰もがバカバカしくなり本拠地に戻って戦いは終わります。

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案内板の解説では併せて約五千名の戦いとありますが当時の人口でこれほどせの人数にはならないと思うので1/10程度の小競り合いだったのではと推測しています。

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                                ※この3点は2013年5月18日です。お祭りの日でした。


その後の歴史を頭に描きながら境内を散策してみます。ここから戦国時代が始まると思いながら。

◆応仁の乱勃発の地 上御霊神社

  所在地 京都市上京区上御霊前通烏丸東入
        地下鉄烏丸線鞍馬口駅 : 徒歩3分
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足利の歴史を紹介します

「武家の古都・鎌倉」が世界文化遺産の不登録の勧告がなされた。強い興味があるわけではないが“武家の古都”という言葉に感じるものがあった。

武家の発生はさまざまで論証は難しいが、武家社会の成熟には関東が大きなフィールでであることは間違いがない。

宮廷から臣下となり都を中心に発展した清和源氏の棟梁たちは前九年・後三年の戦いで関東・東北に進出し、地域に根付きだした地方武家と融合し、新しい階級として存在感を示しだしました。

鎌倉はこうした勢力が結集し、初めて武家政権をなした地です。この武家政権の基盤は肥沃な関東平野にありました。
・関東平野
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関東平野の北部で現在の群馬県・栃木県にはその後源氏の子孫たちが展開していきます。下野・上野の国境で両毛地域と呼ばれています。この地域で一番有名なのは足利市だと思います。足利は下野国に属します。隣接するのは上野国に属する現在の太田市で、新田荘として知られています。

足利・新田ともに歴史を彩った煌くような名です。仕事で頻繁に出かけていますが改めて調べてみようと思います。

■足利・新田

足利の歴史は古く、8世紀初頭藤原京の木簡に「足利郡」の文字がみられます。また古代は東山道に属していて宿場(駅)が置かれていました。

足利と新田を隔てるのは渡良瀬川で蛇行して進むが、この川は時に流れを変えてきました。
・両毛地域Photo

北部の山岳地帯から流れ出る河川が形成した大扇状地で、実り豊かな時間が過ぎていきます。

11世紀に浅間山の大噴火で大きな損害を受けます。改めて開墾したのが源氏の一門でした。足利荘・新田荘が成立します。

今後、追々紹介していきます。なかなか奥深いので楽しみです。

きむらよしのぶ

大河ドラマ「八重の桜」を見て柴五郎大将に思いが至りました

『ある明治人の記録ー会津人柴五郎の遺言』という本があります。幕末の会津藩に生まれ明治後は陸軍に入り大将になった柴五郎大将の手記を編成した名著です。

会津戦争から斗南藩に至る会津藩の悲劇が語られています。幕末の会津藩は京都所司代時代の新撰組との関わりや会津戦争の白虎隊の自決で語られることが多いのですが、それは悲劇の一部でしかありません。

会津戦争で敗戦し藩は降伏します。街には藩士の死体が放置され埋葬どころか手をつけることさえ認められません。半年以上、親族の死体に鳥獣が群がっているのをなすすべなくみていたのです。

藩は改易にはなりませんが、青森の不毛の地に斗南藩として存続することを余儀なくされます。極寒の地で廃藩置県までの3カ年をたくさんの悲劇ともに過ごしていきました。

会津藩は朝敵として厳しい時代に入ります。昭和3年、松平容保の孫が大正天皇の第二皇子秩父宮妃となります。旧藩士は復権をしたと感涙したといいます。戊辰から実に60年が経過していました。

中学の頃に読み始めました。幕末最大の悲劇は歳とともに思いがこもり涙がとまりません。

柴五郎はその後、義和団事件で世界に武名を知られ、会津の心を自決した最後まで持ち続けた達人です。

大河ドラマの初回を見ました。会津出身の新島八重の物語です。どういうわけか概述の著作に思いが至りました。

どんな展開になるのか? 会津の悲劇を引っ張るとわかりにくくなるかもしれません。

しかし楽しみにしています。
                                                 きむらよしのぶ

大山古墳 祭祀の実態 初公開 -京都新聞 夕刊

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仁徳陵を「大山古墳」で統一したのかな?陵墓指定を受けている古墳は天皇陵と呼称したほうがいいと思うのだが・・・

仁徳天皇のものかは疑わしいのだか。。。

ひょっとして世界遺産認定に向けての動きではないだろうけど、宮内庁のこの判断いいね! です。

どんどん開示したほうがよい。そして国民の理解を得たほうがよい。

生きている間に天皇陵の発掘なんておこなわれないだろうけど。

始まりました 大河ドラマ 『平清盛』

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今年の京都・神戸は盛り上がるでしょうね。

清盛が主人公になる大河ドラマは「新・平家物語」以来です。

仲代達也さんが清盛でした。もっとも私は小学生でしたのではっきりとは覚えていません。

今年の作品は当時の武士階級を明確にアウトローと位置づけてスタートしています。

妙味ですね~この作品は成功すると思います。30pカメラもよい。

相国平清盛は中大兄皇子以来の英雄です。

古代に一線を画し“統治”と天皇制の基盤を確立したのが中大兄皇子で、

武士階級を国家の中核に上らせたのが平清盛です。

平氏の拠点であった「六波羅」は鴨川の東側でいわゆる洛外です。

このことからも当時の武士が置かれていた位置がわかります。

今回は忠盛の活躍も描かれるようですので楽しみです。

平氏が政治の中心に躍り出たのは忠盛の時代です。

私は昔からの忠盛ファンです。

渋谷に戻る前に、神戸の遺跡はフィールドワークしたいですね。

祇園遺跡の発掘調査もいけませんでしたから。

古事記 今年で千三百年

712年和銅五年
太安万侶が献上した歴史書が『古事記』です。

今年で千三百年なんですね。

記紀と称され同じくされがちなのが日本書紀。


この二つの書は選定時期も近似している為、一般には同一視されがちですが全く違うものです。


古事記は"文学“に属すると思います。

特にこの国を作り上げた神々の伝説を豊かな出来事で紹介しています。

神話を教えない国家は日本ぐらいやないかな?

いかんね。

国家の元なんだけどね。

家と同じで成り立ちを知らないといかんでしよう。

戦後教育のダメなところです。

岩波文庫をよく読んだけどなぁ〜

唐突ですが。

長岡京 発掘調査2067回 ~京都新聞 夕刊

少しでも考古学をやった人なら長岡京発掘に人生をささげた故中山修一さんを知っているはずです。

京都新聞の10日の夕刊の「どよう 数ーむアップ」という記事です。

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私が結婚しての新居は向日市で、この時に長岡京遺跡に接しました。

住まいしたのはわずか半年ほどでしたので、その後接点がきれました。

今日の新聞で久しぶりに中山修一さんのお名前を眼にしました。

中山さんは学校の先生です。ご自身が私財を投じて発掘を続けられました。

一地域の発掘調査で2000回などというのは物凄い数です。

おかげで長岡京の実態はかなりはっきりしています。

記事では「京域の確定」がこれからの目標だと。

難易度がかなり高いですが、これで都市の全貌がはっきりする。

がんばってほしいね~

木村嘉伸

真珠湾攻撃から70年

今日12月8日は太平洋戦争の開戦日。

この年に生まれた人が70歳、戦前は遠くになりにけりです。

8月15日の終戦記念日前後はテレビはじめ様々な広報やイベントが行われます。

しかし開戦した12月8日の国内での扱いは小さい。

当時の日本は中国大陸で既に戦闘態勢にあり、通過点の日でもあるわけだがこの日がなければ、現在の日本の枠組みは大きく変わっていたはずです。

私は12日8日の方が重要だと思います。

周辺国との賠償問題などもあるため歴史的評価を下すことから政府は逃げています。

またも学校でも近代史はあまり時間をかけないから、ボトムが育たない。

歴史評価は民俗の基盤をはっきりさせる行為だから、こうしたことは大事なんだけど。

今日もBSで開戦に至る番組があります。楽しみ。

木村嘉伸

BSプレミアム「証言記録 日本人の戦争 前編・後編」

NHKが「戦争証言Project」と銘打って、太平洋戦争開戦70年を節目として膨大な取材を敢行した番組です。

NHKならではの企画です。

戦争の記憶は遠いものになりました。

終戦の年に20歳でも85歳になっています。戦争を語れる方がどんどんいなくなる。

本来は国家がやるべきことです。戦後の日本は太平洋戦争から逃げてきました。

政府は特にそうです。

もう正しく評価を下さないといけません。

学校でも教えないんだから。ひどい国家です。

「証言記録 日本人の戦争 前編・後編」の後編。戦争の後半です。

21日に放送がありましたが、時間があわず今日26日の再放送。

90歳を超えた老人の、涙を流しての回想に時代の重さが迫ってきてたまらない思いになります。

私は太平洋戦争の知識は人並み以上にあります。自慢ではありません。

知識だけではつかみきれないものが人の気持ちの中にはあります。

戦前の日本には、そうした味わいがありました。

考え深い作品でした。

開戦時の軍部が何故無謀な開戦を?と思っていたのですが、このシリーズでニュアンスがわかりました。

日清・日露両戦争は巨大国家に挑んで、日本が優位なうちに講和を結び、勝に等しい引き分けに持ち込んだわけですが、それと同様の流れを想像していたと。

軍人が政治に参加してはいけないとは言いませんが、軍という組織が政治に参加してはいけません。

歴史上、よいケースを知りません。

こうした番組は夏だけでなく通年でやってほしいものです。

木村嘉伸

NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編「戦線拡大の悲劇」

今日のNHKスペシャル。

この時期は戦争に関しての企画が多い。

私は、いかなる新情報がでてくるにしても、日本を戦火に投じた当時の政府幹部をいささかも許す気になれない。

今日の企画は開戦から戦線拡大にいたる政府内部を追いかけていた。

「日清・日露も終戦をイメージせずに開戦した」という当時の軍幹部の理解など、信じられない見解を示していたことが今回しれた。

軍部が政治に関与して、よいことは何もない。

木村嘉伸

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