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群馬県太田市の国史跡 上野国新田郡庁跡(天良七堂遺跡)

笠懸町との縁が出来たは10年前。一本の電話から今も続く大事なクライアントとの御付合いが始まりました。私は車に乗れないので空いている時間に散策もできず縁のわりには立ち寄りをしていません。これからは時間を使って“遊びたい”と思います。

●古代の新田
足尾山系と渡良瀬川が作り出した大間々扇状地は北関東を代表する規模を有しています。地形を見ると利根川に向ってゆっくりと下っています。次の地図は現在の遺跡地がと等高線図を比較したものです。遺跡地図のブルーの線の内側が等高線図の地域です。

Photo
この地域は湧水が多く、農地開拓にも適しています。

都から東国へ伸びた幹線道路東山道は内陸を通って、この新田にも通じていました。現在は東海道がメインルートですが当時は大河に架橋する技術がなく、安定した東山道が使われていました。
大化の改新以降の国政改革の中で群馬県は上野国となり現在の太田市・みどり市の一部が新田郡となりました。

平成に入り当時の郡庁遺跡(市役所のようなもの)が発見されました。

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●天良七堂遺跡

遺跡は市役所である「郡庁」と周辺の官庁街である「郡衙」そして官制道路である東山道などを総称して天良七堂遺跡とよぶ。史跡指定は郡庁で上野国新田郡庁跡となっています。郡庁の規模は国内最大で史書からも裏付けられています。
・解説板より 郡衙・郡庁の説明
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・新田郡庁の広告写真 現地解説板から
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・新田郡衙全体図 太田市役所HPより
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遺跡は600年代後半から800年代にかけてのものです。都からつながる東山道はここから二つの方向に分かれます。東北に向うルートと南下し武蔵国庁(現在の東京都府中市)に向うルートです。分岐点になる街でしたから当時は賑やかな街であったはずです。
平成20年から始まる発掘調査はまだ継続しているようです。

さて遺跡に足を運びます。発掘後埋め戻されたままですので、資料を見ながら確認していきました。


・現在の郡庁跡 
 郡庁の南西角に解説ツールが掲出されています
Cimg3187_2
まだ調査中だからか、さみしい光景です。
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柱の跡は物悲しい
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ちょっと残念。。。

■国史跡 上野国新田郡庁跡

所在地  群馬県太田市天良町
アクセス  東武伊勢崎線治良門橋駅徒歩10分
                                             木村嘉伸

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