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東京都赤坂の史跡 二つの勝海舟邸跡

私の父は勝海舟が大好きでした。私が小学校の頃によく勝の事跡を聞きました。私もいつの間にか本を読むようになりました。子母澤寛の「勝海舟」を読んだのが最初だったように思います。近年の勝のイメージは司馬遼太郎の「坂本竜馬」で描かれている勝なんだと思います。衰退する政権を支え孤立するも忠誠をつくします。
敵味方を超えて勝の意見を聞くものが多く、時代の巨人でありました。江戸開城の引き際は日本史上他に例を見ない政権交代です。勝は江戸っ子らしく語りの多い人でしたが、この時期の思いは言葉にしていません。
勝のことを語りだすときりがありませんね。

昨年の9月に手術の為に関西に戻り、例大祭の時期は病室にいました。例大祭は秋祭りとして実行されているものが多く一年の御礼を神に感謝する集いです。私にとって今年の例大祭は私自身の復帰への感謝です。

どちらの神社にしようかと迷いに迷いましたが、ふっと勝海舟のことが頭に浮かびました。繋がりは全くありませんが、何か赤坂でないとならんように思いました。ということで例大祭は赤坂氷川神社にしました。赤坂は勝が好んだ場所です。

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勝が生まれたのは本所でした。忠臣蔵の本所松坂町吉良邸の近くです。この場所は父小吉の兄弟で剣聖といわれた男谷精一郎の屋敷でした。父小吉はアウトローとして有名で、小気味よい人生を送るものの貧しい生活でありました。勝も貧しい生活を送りますが剣を磨き、蘭学の勉強に力を入れ世に出る為に努力を続けます。
    (以前の記事:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3550.html)
                                                   本所両国公園
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勝が世に出るきっかけになったのは米国ペリー艦隊の来航です。幕府は危機感から下々にも広く意見を聞きます。勝の意見書がこの時、目に留まり世に出るきっかけになりました。その後長崎海軍伝習所で5年をおくり、江戸に戻って引っ越してきたのが赤坂です。赤坂では3箇所を転々とします。

初めての居宅は赤坂田町(特定できませんでした)

二つ目が36歳、1859年。新進の技術者として階段を上り始めたころです。この年に神奈川台場の設計をしています。

・勝海舟邸跡

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この屋敷には1868年、明治元年までの10年間いました。彼が最も時代に影響を与えた時期です。坂本竜馬が千葉重太郎と勝を斬りにきて弟子入りするのはこの屋敷です。なんども来ていますが、この標柱の味気なさが江戸っ子勝の毀誉褒貶にこだわらない人生のようで好きなんです。

徳川家の処遇が決まり静岡に住まいを移します。5年後に江戸に戻り再び赤坂に居を構えます。そしてそこが終生の住まいとなりました。

・勝安房邸跡
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静岡に走るときよってみようかなぁ?切がなくなりますが。

久しぶりに勝の事跡に触れました。

■勝海舟の赤坂の居宅跡

①幕末の邸宅「勝海舟邸跡」  東京都港区赤坂6-10-39

②明治の邸宅「勝安房邸跡」  東京都港区赤坂6-6-14

Photo                                                     きむらよしのぶ

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