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九度山町 真田昌幸蟄居の跡 真田庵 

祖父は高野山に眠っています。14日、思い立ってお参りに行きました。大津から車で2時間半。車でお山に入るのは初めてです。橋本市の市街地から約20kmほどでしょうか、こんな山の中によく空海は寺を開いたものです。
高野山や金剛峰寺の知識はなく法事を終えたら、すぐに下山しました。

山を下りると九度山町です。
戦国時代の戦上手、真田昌幸の最後の地です。一般には二男の信繁通称幸村が有名です。

関ヶ原の戦いでは徳川秀忠率いる3万の兵を上田城に引き付け関ヶ原に遅参させます昌幸の担当する局地戦では勝利するものの主力軍ではわずか一日で敗戦し、昌幸も降伏します。死を命ぜられるところ婿の本田平八郎忠勝の働きかけで配流となりました。足を運んで知りましたが、本来の配流地は高野山だったのですが細君や女児がいたので女人禁制の高野山を降りて九度山になったのだと。

幸村がこの地にあったのは実に14年。30歳の前半から40歳台の半ばまでです。人生のもっとも輝く時期にこの山中で憂いもって過ごしていたのでしょう。

大坂冬の陣にのぞんで九度山を降りていきます。

城跡があるわけではなく、史跡といわれるもの、遺物と証明されるものは多くはありませんが九度山の空気をすって戦国の終焉に思いをはせることができます。
来年の大河ドラマは幸村が主人公、観光客もふえるでしょうね。

昌幸・幸村の住まいの跡はお寺になり現在は「真田庵(善名称院)」として和歌山県の史跡指定を受けています。

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・九度山町の名所旧跡MAP

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九度山町の中心部は紀ノ川と丹生川に囲まれています。住宅密集地で昔ながらの建物も多い。人口は5000人ほどの小さな町です。

・真田庵
駐車場から集落に入るとこの看板が目に入ります。鮮やかすぎる。
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・真田庵
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・山門内の解説板
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・石柱 真田幸村公旧跡
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・本堂
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・真田昌幸の墓
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この寺は大阪の役後にできたものです。昌幸、幸村の住まいの跡地に寺が出来ました。当時の人口をかりに1/10程度とすると真田家は大きな世帯だったことでしょう。どんな14年間だったのでしょうね。


■真田庵
所在地 和歌山県九度山町
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