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古都鎌倉 no.5-2 鎌倉党武士団 大庭氏と大庭城址

Map_2                                                      鎌倉党 五平氏の拠点MAP

■大庭御厨の成立と発展

鎌倉権五郎は大庭御厨という荘園を開拓します。荘園とは農業開拓地であり、権五郎は開拓した土地を伊勢神宮に寄進し保護をうけることで成立しました。御厨の「御」は伊勢神宮ということです。

権五郎は源家の郎党ですから源義家に寄進すべきですが、義家への寄進が禁止されていた時期だったためのようです。

義家は英雄的武略の反面、官僚としては不遇な後半生を送っています。平安時代後期の荘園はこうした都や宮廷に近い勢力に寄進して公認するケースが増えてきます。現代の子会社化や業務提携のようなものです。
現代社会とはちがって土地登記の考え方が曖昧で、周辺武士団とは常に緊張関係にあったはずです。

大庭氏は鎌倉権五郎の子孫がおこしました。本拠を相続したわけです後継者の中でも実力があったのだしょう。成立は12世紀前半です。
    
■鎌倉幕府成立と衰退

12世紀半ば源家は義朝が率いて関東で頼信以来の基盤拡大に腐心していました。義朝は大庭御厨への浸蝕行動を開始します。数度にわたる戦いで大庭御厨は朝廷の裁定で一応勝利を収めますが損害が大きく衰退してようです。
また戦闘を通じて源氏の傘下に入り、その後保元の乱を戦います。鎌倉幕府の成立時には一族がわかれて戦います。幕府内で重きを成しますが北条氏との勢力争いに破れ和田合戦に連座して衰退していきます。
     
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●大庭城址

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大庭城周辺は宅地化しているものの、高い建物がなく山野は当時の趣を伝えています。鎌倉党が本拠をおいた往時を想像しながらの散歩がよい。城址の南側には農地が広がっています。標高42.8mの大規模な平山城です。
東に引地川、西に小糸川に挟まれた要害の地といえます。成立年代は不明で、鎌倉権五郎が開拓した頃の居城か否かは確定していません。室町時代後半に築城の名手太田道灌が本格的な中世城郭としたようです。その後、後北条氏の居城となり最後は豊臣秀吉の北条攻めで廃城となりました。

城は北側が宅地化され城址公園として南部が名残るが相当な規模です。    

●公園内の石碑
Cimg7097_2

●公園MAP  芝生の広場がいっぱいです。

Cimg7094_2
●残る遺構はほとんどが戦国時代のもの。

Cimg7098_2
●四つの郭に分かれています。建物址が保存されています。
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●建物の柱址
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●堀址
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●土塁址
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●縄文時代からの遺跡が発見されています。

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●引地川からの遠景
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現在も農地が広がり、水利もよく大荘園であったことがわかります。五平氏の拠点を訪問してみましたが鎌倉郷でもこれだけの規模の開拓可能地はなかったように思います。

◆大庭城址

所在地  神奈川県藤沢市大庭6323
アクセス  JR辻堂駅、小田急湘南台駅よりバス。本数はかなりあります。

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