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三重県の史跡 絶品! 田丸城跡

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伊勢神宮の帰りに看板を見て「田丸御所や」と思い足を向けました。有名ではありませんが、足を運んで自分の認識不足を知りました。中世城郭を戦国様式にとりこんだ城郭で縄張りの保存もしっかりしています。全国レベルの城跡だと思いました。このお城、絶品でした。この機会に織田信長の伊勢攻略を調べてみました。


織田信長は18歳で家督を継ぎ、本能寺でなくなったのは50歳。“天下布武”の躍動は32年間だったんですね。18歳からの約10年間は尾張の制圧と岐阜攻略に費やされました。岐阜を得た信長は飛躍します。信長の上洛戦は歴史の華ですね。美濃を得て北近江の浅井家と結び一気に京にのぼります。各地の武将は驚愕したでしょう。
反信長勢力は連携して蜂起し三河以外の全ての国境で戦いが始まります。

伊勢は織田軍の本拠尾張・美濃は隣国で、東海道が通っており、戦略上信長は重要視していたはずです。


●信長の伊勢侵攻戦

美濃を手に入れた時期、信長は伊勢に兵を送ります。当時伊勢国の勢力は北部・中部・南部に分かれていました。
北部は小豪族群、中部には関氏や長野氏、南部は北畠氏が展開していました。織田家の伊勢方面軍は滝川一益が指揮をとり、多方面で敵を抱える織田軍は6年をかけて伊勢を手に入れます。

途中、最も尾張よりの長島で一向一揆が起こります。織田軍が伊勢侵攻を始めてからも長島は敵対することなく、静観していましたが、大坂の石山本願寺攻めを開始した段階で、連携して織田軍に攻撃久を開始します。
この話題は切りがないのでこのへんにしておきます。

長島一向一揆を鎮圧した信長は、いよいよ南伊勢の北畠家に侵攻します。この時点で信長は上洛して、すでに大勢力となっていました。北畠家も迷ったでしょう。戦闘が開始されますが、次々に落城していきます。最後は、和議を結びますが、条件として信長の次男信雄が北畠家を継ぎます。戦闘を続ける被害より内部に入り込んで崩壊を狙う信長らしい戦略だったのでしょう。この後。北畠家の血縁者は次々と謀殺され、完全に織田家にとりこまれます。伊勢制圧後信雄が居城としたのが田丸城です。ちなみに、織田信長にとって伊勢攻略の一番の収穫は九鬼水軍を手に入れたことだと私は思っています。九鬼義隆によって石山合戦が多いに進みます。


●田丸城の歴史

延元元年(1336)、南朝の指導者だった北畠親房がこの地に築城したのが始まり。伊勢神宮の守護や伊賀から京都に通じるルート、南北朝時代は吉野の南朝に入る入り口の一つとしても重要な拠点だったようです。
室町時代には多気館(多気御所)を構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となっていた。

天正3年(1575)織田信長の次男で北畠氏を継いだ織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を設け、本丸には3層の天守閣を建て、田丸城と改称した。
天正8年(1580)には、放火によりこの天守閣をはじめ城は全焼し、信雄は松ヶ島城を築いて移った。

その後、玉丸直昌が修築し、稲葉氏、藤堂高虎と領主が変わります。


江戸時代は紀州藩の飛び地となり、家老の久野宗成が代々城代を勤め、明治を迎えた。


城は、明治2年(1869)に廃城となり、同4年(1871)には城内の建物は取り払われた。

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<田丸城址>

○大手門 門を入って左側に玉城町庁舎があります。Cimg6663_2    
○大手門にある玉城庁舎。大河ドラマは町おこしなんやね~
 車は庁舎の駐車場に止めてスタート。はるみちゃんは車で休憩。

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○外堀

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○石柱 大手門を入ると正面に。ここから上っていきます。

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○内堀 外堀と比較すると若干幅が狭い。

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○富士見門(長屋門) 城内に残る唯一の建築物。江戸時代中期の門で一旦城外に払い下げられたものを昭和に入り再び移築復元したものです。玉城町指定有形文化財でした。

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○旧三の丸付近から本丸・二の丸をのぞむ。数台分の駐車場がありました。

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○旧三の丸にある解説版

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○地図を取り出しました。中世の典型的な平山城です。三の丸付近は町立玉城中学校がたっています。

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○本丸虎口 アプローチ

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○本丸虎口 解説版

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○ここを抜けると右側が北の丸、左側に本丸が広がります。

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○北の丸跡  稲荷神社がありますが広場になっていました。

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○本丸へのアプローチ  石垣が美しい。

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○二の丸跡

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○北の丸付近から南に広がる町と石垣 高さがわかりますか? 絶景です。

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○北の丸付近からの真下。土塁があるのがわかります。

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○本丸北側の石垣

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○本丸付近より西側を眺める 平野の先は伊勢湾です。

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○南側

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○本丸にある天守台跡

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○天守台 地下倉のあとのようです。

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○天守台から本丸を眺める

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平野部の孤峰で絶景です。ドラマロケになりそうです。縄張りもしっかり残っています。かなり値打ちありました。
                           (2012年5月5日訪問:アップするのを忘れていました)

■田丸城址

所在地   三重県度会郡玉城町田丸字城郭

アクセス JR参宮線田丸駅から、徒歩約10分
   
○地図
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