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2012年6月

古都鎌倉 番外編 寒川町の梶原景時館跡

鎌倉の梶原を訪ねたあと、梶原氏のもう一つの根拠である寒川町に足を運びたくなり、機会をうかがっていたら所用ができました。ついています、私。寒川町には館跡があります。発掘調査が行われ土塁や堀など館跡と想定される遺跡がでました。しかし景時を特定するものはでていません。
残念ながら遺跡は少ない。

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最寄駅はJR相模線の寒川駅。館跡には徒歩15分程度です。相模原線は単線です。

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途中のあじさいが鮮やかでした。
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館跡があるのは旧大山街道に面していて中原街道とも交差していました。現在も旧街道筋を思わせる佇まいがいい。散歩気分でぶらっとするのがよいのですが、次のアポイントがあるので大急ぎです。

○旧大山街道 この先に館跡があります。
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江戸時代は一之宮村で西に向かうと相模川の田村の渡しにつながっていました。相模川の対岸は平塚市田村で景時の時代には三浦義村の館がありました。景時の所領は交通の要衝でもあり、鎌倉防衛にとっても重要な位置付けであったとおもいます。

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さて館跡です。館跡の一部に天満宮があり、標柱と説明板がおかれています。
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館跡には天満宮がありました。やや高台になっています。櫓があったともいわれています。
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○解説版
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○解説版のmap  解説版は2つ。★2がこちら

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天満宮から3分程度で次の解説版です。    
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梶原景時公像 この表情の根拠が知りたいものです。
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梶原景時は石橋山で歴史を変えたのに悲しい末路でした。
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また少し行くと梶原伝七士の墓があります。
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梶原伝七士の墓     

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解説版  墓の実態はわかりませんが悲しい伝承です。
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この壁際の水路が当時の内堀跡?
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館跡の天満宮に戻り、北に伸びる旧中原街道。左側の石垣は土塁の跡という伝承があるようです。
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今日はここまで

◆梶原景時館跡
所在地  神奈川県高座郡寒川町一之宮8-6
アクセス JR相模線寒川駅徒歩15分
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古都鎌倉 御成通りの武者幟

    JR鎌倉駅西口を出て線路沿いの南に延びる商店街が御成通りです。

    この通りに武者幟が掛かっています。鎌倉幕府を支えた高官や有力御家人ばかりです。
    たぶん、全部写真に収められたと思います。
    
    ○源頼朝
    いわずと知れた鎌倉幕府初代将軍。武門の世を開いた巨人です。

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    ○畠山庄司重忠
    常に幕府の先陣を勤め、坂東武士の鑑といわれたこの時代の英雄

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    ○稲毛三郎重成
    多摩の枡形城を本拠にした御家人。畠山重忠とともに滅亡します。

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    ○渋谷重国
    義朝の時代から源家につかえ、義経・範頼の京都攻略戦にも参加。

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    ○安西景益
    石橋山の敗戦で上総に逃れた頼朝に参上し参加に。鎌倉氏かも?

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    ○那須与一宗隆
    屋島の戦いで扇の的を射た那須与一。実在を疑われていますが源平合戦の華ですね
    

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    ○熊谷直実
    鵯越、敦盛との一騎打ち、出家など逸話の多く、坂東武者の典型

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    ○工藤祐経
    曽我兄弟の仇討ちにあう。頼朝の寵臣。

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    ○佐竹秀義
    一度は頼朝に敵対するも御家人に。家系は大名として幕末まで続く。

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    ○大友能直
    頼朝の寵臣、落胤説もある。大名・高家と続く大友家の初代。

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    ○源範頼
    頼朝の弟。義経と対比されて凡将扱いされている。そうでもないかも?

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    ○千葉常胤
    古くから源氏の傘下におり、頼朝の挙兵と共に参陣。

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    ○北条時政
    頼朝の妻政子の父。私が嫌いな武人の一人。

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    ○三浦義澄
    三浦半島を領した頼朝の宿老。

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    ○大江広元
    頼朝の側近で創業の功臣。初代政所として幕府政治を指導する。

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    ○土肥実平
    頼朝の挙兵から行動を共にした鎌倉幕府の重鎮。

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    ○比企能員
    頼朝の側近。

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    ○佐原義連
    鵯越の逆落としを真っ先に駆け下りた逸話で有名。三浦氏の庶流。
    
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    ○梶原景時
    創業の功臣だが義経との関係で印象が悪い、かわいそうな武人。

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    ○和田義盛
    初代侍所別当。三浦一族。純粋に武人で頼朝の創業を助けた功臣。


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    ○佐々木高綱
    名馬「いけづき」とともに宇治川合戦の先陣争いはあまりにも有名。
    
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    ○海老名季久
    現在の海老名市領した武人。    

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    この幟り写真をとっていたのは私ぐらいです。(撮影:2012年4月29日)
                                                                                                             きむらよしのぶ
 

古都鎌倉 no.5-6 鎌倉党武士団 鎌倉景正と坂ノ下御霊神社

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                                                    鎌倉党 五平氏の拠点MAP

■鎌倉氏
関東平氏の祖は鎮守府将軍平良文で、晩年に鎌倉の村岡に居を構えて子孫が勢力を拡大していきます。
    
系図は
平良文→平忠通(四男)→景通→景成→景正(景政)→景明と続きます。

景通、景成の頃には河内源氏の初代源頼信に出仕するようになる。頼信は鎮守府将軍、相模守を歴任し関東に基盤を作っていきます。頼信が屋敷を構えたのが鎌倉の大倉でここが関東での拠点となります。
大倉はその後も源家の拠点で頼朝の代には幕府が置かれることとなります。話がそれました。

景通から鎌倉氏を名乗ったようです。子孫は発展し各地に展開し分家していきます。鎌倉の名は景明で終了し次代義景は長江氏を名乗ります。血縁からいえば長江氏が本家のようですが、氏の大事な荘園、大庭御厨は大庭氏が継いでいます。長幼の序列より実力だったのでしょう。

■中興の祖 鎌倉権五郎景正

鎌倉氏は権五郎井景正の時に発展します。「権五郎」は権守の五男という意味と思いますが、景正の時代は地方長官として鎌倉に根をはっていたことがわかります。

景正は現在の村岡城址公園周辺で生まれ、その後村岡御霊神社付近にあった館に住まいしたようです。

この時期、源家三代目は八幡太郎義家です。義家が鎮守府将軍として鎌倉に下向した際、景正は大倉の自分の屋敷を義家に進呈しています。源家の屋敷もあったはずですが、規模拡張なのか、老朽化など屋敷に問題があったのかもしれません。

景正が拠点を移したのは現在の甘縄神明宮のあたりとの説もあり。

(1)後三年の役で天下に名を示す
景正16歳のとき、鎮守府将軍義家に従い奥州に出陣した。果敢に戦い目を射抜かれながら敵を倒して目に矢が刺さったまま帰陣します。景正は仲間に矢を抜くことを頼みます。三浦為次は景正の顔に足をかけて矢を抜こうとすると、景正は怒り抜刀します。理由を尋ねたところ、景正が答えるには、
  
「 弓矢で死ぬのは本望だが、顔に土足をかけられるは許さん。
 それならばお前を討ち、自害する 」 と。

周りのものは鎌倉権五郎の剛毅さを褒め称えたということです。武士階級が世に出た中世の空気を感じさせる逸話です。

(2)大庭御厨
後三年の役で華々しい登場をした景正ですが生涯は不明な点が多い。晩年に大庭御厨の開発に着手し成功を収めます。
         (前回の記事:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/no5-2-ffef.html)
武門の一典型として権五郎に興味がありますが、なかなか資料がみつからない。残念ですね。
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<坂ノ下御霊神社>
江ノ電長谷駅から5分程度で坂ノ下御霊神社(鎌倉権五郎神社)があります。大倉の館を義家に進呈して景正が居を構えた甘縄はこの御霊神社であるという説もあります。
  
頼朝の鎌倉入りと共に鎌倉五平氏のいくつかが衰退していきます。その後、この地に五平氏の祖である権五郎景正を祭ったのが坂ノ下御霊神社ではないかといわれています。こうした説が登場するのは、なんらかのゆかりがこの地にあったはずだと思います。

Photo  
●力餅屋
参道入口のような場所にある饅頭屋さんです。300年の歴史があるそうです。向かって左の石柱もいい。  

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鳥居の前を江ノ電が通ることで有名です。
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線路の先のトンネルを抜けると極楽寺駅
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    神社の由緒書     
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9月の面掛行列は有名です。奇祭というべきかな

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こぶりな境内です。
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拝殿(本殿?) 
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    鎌倉権五郎 弓立の松  権五郎が領地を見回る時に弓を立てかけた松
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屋根飾り なんというのかな?
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【坂ノ下御霊神社】

所在地  神奈川県鎌倉市坂ノ下

アクセス 江ノ電長谷駅より5分
                                                    きむらよしのぶ

 

古都鎌倉 no.5-5 鎌倉党武士団 梶原一族発祥の地

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                                                    鎌倉党 五平氏の拠点MAP

■梶原氏
梶原氏の祖は鎌倉権五郎の兄弟、景通の嫡男景久で子孫です。古代には梶原郷、中世には梶原荘の中心地だったと思います。この地を領有し、梶原を名乗るぐらいですから当初から大きな勢力だったのでしょう。景久の曾孫が有名な梶原景時です。
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●梶原景時とその後
ヒーロー判官義経のお陰で大層な憎まれ役になっていますが、彼が歴史を変えたことは事実です。
本人は気付いていたのかな?頼朝が旗揚げした石橋山の戦いでは大庭氏と共に敵として戦っています。
大庭氏と共に先陣であったように記憶しています。大庭氏は大きな領主ですから梶原氏はそれに匹敵する勢力だったと思います。

有名なのは石橋山で敗走し、洞窟に身を潜めた頼朝一行を見逃した逸話です。
    大河ドラマの「草燃える」で江原真二郎が梶原景時を演じておられましたが、これが抜群でね。芸の厚みと共に新しい景時像を演じきっておられました。だから私は景時によい印象を持っています。

頼朝が鎌倉に入り、景時はは頼朝の前に現れ御家人となります。

頼朝が天下を掌握して以後、景時の領地は全国に広がります。梶原の地も領地だったと思いますが、本拠は寒川町に移行します。

景時は幕府二代源頼家の代に弾劾を受けて滅亡します。その後も一族は全国に展開しています。
足利幕府に使えた勢力や尾張織田氏に仕えた一族、讃岐で勢力を保った一族など長く歴史に名を残します。

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<梶原の地>
湘南モノレール湘南深沢駅の周辺が梶原です。古代に梶原郷があり開拓地として古い歴史があるようです。北に村岡城跡、西に村岡御霊神社、鎌倉街道が通る要衝です。水利も豊かでよい農地だったのではと思います。

また鎌倉市街中には梶原からいくつかの道があります。緩やかな丘陵地を登ると、化粧坂に至ります。
新田義貞が鎌倉攻略戦の本軍をこの地においたのは、多くの道があったからだと思います。

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湘南モノレール この風景大好きです。
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駅から5分程度で深沢小学校につきます。日曜だったのでグランドでは少年サッカーをやっていました。
    (一応断って入りました)
正門を入るとすぐを左に。校舎の山側にいくと梶原景時の供養塔に至ります。

●①梶原景時一族の供養塔
やぐらの中は梶原景時と一族の墓とも、後の供養塔ともいわれています。景時が滅亡した時の館は寒川町にありました。この地も領地だったのでしょうか?それにしても謀反人ですから、鎌倉に近いこの地に公式な墓を用意したとは思いにくいのですが。

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梶原御霊神社  
御霊神社は先祖である鎌倉権五郎を奉っていて、景時がこの地に勧進したらしい。
    
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ご近所の方と一緒に参拝しました。立地がよいですね。
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本殿に掛かる由緒書
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社殿横のやぐらと鎌倉権五郎の供養塔 
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このやぐらは何なのでしょう。いわくありげです。
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梶原の館跡などの痕跡はありません。寒川町の梶原館址を見るとこの地でもそうとうな規模だったはず。
他の五平氏の本拠は丘陵にある為、この地でもそうだと思うのですが糸口がありません。発掘資料を読んだらヒントがあるかもしれません。これは宿題にしておきます。


【梶原御霊神社】

所在地  神奈川県鎌倉市梶原2丁目
アクセス 湘南モノレール湘南深沢駅より10分
                                                きむらよしのぶ

ジャパン対サモア戦 IRBパシフィックネーシヨンズ・カップ2012

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    今日の秩父宮ラクビー場はサモア戦。このクラスではサモアのラクビーが好きです。粘り強くディフェンス
    でしのぎじりじりと追い上げる感じなんです。秩父宮はこの映像が大好きです。

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    選手登場。今日は楽しみはこのあとです。

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     サモアのウォークライです。後姿でごめんなさい。興奮しました。

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    前半はジャパンがリードする展開。

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    いつものパターンでじわじわとサモアが出てきました。フォワードが走らないととめられないのだか。
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     両チームとも小さなミスであり攻め切れていない感じだが。

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    1点差。ジャパンとしては惜しい結果でしたが、後半はやっぱりサモアの圧力に押されてましたね。
    でもいい試合でした。    

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    先週はなでしこリーグでした。スタジアムはいいですね。

                                                    きむらよしのぶ

吉祥寺のB級グルメ いせや公園店 に行ってきました

    1960年創業の焼き鳥屋さんで、吉祥寺の名物店です。老朽化で建て替えが決まり6月に初旬にプレスに流れました。
    閉める前に絶対行こうと思っていました。会社のメンバーといってきました。

    到着したのが19時でしたが、既に長蛇の列です。吉祥寺駅から丸井横の道から井の頭公園に向かいます。
    公園の入口にあります。

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    どうしようかとめちゃくちゃ迷いましたがiPADで遊びながら30分、仕事が終わったメンバーが 合流。コンビニに
    ビールを買いにいかせてそれからも30分ほど待って入りました。

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     味わい深い絵柄がたくさんあります。この風は油っぽいでしょうね。

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    いいね!

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    1階のホールです。部屋もあるしカウンターもあります。

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    2階の畳の部屋に通されました。300人ほど入るらしい。

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    ぎっしりと詰まった、しゅうまい   ボリュームがすごい。うまい。

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    餃子 これもすごいボリューム 食べたことのない餃子でした。

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    そして焼き鳥  串80円という破格の値段。塩でいただきましたがこれもうまい。

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    みんな大満足です。ホッピー頼むのを忘れました。ちなみにたっぷり食べて呑んで一人2000円、安い!

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    お店を出たのは21時半頃。もうお店は終りです。隣のスターバックスとの対比が面白い。

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    時代を重ねた雰囲気は抜群、食べ物もうまい。不潔で、サービスは最悪ですがこれが絶妙なバランスです。
    近ければ足を運んだでしょう。残念ですね。またいい店がなくなります。

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古都鎌倉 no.4-6 化粧坂(けわいざか)切通

鎌倉七口(切通)の最後は化粧坂切通です。

化粧坂切通は他の切通と違って複数の道が通る丘陵にあって、中心的なルートの特定は難しい。また丘陵の山頂には市場、商店街が形成されていたようで、私は化粧坂切通がメインの出入り口だったのではと考えています。

鎌倉時代に鎌倉街道の整備が進みます。鎌倉から武蔵国の中心(府中)へ向かう主要な道の鎌倉側の境界でもありました。

●化粧坂(けわいざか)切通の由来

名前の由来はいくつかあり、次のとおりです。

鎌倉に入るため前に身だしなみを整える場所だったから
     
首実検のため化粧した首が通るため

郭があり遊女のおしろいを想定したから

などがあります。古い書では“気和飛”とも書き、にぎやかな場所を意味する言葉である為古くから歴史を見てきた場所だったのでしょう。
●本来のルート
鎌倉市街中側の入口ははっきりしていますが、現存する切通を抜けて尾根に出ればいくつかの道があります。当時のルートははっきりしません。

現在鎌倉市街中から化粧坂を登ると公園化しています。源氏山公園が十字路のようになっていて大きく4つのルートがあります。

北鎌倉へのルート
洲崎へのルート
梶原へのルート
大仏・極楽寺へのルート

ハイキングコースになっているものの。穏やかな道です。

鎌倉時代の化粧坂を考えるファクターはいろいろあります。

一つ
化粧坂を登り、市街地を出るとそこには鎌倉の地を切り開いた平良文の晩年の拠点村岡城跡があり、その後子孫が展開し鎌倉五平氏といわれた氏族の本拠地が広がっています。鎌倉では早期に開拓された地で
市街中へのルートもあったはず。郡衙もあり頻繁に出入りがあったように思います。

二つ
また、後年新田義貞の鎌倉攻略では当初新田本軍が本拠にしたのは村岡城であり、現在の深沢地区でした。
 “鎌倉城”の大手門のような位置づけがここ化粧坂にあったのではと想像できます。

三つ
化粧坂の周辺は北條氏の別邸などがあり、切通の整備は北条執権が登場以後急速に広まっていきます。
鎌倉は開幕以来急激な人口増加で市街地中で繁華な街づくりが難しかったのでしょう。そこで街中に近い、
比較的穏やかな丘陵地で、街道筋にあたるこの化粧坂周辺が繁華になったと考えました。

さて当時の道ですが切通を通過後、洲崎(下記地図の①)ルートが一番自然なように思いました。
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<化粧坂切通 地形図 (赤いルートです)>
①~⑤が代表的なルートのようです。一部をのぞいて歩きやすいハイキングコースになっています。

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鎌倉駅から今大路を北に向かいます。寿福寺の前を通り線路沿いに進みます。少し進むと左折して3分ほど行くとこの看板が。
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5分弱で切通につきます。

標柱  ここから先が史跡指定を受けているようです。

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標柱を超えるとさっそく急坂です。岩が滑る。くだりはかなり危険です。
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前日が雨だったら大変みたいでした。
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上りきると解説版が出てきます。
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源氏山公園の源頼朝像 山頂は公園化しています。家族も多い。
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葛原岡神社前の広場
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今回は②のコースで梶原に下りました。
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他のコースは別の記事で紹介します。                                                                                                                        (撮影:2012年5月13日並び5月26日) 

                                                    きむらよしのぶ     

京都市の史跡 六条堀川源氏館跡 左女牛井の碑

今回の大河ドラマは視聴率では大苦戦をしています。平安時代のドラマは歴史上の出来事が視聴者にイメージしにくいからだとおもいます。

今回は過去にないアプローチでよくやってると思うのですがうまくいかないものです。私は今年鎌倉に通っています。あわせて関西に戻ると、鎌倉に関係する史跡に足を運んでいます。

源頼朝は先祖の源義家が関東・東北で名声を高め、義朝が関東に基盤を作った為、関東出身の武門のようですが、河内源氏の棟梁で関西の出身です。

源氏の館は現在の六条堀川周辺にあったといわれています。現在あとには左女牛井跡の碑があります。
当時京の三名水の一つとして有名でした。この水が館に引き入れられていたとのことです。この界隈に館があったようです。

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    解説版が読めないので書き起こしておきます。

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左女牛井跡
京の名水として平安時代より知られ、源氏の邸、いわゆる六條堀川館の中にとりいれられていた。
室町時代には南都の僧村田珠光がこの畔に住み、茶道を興し、足利義政も来遊したという。江戸初期元和2年5月織田有楽斎はこれを改修した。内径2尺4寸の円井戸であった。その後、天明の大火で埋もれたが、寛政2年、薮内家6世によって修補され、その碑が七世によって建てられたが、丸井戸碑とともに第二次世界大戦最末期の民家の強制疎開とともに撤去された。
昭和44年醒泉小学校百周年記念事業のひとつとしてここに碑をたて、名水を偲ぶよすがとした。

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平氏は伊勢を本拠にしていた為、東海道を意識して六波羅に館をおいたといわれています。河内源氏の六条堀川館は当時の堀川の水利を考えたのでは、と想像をしています。

現在の堀川は暗渠で地表に水は流れていません。しかし当時の堀川は平安京の大動脈でした。堀川は南に下って淀川に入っていたはずですから、そのまま大坂に出ることができたはずです。考えすぎかなぁ。

残念ながら、館跡はこれだけです。京都の史跡は想像を広げてくれて楽しい。

義朝がなくなり、頼朝が旗揚げをし源義経が京の平氏を西国に追い落とします。義経が本拠を置いたのは六条堀川館です。おそらく義経の幼少期はこの館に住んでいたのでしょう。

また、頼朝が天下を得て上洛したときに六条堀川に宿泊したといわれていますが、この屋敷の維持はどうしていたのでしょう。調べてみたのですがわかりませんでした。
    (撮影:2012年5月2日)

                                                    きむらよしのぶ

なでしこリーグ 日テレ・ベレーザvsINAC神戸レオネッサ みてきました

    なでしこリーグをはじめて観戦。というよりプロサッカーを見るのは初めてです。こういうのがなでしこ人気
    なのでしょう。私としては国立競技場が近かったというのが大きかったのですが。

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    昨年のワールドカップ優勝で“なでしこ”に関わる多くの人生が変わりました。それまでのリーグ戦は無料
    試合がほとんどでした。有料試合だと試合会場のレンタルフィが跳ね上がりとても対応できなかったと
    いいます。今日は私のようなミーハーもいれて、入場者数1万6663人。Jリーグの平均入場者数を超えて
    いるとのことでした。
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    こんな感慨を持ちながら、選手入場が始まったら興奮しましたね~

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    サッカーは詳しくないし、Jリーグもあまり見ません。どちらを応援するわけでもありませんが、読売系は
    応援しないから神戸かな

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    中央は澤選手。隣は近賀選手ですね。

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    川澄選手。彼女が左サイドを駆け上がってファールを得ました。

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    後半15分 川澄選手のフリーキックで神戸が得点し逃げ切りました。

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    試合終了後、選手はサポーターに挨拶に向かいますが、澤選手と川澄選手はプレスの対応に。
    その後、両選手がサポーター席に向かいますが、黄色い声が上がってました。この二人はやっぱり特別
    なんですね。

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    いい天気で、日焼けでひりひりしています。
                                                     きむらよしのぶ   

古都鎌倉 no.4-5 極楽寺坂切通

極楽寺坂は鎌倉七口(切通)の一つで、七里ヶ浜に繫がっています。坂の名前は坂の西にある極楽寺があることからそう呼ばれてきたのだと思います。

極楽寺創建は正元元年(1259)といわれていますからこれ以降だったと思います。それ以前、西側から鎌倉に入る道は稲村ガ崎の海岸線を通っていたようです。潮の満ち引きもあり難路だったはずです。極楽寺坂切通が出来てからは稲村ガ崎ルートは廃道になったようです。

現在の極楽寺坂は一般道となっていて、壁面はコンクリートが張られ往時の面影はありません。当時は他の切通と同様、山の上を越えていたはずですが、現在はかなり掘り下げられていてます。
そんなことで、極楽寺坂切通は鎌倉七口で唯一国指定史跡から外れています。

     
<極楽寺坂切通 地形図 (赤いルートです)>

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江ノ島電鉄長谷駅から御霊神社に立ち寄ったあと切通に向いました。事前情報がないと通り過ぎそうでした。距離は200m程度だと思います。

●標柱が右側に見えます。道の先は極楽寺駅です。

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標柱
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振り向いて長谷方面を。下っているのがわかるかな?右の階段は成就院への参堂です。
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成就院の参堂(階段)から切通を眺めます。
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成就院 参堂   成就院は切通開削以前から存在しました。切通はこの坂のように山を登っていたはず。成就院は切通に面していたのかもしれません。
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鎌倉市街地と由比ガ浜と材木座海岸  成就院階段から
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成就院は新田義貞の鎌倉攻略戦で焼失します。攻略戦は別の機会で。
           
                                                                                                                  (撮影:2012年5月13日並び5月26日) 

                                                    きむらよしのぶ     

銀座 歩行者天国 ブラブラしました

    結局雨が降りそうもないので、外出することに。今週末は奥さんが来ているので昨日は横浜、今日は銀座にしました。
    
    その前に、築地に行ってみました。日曜は市場はお休みですが今日は特に人出が少なくて待ち時間が少なくて助かり
    ました。

    当然のように寿司ですがその前に、タレントのテリー伊藤の実家、玉子焼きの丸武に行ってみました。

    ○丸武  よくテレビでみます。店頭にはテリー伊藤の写真がありました。

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    関西の出し巻きより味が濃いですね。好みからすると関西のものが好きやなぁ。

    築地場外からブラブラと銀座に向かいます。

    週末に銀座に出るのは2年ぶりぐらい?もっとかもしれません。夜も行かなくなりました。
    まだ若いのにと先輩たちに叱られそうですが、呑んで帰りが面倒でついつい銀座には出なくなりました。

    ○まだ、歩行者天国をやっているのですね。
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    ○キムラヤ   フランスパンで包んだあんぱんが目当てです。

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    なんで屋台が出さないのでしょうか。路上でオープンカフェのような空間があった方がよいと思うのだが。
    店舗との関係で難しいのかなぁ。私は、一工夫がほしいと思います。なんせUNICLOが銀座に出る時代
    ですから。

    ○そのUNICLOの12階から向かいの松坂屋屋上を眺める。

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    この屋上、使えると思います。このロケーションでなんかイベントがあると行く人増えると思うんやけど。

    1丁目から8丁目までぶらぶらして新橋駅に出ました。珍しく天気予報が外れた週末でした。
                                                    きむらよしのぶ

 

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