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東海道 二番目の宿場 川崎宿

○宿場 川崎

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多摩川に掛かる六郷橋を渡り、神奈川県に入りました。橋を降りると川崎宿の入口です。東海道を走り出して、“宿場”というものがわかってきた。自然発生的な集落形成の一つだと思っていたのですが、実は政府が公式に編成した街だったのです。現代でいえば、高速道路のSAやJRの大型駅のような役割をしていたものです。一種の公的機関なので、宿場の周囲には助郷とよばれる作業代行業務が発生していました。後半は税金を納めることで代替することが多くなったようです。

川崎宿は当初設定されていませんでしたが、品川宿と神奈川宿の距離が長く不都合な為1623年に設置されました。宿場の公的機関としての仕事は宿場の奉仕、また周辺住民の助郷に頼る為大きな負担を地元が背負うことになります。おかしな話ですが、街道を往来する交通量の増加でどんどん負担が大きくなり財政を圧迫したそうです。現代の川崎の繁栄からは想像もできません。
    ○宿場map

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残っている遺跡はほとんどありませんが、掲出看板やMAPなどの整備はなされています。今も繁華街なので、なんとなく宿場を歩いている気分になれます。

    この石柱はいけますね~

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    田中本陣跡
    問屋・名主・本陣の当主を一身に兼ねた田中休愚は、宿場の維持の為、幕府に働きかけ、六郷の渡しの
    権益を川崎宿のものとしたり、さらに救済金を取り付けるなどをされました。今に続く川崎の恩人ですね。

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    歌川広重 「東海道五拾三次 川崎」 六郷の渡しが描かれています。

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    砂子の里資料館
    実質、宿場の資料館です。オープン前でした。残念。

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    古い宿場の解説版
    宿場の範囲はこの地図がわかりやすい。

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    一部を拡大してみました。

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    中の本陣跡 走っているから見落としそうです。

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川崎駅前の道を渡るとこの看板。だが意味がわからない。名前がついていたのかな?    
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川崎大師と東海道をつなぐガイド
六郷の渡しを渡ったあたりは川崎大師への入口でもありましたから、長く続いてお店が多かったようです。


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佐藤惣之助生誕の地(佐藤本陣跡)
惣左衛門本陣ともいわれました。明治の詩人佐藤惣之助がこの家で生まれ、戦前にかけて活躍し、「六甲おろし」「人生劇場」など、有名な歌の作詞をしました。

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史跡東海道川崎宿京入口
京都側の土居による門がありました。夜は閉めていたようです。この門までが政府施設としての宿場町です。宿場は段々規模が大きくなりこの門の外にも広がっていきます。

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町としてはこの先の八丁畷が境ともいえますが、私は見附(門・入口)を基準に切り分けていきます。
さて、次の宿場は、神奈川宿です。
    (2012年9月2日撮影:訪問)

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