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史跡 武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡 (2)武蔵国分寺跡

●武蔵国分寺

国分寺は聖武天皇が各国に作らせた官製寺院です。武蔵国分寺は全国でも有数の規模を持っていました。国分寺市、府中市は令制時代の武蔵国の中心地です。発掘の結果、国衙は府中市で発見されました。国分寺は早い時期に衰退し、江戸時代には「国分寺跡」として知られていました。律令制そのものが早期に形骸化していますから、財政面でも国分寺の維持は難しくなりました。新田義貞の鎌倉攻めの際に焼かれその後義貞により寄進を受け再建したものの、その後衰退します。

●仏教の普及と国分寺

私の子供の頃は「仏教伝来」と習いましたが今日では公伝と私伝に区別しているようです。歴史も変わります。
仏教が公式に伝わったのは500年代半ばが有力ですが、それ以前にも私的な寺院が存在していました。私伝を明確にするのは難しいでしょうが300年代の後半には伝わっていたと思います。

国分寺が成立した時期の民衆の信仰心、帰依ぶりは恐らく小さなものだったのでしょう。この後最澄、空海という天才が登場し、武士が政治進出を果たす頃になって宗教は民衆のものになっていきました。国分寺が衰退するのは結局支援組織が育たなかったからです。

ちなみに聖武天皇の時代は経済的に豊かだったのでしょうか?かなりの支出だったと思うのですが。調べようがありません。
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・武蔵国分寺跡周辺遺跡地図

 
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武蔵国分寺跡は史跡公園化の方向で整備をされています。コスト面や保存のあり方など課題も多く進んでいないようでした。
    
①講堂跡
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②金堂跡
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奥の説明版の後ろは講堂跡
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礎石
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③中門址
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④七重塔跡
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⑤僧寺北東地域
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A 仁王門、薬師堂
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B 国分寺
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資料館内にある七重塔の復元模型
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資料館にある復元模型
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武蔵国は埼玉県、東京都、横浜市・川崎市の大部分が範囲です
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C 真姿の池湧水群
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武蔵国分寺跡は国分寺崖線の下にあります。なぜもう一段高い位置に築かなかったのかなど私の疑問は大きいのですが、今日はここまで。資料館を訪れた上の散策がよいでしょう。公園化した後では味気ないかもしれません。

今週は若い子達の営業の手伝いで動いています。涼しくなりました。

        (2012年8月7日・9月9日:撮影)

■国史跡 武蔵国分寺跡
所在地  東京都国分寺市
アクセス JR中央線西国分寺駅または北府中駅
                                                    きむらよしのぶ

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