無料ブログはココログ

« 桂川が増水した嵐山 台風18号の被害 | トップページ | 群馬県太田市の国史跡 上野国新田郡庁跡(天良七堂遺跡) »

神奈川県伊勢原市の史跡 太田道灌の墓

太田道灌は江戸城の築城者として有名ですが、彼の事績の中では重要なものではありません。

実質、関東最大の実力を持ち、文治共に時代の英雄でした。当時の関東の出来事には頻繁に名が登場します。

しかし、残念なことに正確な事績が確認できずに伝承の域をでないものも多いのです。

伊勢原市の東海大学病院に立ち寄ったので、ついでに太田道灌の墓に立ち寄りました。

道灌は中世の枠組みの最後の英雄です。中世は武士が世に出た時代で、源氏と平氏の争いから源氏が勝利し、鎌倉幕府、室町幕府が成立していきます。

道灌は関東を支配した関東管領上杉家の一族扇ガ谷上杉家の家宰です。足利幕府は、前代から武家の本拠地であった関東を大事に考えたのか、「公方」という将軍の権限を分与した実質的な関東独自支配を容認したかのような地方支配体制をつくりました。

関東管領は関東公方が支配する地域政権の“首相”という存在です。時代が過ぎ、下克上の時代になりました。関東公方は力を失い、関東管領が力を付けましたが、関東管領も内紛で分化しその部下たちが実質的な支配者になっていきます。

この流れが戦国時代に繋がっていきます。その分岐的にいて、変化する旧時代を矢面に立って支えたのが道灌です。道灌の事績は今後追いかけていきます。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
・MAP
1
この地域は車社会ですが、私は相変わらず交通機関と足です。東海大学病院から歩いて15分ほどで首塚につきます。

■太田道灌の最後

主家の為に戦った道灌でしたが、人生の後半には冷遇に不満を残していたようです。

最後は主家である扇ガ谷上杉定正に暗殺されます。暗殺の理由や当日の模様はさまざまに伝えられています。「当方滅亡」との最後の言葉も有名です。

扇が谷糟屋屋敷に呼ばれた道灌はこの屋敷で暗殺されますが、場所は特定されていません。

墓や首塚もいくつかあります。そのうちの一つにいきました。

●首塚
Cimg3115_2
本物かはわかりませんが、墓石は時代はあっているようです。
Cimg3118_2
Cimg3125_2
・菩提寺の大慈寺
道灌が再興した寺です。そんな縁で菩提寺になっているのでしょう。
Cimg3129_2

Cimg3135_2
この地域の英雄で、祭りまで行われる人物の墓としては悲しい限りですが、道灌の歴史的な評価はこんな実態なんかと思います。

機会を作って他の遺跡もまわります。

■太田道灌の墓(首塚)

伊勢原市下糟屋346-1※大慈寺の住所
小田急小田原線伊勢原駅北口より神奈川中央交通バス「粕屋下宿・小金塚経由愛甲石田駅行き」の「中沢中学校」バス停より徒歩

                                              木村嘉伸

« 桂川が増水した嵐山 台風18号の被害 | トップページ | 群馬県太田市の国史跡 上野国新田郡庁跡(天良七堂遺跡) »

名所・旧跡・史跡」カテゴリの記事

コメント

複視で検索していたら辿り着きました。気になってしまいました、、、。複視は今現在どのような状態なんでしょうか?
若くして手術後に複視になってしまい生活がとても大変です。まだ2ヶ月なので猶予はあるかと思うのですが(^^;;

苦しみを周囲に伝えられないもどかしさも
あるし、複視はつらいですね。
記事に上げていた通り、術後半年で治りました。今は全く問題ありません。

4ヶ月ぐらいで、瞬間回復することがありました。それまでは社会復帰できないかも、、、と少々心配しましたが。
回復の時間は個人差があるようですから気長に待つしかないのでしょう。苦しさはわかります。

ごめんなさいその記事が見つけられませんでした。
そうなんですね。まだ20代で頭を手術し後遺症で瞼もあかなくて複視がかなり辛くこの先を生きて行くのに絶望感でいっぱいになってしまいます。自分を奮い立たせ頑張ってる最中です。
半年で良くなられたのですね!神経の回復はだいたい3ヶ月と聞いていたので希望が持てました!返信ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210945/53326010

この記事へのトラックバック一覧です: 神奈川県伊勢原市の史跡 太田道灌の墓:

« 桂川が増水した嵐山 台風18号の被害 | トップページ | 群馬県太田市の国史跡 上野国新田郡庁跡(天良七堂遺跡) »