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東京都の史跡 大森貝塚

今日はさくさくの営業同行。場所は大森です。帰り際に大森貝塚に立ち寄りました。

大森貝塚の発掘は西南戦争の真っ只中の明治10年6月です。西南戦争は武士による政権から広く市民が政治参加する国家感へ移行する最後の闘争でした。西南戦争は半年以上も続きます。明治政府の危機感は強かったでしょう。こんな国家存亡の時期に日本にやってきたのが動物学者のエドワード・S・モースです。
彼は腕足動物の専門家で来日後、東京大学の教授となり初期の大学の発展に大きな貢献をされました。
帰国されますが、その後も何度も来日され多くの研究成果を残されています。ちなみに進化論を国内で、初めて講義されたのモース教授でした。

モース教授は横浜から新橋に向かう車窓から貝塚を見つけます。まだ考古学という学問はありませんから外国人の彼だから問題意識を持ったのです。そして発掘が行われました。日本最初の考古学発掘でした。

「大森貝塚のモース」と聞くと彼が考古学者だと思う人が多いがこれは誤りです。まさか動物学者だとは思わないですね。

JR京浜東北線の海側は縄文海進時代には海でした。現在の線路付近まで海が迫っていました。貝塚とは縄文時代の村落のゴミ捨て場です。陸から海に向けてごみを捨てていたのです。

○場所
B
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○二つの貝塚跡

ムース氏が発掘した場所は彼が論文に明示しなかった為に長くはっきりしませんでした。その為わずかな距離の違いですが二つの貝塚碑がたっています。その場所が大田区と品川区に分かれているため、両区で長く論争がありましたが、最近の調査結果から品川区の発掘場所が正しいことに落ち着きつつあります。
正直なところ、喧嘩せずにお互いを尊重しあって伝説として楽しんでほしいものです。以下、2箇所を紹介します。

①大田区の「大森貝墟」

大森駅北口を出て大井町方面に歩きます。すぐ案内が目に入ります。右折して通路に入ります。

Cimg0979_2
ゲートはこんな感じです。
Cimg0986_2
階段を下りると解説板が登場
Cimg0980_2
石柱

電車の中からもみえます。たぶん車窓から発見したムース教授が見た光景に思いをはせる設計なのでしょう。重厚です。

Cimg0984_2
②品川区の「大森貝塚」
    
大田区の貝塚から少し北上すると大森貝塚遺跡庭園があります。
Cimg0987_2
かなり広い。
Cimg1005
このモニュメントの意味がわからないのですが、手が込んでいます。
Cimg0988_2
モニュメントを抜けると貝塚のレプリカがあります
Cimg0989_2
お子さんが「貝だ!」と遊んでました
Cimg0990_2
線路沿いに下りていくと有名な石柱があります
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モースさんです
Cimg0995_2
解説版
Cimg0997_2
ちなみに駅に戻ると大田区と品川区の貝塚がそれぞれのチラシを掲出されてました。この感覚は面白い。
Cimg1007
大田区の貝塚碑を偽者扱いにするのだけはやめてほしいものです。歴史・考古学をやったものはあの二つの石柱に心躍らせたはず。石柱そのものが歴史になっていますから。

■大森貝塚
所在地  太田区側 東京都大田区山王
       品川区側 東京都品川区大井鹿島町

アクセス 太田区側 山王口より徒歩5分
       品川区側 山王口より徒歩10分
                                                      きむらよしのぶ

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