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東海道 三番目の宿場 神奈川宿

“宿場”をはじめて私に認識させてくれたのは神奈川宿です。横浜を散策していく中で神奈川宿や生麦事件の旧跡に立ち寄るようになり、宿場の構造を調べようとセンター北の歴史博物館にも足を運びました。宿場跡には既に4,5回立ち寄っています。

横浜の湾岸は埋め立て地が大半で、現在の横浜駅は幕末までは海の中でした。当時の地形図に現代の拠点をアップしてみました。 
                            横浜実測図(所蔵:横浜都市発展記念館)
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神奈川宿は神奈川湊と一緒に機能していたようです。国道15号線の山側の道が江戸時代の東海道です。
国道の海側は海岸線でした。地形は埋め立てで変わりました。また宿場の真ん中を鉄道が通り、山を切り開いた為に町の構成が変わってしまいました。現存する建物もほとんどありません。関東大震災と空襲でほとんど焼けてしまいました。宿場に入るといくつかの地図があるので大変イメージしやすい。

一つ目 神奈川地区センターにあるジオラマ(幕末期の想像です)
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二つ目 「神奈川宿歴史の道」説明版から抽出(京急神奈川駅にあります)
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多くの宿場と同様  現時点で残っているのは「お寺」ばかりです。また幕末の開港時期の遺跡が中心なのも特徴です

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【宿場の規模】
江戸時代の家数1300軒、人口6000人。現在の神奈川区全体の人口が23万人強。江戸時代の全国の人口が3000万人程度らしいので、単純に3.5倍にすると神奈川宿に21000人。かなりの人口密度だったようです。
また宿場を端から歩くと約50分、3km強でした。

●ということで 神奈川宿

この地が宿場として成立したのは1601年。当時は川崎宿がなかったので神奈川宿を出ると一気に品川宿に向かうルートでした。集落の歴史は、残る寺社の伝承を読んでいくと、平安時代にさかのぼれるようです。
宿場の中央に幸ヶ谷公園があり、権現山古戦場跡として戦国前期の城郭跡があります。
(過去の記事:横浜市の城跡 権現山城跡 北条早雲の戦いの跡
     http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-c36b.html)

○オランダ領事館跡、土居
江戸側の入口は、京急神奈川新町のそば、駅にならぷ公園がそのあと。幕末にはオランダ領事館もありました。
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線路沿いに進みます。
         
○笠のぎ稲荷
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○東海道壁画
京急仲木戸駅からすぐの神奈川小学校の壁画に、『東海道分間延絵図』の神奈川宿部分が描かれています。

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フランス領事館跡(慶運寺)
浦島伝説とフランス領事館跡、浦島伝説は以前紹介しています。
    (過去の記事:横浜の浦島太郎遺跡 蓮法寺と慶運寺
    http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-7b16.htm)l

開港当時フランスの外交責任者は「領事」だったのでしょう。恐らく開港してすぐ領事から公使に昇格があったようです。
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○アメリカ人宣教師宿舎跡(成仏寺)
ヘボン式ローマ字でおなじみのヘップバーン。医師でもある宣教師の彼の宿舎
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○高札場
復元されたもので、実際は国道15号線に出たあたりにありました。
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○神奈川本陣跡と青木本陣跡
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○ヘボン博士 施寮所跡(宗興寺)
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○イギリス領事館跡(浄瀧寺)

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当時はこの寺の横浜側は権現山で宿場のはずれまで丘陵でした。今は小高い岡程度になっています。
街道は国道15号から右に入ります。
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○須崎大神

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○イギリス仕官宿泊所跡(普門寺)
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○フランス公使館跡(甚行寺)
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甚行寺を過ぎると、視界が広がります。神奈川駅が登場し、JR・京急の線路が町を切り開いています。
幕末は山が続いていました。切り取った土砂は港の埋め立てに使われました。
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○アメリカ領事館跡(本覚寺)
青木橋を渡ると正面の岡には本覚寺が見えます。今もそうですが、当時の景色は抜群だったでしょう。

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    (過去の記事:横浜市の史跡 神奈川宿 本覚寺 アメリカ領事館跡
    http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d407.html)
    
領事館跡からは、旧のメインの街道と岡を登る道が登場します。先に岡を登ります。一般には高島易学の方が馴染みがあるかもしれませんが、幕末・明治の豪商で横浜の開発に大きな尽力をした高島嘉右衛門の別邸がありました。みなとみらいの「高島町」に名を残しています。横浜の埋立、鉄道施設などを請負、現在の横浜の基礎をつくりました。

○高島嘉右衛門別邸跡
公園になっています。ビューは抜群ですが、写真とり忘れました。
110717_131240 嘉右衛門別邸付近からみた青木橋。真ん中に橋があります。橋の向こうは全て海中でした。
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岡を降りて街道に戻ります。ここからは上り坂になります。広重の五十三次の構図が残っています。
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道の左側は現在、横浜駅の繁華街です。この道とは段差がかなりあります。左に折れて昔の海中から撮影しています。
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○田中屋
徒歩だと5分程度で「田中屋」さんが見えます。屋号は変わっていますが、広重の絵に見える状態で現在も営業されています。
Photo     (過去の記事:横浜市の史跡 神奈川宿 田中屋  坂本竜馬の妻「おりょう」
     http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-bdcd.html )

○神奈川台町の関門跡
坂をほぼ上りきると、幕末にあった関門跡が登場します。生麦事件を初め、外国人に危害を加える事件が増加し、保護の為にできた施設でした。宿場の京側の見附はまだ先にあるはずなので、領事館の密集する地域を囲い込んだのでしょう。幕末の一時期はどの程度の外国人が宿場にいたのでしょうね。
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    (過去の記事:横浜市の史跡 神奈川宿 神奈川台の関門跡
    http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-77d0.html )

坂をくだって上台橋に到着。ここが見附の跡のようです。

    (2012年09月2日・4月18日、2011年8月28日・7月24日・7月10日撮影:訪問)

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