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京都市山科区の史跡 坂上田村麻呂の墓

今年の初詣は大津市の近江神宮です。おめでとうございます。

Dcim0016近江神宮は昭和15年に紀元2600年を記念して創られ、祭神はこの大津に都をおいた第35代天智天皇です。
壬申の乱で弘文天皇が破れ皇統は天武天皇に代わりました。天武天皇の系統は称徳天皇まで続きます。
第49代光仁天皇は天智天皇の系統でその後現在まで皇統が続きます。光仁天皇の次の帝は桓武天皇です。
平安京への遷都で王城1000年の繁栄を築きます。またたくさんの子孫を世に残しこの中から“武士”が登場しました。古代から中世に移り変わる起点となる時代の天皇です。

外征面では未開の地であった東北を制圧し領土としました。政権の大幅な体質強化となりました。

蝦夷(東北)との戦いで武名を挙げ政権の中心に躍り出たのが坂上田村麻呂です。 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

◆坂上田村麻呂の墓 西野山古墓

坂上田村麻呂は渡来系の武人で光仁天皇の御世から仕え嵯峨天皇までの4代にわたって活躍をしました。
清水寺を創建したのも田村麻呂です。古代のヒーローの一人です。

2012年で私の印象に残ったのは坂上田村麻呂の墓が特定されたという発表でした。坂上田村麻呂の墓は山科区勧修寺に存在しますがこれは明治28年平安遷都千百年記念で整備されたもので学術的な裏付けはないようです。

大正時代に京都市山科区西野山でのちに国宝に指定される副葬品と木簡が発見されました。発見当時はこの地域で勢力のあった中臣氏一族が被葬者ともいわれていましたが、その後の研究で坂上田村麻呂の墓であるとの推定が主流となっていました。この墓を西野山古墓といいます。

さてその後の古墓ですが、史跡指定などを受けずにいたため宅地開発とともに所在が分からなくなっていました。

歴史考古学研究家の鳥居治夫さんが現地を丹念に歩き、地元の情報収集をし今回古墓の位置を特定し発表されました。鳥居さんが西野山古墓の被葬者が坂上田村麻呂の墓と発表なさったのは40年前。

改めて特定の為に動かれたのは2007年からですが長期にわたって研究の成果だったことでしょう。

◆3つの古墓推定地

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歴史地図などを見ると京都市山科区勧修寺東栗栖野町に「坂上田村麻呂の墓」があります。概述の通り明治に整備された墓です。この地区は中臣十三墳とよばれる古墳群がありそのうちの一つです。

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二つ目は滑り石街道の途中に石柱がありました。
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今回発表された場所に古墓を示すものはありません。なんらかで特定できたらいいのですが。

                                                  きむらよしのぶ

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