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古都鎌倉 no.5 鎌倉党武士団

鎌倉の名が初めて文献に登場するのは古事記です。ヤマトタケルノミトコの子孫が相模に土着したようで鎌倉別の祖という表現で登場します。伝承に近いと思いますが古事記がかかれた8世紀前半には鎌倉が地域名と認知されていたようです。

古事記が献上された時期に中臣鎌足の子孫で染屋太郎時忠なる人物が東八カ国総追捕使として鎌倉に居住しています。

時代は下り将門が活躍した10世紀に桓武天皇の五代で坂東平氏の祖といわれる平良文が鎌倉の村岡あたりに拠点をおいたとの文献があります。

この後の鎌倉の勢力変遷がわかりにくい。私だけかもしれないが。源頼義は相模守となり鎌倉に居を定めます。頼義の子供は義家で彼も鎌倉で生まれたようです。源氏が鎌倉に基盤ができた時期だと思います。

義家の代に登場するのが鎌倉権五郎景正です。八幡太郎源義家のもと、後三年の役で功名をし鎌倉郷に基盤をつくります。彼は平氏なのです。現代から見れば源氏と平氏は敵対関係に見えますが、婚姻関係も多く血族の保守性は感じません。義家は都が基盤のはずですから、鎌倉は股肱のものに任せたのではないかと思います。それが鎌倉権五郎景正と推測しています。彼の子孫が鎌倉の各地で勢力を拡大していきます。

いろんな見方があるようでずが大庭氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏、鎌倉氏が代表的な五平氏と呼ばれています。
こうした鎌倉権五郎景正の後裔たちが鎌倉党といわれています。この後は源義朝が登場し平氏の枠組みを壊し、
頼朝の時代には政権が鎌倉にやってきました。五平氏の拠点を訪ねていきます。

●鎌倉五平氏 拠点MAP
Map
                                                                   きむらよしのぶ

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