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神奈川県小田原市の史跡 石橋山の戦い 頼朝の敗戦

(前回より続くhttp://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-050c.html)


○土肥郷に軍を進める

挙兵した頼朝軍48人は現在の函南町を越えて熱海海岸に出たようです。山木兼隆を打ったのは8月17日。
8月20日には土肥郷(湯河原)に到達しています。しかし頼朝の挙兵は平家軍に知られ関東の諸将は迎撃にやってきます。平家軍3000名、頼朝軍300名。8月23日夜、遅れていた三浦軍が頼朝軍に合流するのを恐れた平家軍は豪雨の中、夜戦に乗り出します。

○石橋山の戦い

海岸線は平地がほとんどなく、谷を挟んで両軍は山の上に布陣します。兵力差は大きく、後方からは伊東祐親も軍を進め、頼朝軍は挟うちになります。衆寡敵せず、頼朝軍は分散して退却をします。
頼朝軍の先陣は佐奈田与一義忠。死を覚悟した与一は華美な装束で敵をひきつけ、剛勇俣野景久と組み、首をかききろうとするも血糊で刀の鞘が抜けず、背後から迫った敵に首を預けることになりました。
頼朝は僅かな従者ともに山中に退き、退却に成功する。石橋山の戦いは頼朝軍の大敗で終わります。
頼朝一行が洞窟に隠れていたのを、梶原景時が見逃す、有名な情景がこのときおこります(湯河原、ししどの窟)。

10年後、頼朝は三島、箱根、伊豆山を参拝し、途中この地を訪れ与一を思い出し涙したと伝えられています。

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8月25日韮山から石橋山古戦場に立ち寄りました。車ではよく通るのですが、ぼやっとしていると気づかず行き過ぎることが多いので、今回は自分の足でいってみました。早川駅から往復5kmほどです。

(1)早川駅に到着 ホームの先に見えるのが石橋山古戦場
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(2)早川駅から135号線を南に進むとこの看板が登場します。歩くと30分弱です。
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(3)坂をのぼります
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(4)少し上ると右折します。その角にある看板です。錆具合がいい。
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(5)また坂が続きます。
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(6)この山は猿がいっぱいです。歩くのは危ないかも? 駐車場はあるので。
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(7)トンネルの上から。この絵柄きれいですね。
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(8)登りきると石碑が登場
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(9)頼朝軍の先鋒 佐奈田与一討死の地
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(10) 霊社への階段です。
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(11)佐奈田霊社の社殿

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(12)解説版
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(13)与一塚 佐奈田与一を弔った塚
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(14)解説版
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(2012年8月25日訪問:撮影)

■石橋山古戦場
 所在地  神奈川県小田原市石橋
 アクセス JR早川駅より徒歩40分(霊社には駐車場があります)
                                                                                                                          きむらよしのぶ

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