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東海道 六番目の宿場 藤沢宿 遊行寺門前の宿場

9月15日藤沢宿に入りました。戸塚宿を出て、原宿の平坦な道をしばらく走ると遊行寺坂の下りに入る。この先に藤沢宿の江戸方見附跡が登場します。見附跡の碑があるのは遊行寺の入口近くです。現在の藤沢市は、北側は相模野台地で南側は海岸平野が広がっています。印象では江ノ島と海岸線ですが、実態は相模野台地がおりなす低丘陵地帯が大半です。相模野台地を下ったあたりにあるのが藤沢宿なのです。
    
●藤沢宿は観光でも賑わいました  遊行寺の門前町

宿場の成り立ちは様々です。藤沢宿は時宗の総本山遊行寺の門前町として栄えていましたが宿場がおかれてさらに発展したようです。東海道だけでなく、大山詣から江ノ島、鎌倉、金沢八景に繋がる観光ルートでも賑わいました。おそらく現在より観光の影響は大きかったのではないでしょうかね。町の発展で残る遺跡はほとんどありません.

藤沢宿地図

Photo
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(1)遊行寺
    
鎌倉五平氏の流れをくむ俣野景平が開基しました。俣野氏は治承・寿永の乱で平氏につき戦います。その後の俣野氏の資料はほとんどありません。

時宗の総本山だけに造りも大きく、国宝を含んだ多数の宝物があります。一遍上人絵伝は是非ゆっくり眺めたいものです。時間をかける値打ちがたっぷりありますが、今日は走りが目的なのでまた後日。
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(2)遊行寺橋と広小路
遊行寺の門前は三大広小路の一つといわれ大変賑わいました。当時の広小路辺りに説明版がありました。
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・古地図
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この解説を見ていると遊行寺の賑やかさが想像できます。

・遊行寺橋を渡ったところからの写真 正面の森が遊行寺
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橋を渡ると右折しますが、その角に看板がありました。
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(2)藤沢御殿跡  江戸幕府の将軍の別荘のようなもので近郊にいくつかありす。私は武蔵小杉と仲木戸を確認しています。もっともどこも残っていません。右折して藤沢公民館の前に観光マップがありました。Cimg1140_2

街道にもどるとすぐ本陣跡が出てきます。


(3)蒔田本陣跡
街道を走り出して本陣もぼちぼち調べています。本陣の経営はボランティアのようなものですが、経済的な負担はかなり大きかったようです。試算を見たいのですがどこかにないでしょうかね。     
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次に立ち寄ったのは源義経首洗井戸です。

(4)伝 義経首洗井戸
鎌倉に送られた義経の首。首実検のあと片瀬に捨てられる。その首が境川をさかのぼってこの辺りの里人が拾い上げて洗った井戸だと。こうした伝承はいつどんな手続きで出て行くものなのか?義経人気は江戸時代からだと思うのですが。それ以前の民間伝承があったのでしょうか?
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(5)古い建物いろいろ
数は多くはありません。但し表通りしか見ていないもので。

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(6)上方見附跡 

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今日はこのあと平塚宿に向かいます。この間は距離が長い。

                  (2012年9月15日撮影・訪問)

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