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静岡県韮山町の史跡 韮山城跡 北条早雲の関東進出

○5ヵ年に渡る伊豆平定戦

駿府興国寺城から堀越御所を襲撃し伊豆に入った伊勢新九郎(のちの北条早雲)は韮山城を本拠とします。
北条早雲は謎の多い人物です。この時代は記録が極端に少なく、都からは離れるに従って難しくなります。
早雲の一番の謎は“年齢”です。大器晩成の代表と認識されていましたが、さすがに80歳を超えて戦場に身をおくことは難しいでしょう。出自は備前伊勢氏に落ち着きつつありますが、生年も新たに材料が出てほしいものです。

伊豆平定ですが、30日程度で終わったというのが私の若い頃の理解でしたが近年では足利茶々丸と地元有力豪族の頑強な抵抗に5か年を費やしていることがわかってきました。これだと「箱根の坂」を駆け下り小田原に攻め込んだのは伊豆平定の途中ということになります。面白いですね。この方が戦国の幕を早雲があけたと受け止めやすい。伊豆は山が多く、海岸沿いのわずかな平地を都市化しています。これは当時もかわりませんから、平定戦も大変な手間が掛かったはずです。

○大津波がもたらした早雲の躍動

今回伊豆平定を調べている際に考古学者で教育委員会や大学講師をなさっている金子浩之氏の論文に出会いました。早雲が伊豆・小田原に攻め込んだ時期は数回に渡り相模湾の海底地震により大津波が発生していて西伊豆の宇佐美氏・伊東氏は津波でかなりの被害を受けたようです。小田原も同様でした。これであれば早雲がわずかの期間で伊豆を平定し、小田原を攻め落としたことが説明できると思いました。

早雲は没するまで小田原には入らず韮山城を本拠にしていました。伊豆が落ち着いていなかったのが一番の理由だったのかもしれません。

○韮山城

韮山城の正式な築城時期は不明です。早雲を初め後北条氏の重要拠点でしたが豊臣秀吉の小田原侵攻戦では約百日も持ちこたえたがついに落城します。最後は徳川の世になると直轄地になり廃城となりました。
現在残る縄張りは徳川時代のものです。城のある丘陵は大きなものではないので恐らく同様の使い方をしていたと思います。興国寺城を見た後なので同様の中世の城郭のにおいがたっぷりします。石垣がない東日本の城だからかもしれません。

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●史跡 韮山城跡

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蛭ヶ小島あたりから本丸を眺める
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蛭ヶ小島から韮山中学校の南側の道を右折して城跡の沼に出ます。
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途中曲輪の間の堀がみえます。
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城沼の周囲を回って虎口に至ります。解説版です。
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グーグルで比較mapを作りました。古図は18世紀のものです。
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熊野神社  この前を通り二の丸に向かいます
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雰囲気たっぷりです。古城跡の神社は独特の悲しさがあります。
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二の丸?
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空堀? 
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本丸から蛭ヶ小島(手前の鉄塔のあたり)や守山(やや左の小山)を眺める
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山は富士です。
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本丸跡
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解説版
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解説版2
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塩蔵に向かう尾根
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ちなみに 郷土史料館で頂戴した復元想像図です。これを見ると大手口は韮山高校側でしたね。
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韮山城が豊臣勢を迎え撃ったときには背景にある丘陵地に砦を築き連携した戦闘を行ったのでしょう。
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豊臣時代の武器や戦闘力でこの城だけで100日も防衛するするのは困難のはずです。小田原を囲んでいるので無理押しはしなかったのかもしれません。

■史跡 韮山城跡
所在地  静岡県伊豆の国市韮山韮山
アクセス 韮山駅から20分
                                                      きむらよしのぶ

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