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静岡県韮山町の史跡 堀越御所跡 北条早雲の伊豆討入り

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                                    (興国寺城跡からみた伊豆の山々)


○二人の公方    

鎌倉を追われた鎌倉公方足利成氏は本拠を古河に移します。(茨城県の史跡古河公方館跡)
 
幕府は新たに足利政知を公方として関東に送りますが成氏の勢力は強く、箱根の坂を越えることが出来ず伊豆堀越に落ち着きます。これが堀越公方です。二人の公方の争いは続きますが、幕府も応仁の乱で関東に手が出せません。ついに幕府と成氏は和睦します。実に25年が経過していました。

和睦により成氏が再び関東の主となりました。堀越公方は和睦の条件として伊豆を譲られますが事実上一地方領主となってしまいます。撤収すればよいのですが25年もの戦いはしがらみも出来て簡単には京に戻れなかったのでしょう。 

○堀越公方の追放

足利政知は病没し後継争いが起こります。政知の子茶々丸が兄弟、母を殺し二代目に就任します。足利家はこうした争いごとばかりです。茶々丸は幼名です。元服前だったはずなので幕府からは公式に二代とは見られていなかったのかもしれません。

茶々丸が親殺しの結果伊豆の主となって二年後、駿河興国寺城の伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆を襲撃し茶々丸を追放しました。これで堀越御所は滅亡します。

早雲が伊豆に乗り出したのは幕府との連携で、混乱の収拾が目的だったとの説が主流となっています。
茶々丸ですが、司馬遼太郎の『箱根の坂』では襲撃とともに逃げ出した設定でしたがしばらくは伊豆にいて、追放されたのは数年後というのが事実のようです。伊豆の回復を望み上杉などの勢力を頼っていましたが結局は早雲につかまり自害をします。
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●伝堀越御所

韮山に守山という古城があり北条氏のふるさとです。堀越御所は山麓にあった北条氏の館跡にあったようです。司馬遼太郎の『箱根の坂』で見たのが私の初見でした。

・伝堀越御所跡 公園整備の為に解説板のみでした
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実際の規模ははっきりしませんがかなり広大な領域のようです。しかし、堀越御所だと確実視する発掘結果は難しいでしょうから、「伝」はとれないでしょうね。

・周辺地図  解説版があるところは韮山駅から徒歩20分ほど。その跡守山の山麓を一周するのがいい。中世の匂いがたっぷりします。
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解説版たち1
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解説版2
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解説版3
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この解説版の通り向かいには北条政子の産湯の井戸があります。井戸は一般家庭の庭先にありますから気遣いが必要です。
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少し北側には頼朝が政子と新婚時代を送った屋敷跡の伝承地が成福寺になっています。堀越御所もこの地下に眠っているようです。
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       (2012年8月25日撮影:訪問)

■堀越御所跡
 所在地  静岡県伊豆の国市四日市
 アクセス JR韮山駅より徒歩20分
                                                    きむらよしのぶ

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