無料ブログはココログ

« 京都市山科区の史跡 山科本願寺跡Ⅱ | トップページ | 京都市山科区の史跡 坂上田村麻呂の墓 »

京都市山科区の史跡 中臣遺跡

大織冠藤原鎌足の生前の姓は“中臣”です。山科区の中臣遺跡は地名をとっての命名ですが中臣氏の関係遺構は見つかっていません。但し、興福寺の前身で鎌足の病気平癒の為に創建された山階寺の設立伝承や藤原氏家伝などから鎌足の時代にこの地を有していたのは確実だと思います。

中臣遺跡は旧安祥寺川と山科川に挟まれた段丘地に展開する遺跡です。この遺跡は後期旧石器時代(約2万年前)から室町時代後半の長きにわたる遺跡です。

●中臣遺跡地図

Map_2

古代の京都は秦氏など渡来系の氏族が地盤としていました。中臣氏は神事・祭事を司った豪族でした。
これは私の推測ですが、渡来系部族からノウハウを受け取ったのではないかと思います。

遺跡の場所は特徴的です。昔、東国から平安京に入るには3つのルートがありました。のちの東海道にあたる「日ノ岡越」、五条通と平行する「渋谷越」、そして中臣遺跡の西側に伸びる「滑石越」です。

現在も滑石越に通じる新十条通りが遺跡の真ん中を走っています。交通の要衝で水利も豊かですから、国家的にも重要な地域だったと思います。遺跡は標柱のみ。残念です。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
  

■中臣遺跡
遺跡は旧石器以来の住居の痕跡と中臣群集墳といわれる古墳群が主体です。中臣群集墳は13の古墳が存在しましたが現在残るのは2基のみです。山科駅から歩きだし30分弱で遺跡に入ります。

○中臣群集墳跡と稲荷塚古墳
折上神社の中に稲荷塚古墳が残ります。
Cimg0379_2
Cimg0383_2
ここから勧修寺小学校を目指します。
     
    

○「この付近中臣遺跡」
すぐ北側には坂上田村麻呂の墓がありますが明治期に整備されたもので、実態は異なるようです。
Cimg0235
すぐ南の道を西に向かって100mほどで中臣遺跡碑があります。

○中臣遺跡碑
碑文には縄文時代からとなっていますが、その後旧石器遺跡が発見されています。
Cimg0386
一旦戻り勧修寺小学校を回り込んで反対側にでると中臣遺跡解説板があります。

○中臣遺跡解説板
Cimg0392_2
Cimg0398_2
Cimg0394_2

ひっとしたら、中臣鎌足の住居があったのかもしれません。今回はここまです。
                                              (撮影:2012年12月27、29日)    きむらよしのぶ

« 京都市山科区の史跡 山科本願寺跡Ⅱ | トップページ | 京都市山科区の史跡 坂上田村麻呂の墓 »

名所・旧跡・史跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210945/48614624

この記事へのトラックバック一覧です: 京都市山科区の史跡 中臣遺跡:

« 京都市山科区の史跡 山科本願寺跡Ⅱ | トップページ | 京都市山科区の史跡 坂上田村麻呂の墓 »