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京都市の史跡 六条堀川源氏館跡 左女牛井の碑

今回の大河ドラマは視聴率では大苦戦をしています。平安時代のドラマは歴史上の出来事が視聴者にイメージしにくいからだとおもいます。

今回は過去にないアプローチでよくやってると思うのですがうまくいかないものです。私は今年鎌倉に通っています。あわせて関西に戻ると、鎌倉に関係する史跡に足を運んでいます。

源頼朝は先祖の源義家が関東・東北で名声を高め、義朝が関東に基盤を作った為、関東出身の武門のようですが、河内源氏の棟梁で関西の出身です。

源氏の館は現在の六条堀川周辺にあったといわれています。現在あとには左女牛井跡の碑があります。
当時京の三名水の一つとして有名でした。この水が館に引き入れられていたとのことです。この界隈に館があったようです。

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    解説版が読めないので書き起こしておきます。

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左女牛井跡
京の名水として平安時代より知られ、源氏の邸、いわゆる六條堀川館の中にとりいれられていた。
室町時代には南都の僧村田珠光がこの畔に住み、茶道を興し、足利義政も来遊したという。江戸初期元和2年5月織田有楽斎はこれを改修した。内径2尺4寸の円井戸であった。その後、天明の大火で埋もれたが、寛政2年、薮内家6世によって修補され、その碑が七世によって建てられたが、丸井戸碑とともに第二次世界大戦最末期の民家の強制疎開とともに撤去された。
昭和44年醒泉小学校百周年記念事業のひとつとしてここに碑をたて、名水を偲ぶよすがとした。

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平氏は伊勢を本拠にしていた為、東海道を意識して六波羅に館をおいたといわれています。河内源氏の六条堀川館は当時の堀川の水利を考えたのでは、と想像をしています。

現在の堀川は暗渠で地表に水は流れていません。しかし当時の堀川は平安京の大動脈でした。堀川は南に下って淀川に入っていたはずですから、そのまま大坂に出ることができたはずです。考えすぎかなぁ。

残念ながら、館跡はこれだけです。京都の史跡は想像を広げてくれて楽しい。

義朝がなくなり、頼朝が旗揚げをし源義経が京の平氏を西国に追い落とします。義経が本拠を置いたのは六条堀川館です。おそらく義経の幼少期はこの館に住んでいたのでしょう。

また、頼朝が天下を得て上洛したときに六条堀川に宿泊したといわれていますが、この屋敷の維持はどうしていたのでしょう。調べてみたのですがわかりませんでした。
    (撮影:2012年5月2日)

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