無料ブログはココログ

« 神奈川県川崎市の史跡 小沢城跡と枡形城跡 | トップページ | 東海道 一番目の宿場 品川宿 »

旧東海道五十三次を走る (1)日本橋から品川宿

数年かかるでしょうが、全工程を走ります。所用のついでのこともあるので継ぎはぎにもなると思います。

東海道五十三次は東京の日本橋から京都の三条大橋を繋ぐ江戸期の国道です。すべてのルートが残っているわけではありませんが、地域の町おこしとして整備が進んでいます。出来るだけ旧道路をトレースしたいものの寸断されたところもあるのでこだわらずに京都三条を目指します。
    /////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

(1) 日本橋を出発 品川宿まで   2012年8月26日

起床して思いついて日本橋に向かう。朝から太陽が凄まじい。

日本橋は江戸時代に五街道の起点として整備されたもので、現在も道路の基点になつているそうです。

日本橋の橋の袂に越後屋が出来たのは17世紀の後半のはず。越後屋とは現在の三越の前身です。
当時は呉服屋さんです。その後両替屋にも展開をはじめその後の三井グループの基盤ができます。

Cimg0035

その越後屋さんは百貨店に形を変えてますが現在も日本橋を見続けています。

Cimg0034
2cimg0038     
日本橋を出発します。中央通り、国道15号をひたすら南下します。京橋、銀座を通ります。いきなり華のあるコースですが、昼からだと人が多くて走れません。

銀座の和光です。ちょうど10時に通りぬけました。

Cimg0048
新橋を過ぎて、芝の増上寺を右にみます。なんども立ち寄っているので今回はこれだけです。
ちなみに新橋からは第一京浜に道路名が変わります。

Cimg0052 
田町に近づきました。芝五丁目の交差点の海側に幕末の勝海舟と西郷南洲会見之地があります。
当時の薩摩藩邸の跡です。当時は第一京浜のすぐ左側は海が迫っていました。

Cimg8498
高輪に入ります。高輪大木戸跡という交差点が出てきました。木戸つまり町の入口がありました。
江戸の南側の入口ですが、何度か移転をしているようです。江戸時代の一時期パリより人口の多い世界一の都市でした。木戸の移転は人口増加によるものなのでしょうね。江戸時代の後半には木戸としての機能はなくなっていたようです。

Cimg0063
Cimg0061
高輪大木戸を過ぎて次の交差点を右、山側に入ると忠臣蔵で有名な泉岳寺が出てきます。久しぶりなのでよってきました。
Cimg0066
赤穂浪士の墓です。お墓が観光地になるのは日本の特徴のようです。
Cimg0080
品川駅前を抜けるとすぐ八ツ山橋が出てきます。ここからが品川宿です。

■日本橋 → 品川宿 2里(7.9km

« 神奈川県川崎市の史跡 小沢城跡と枡形城跡 | トップページ | 東海道 一番目の宿場 品川宿 »

東海道五十三次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210945/46832444

この記事へのトラックバック一覧です: 旧東海道五十三次を走る (1)日本橋から品川宿:

« 神奈川県川崎市の史跡 小沢城跡と枡形城跡 | トップページ | 東海道 一番目の宿場 品川宿 »