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古都鎌倉 no.3 鎌倉国衙跡と源義朝館跡

神奈川県は江戸時代までは相模国でした。時代をさかのぼって律令時代の相模国は8つの「郡」に分かれていてこの地には「鎌倉郡」がありました。

発掘調査の結果、鎌倉市役所付近に郡衙があったことがわかってきました。

「郡」は現在にすると「市」にあたります。郡の長、郡司は在地の有力豪族から選ばれていました。郡司は平安時代に入り国司の受領化が進んだことで衰退をしたようですが、この勢力がその後武士化していったのではないかと思います。

そう考えるとこの地には古代から武士政権のベースがあったのかもしれません。ということで今日は郡衙跡、源義朝の館跡を歩いてみました。
   

●鎌倉郡衙(今小路西遺跡)
    
(1)場所

現在の市役所、御成小学校の一帯の遺跡です。残念ながら標識・開設板も未設置でした。

Cimg6352_2

小学校の校庭 正面の建物は鎌倉市役所

Cimg6368

(2)立地
Photo
郡衙があった頃は鶴岡八幡宮もなく、若宮大路もありません。滑川は現在の流れではありません。背後に山を背負い、南には砂丘が形成した高台があり堤防代わりになっています。当時の街道がはっきりしませんが鎌倉七口の化粧坂、極楽寺切通、大仏切通に近く交通至便な場所だったのでしょう。
現代の市役所が同じ場所にあることが妙味ですね。人間のやることは時代が変わっても同じなようです。

(3)規模

都筑郡衙跡を訪れたことがあります。小学校4つ分ほどで同じような規模だったと思います。

(以前の記事:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-5f6f.html)
    
残念ですが保存遺跡はありません。一回りしてこの土地の意味合いを感じるのが面白いかも。中央図書館が南側にありますから、資料を眺めるのもいいかも。私はそうしています。


御成小学校正門前の道は今小路通りで、鎌倉時代以降南北の重要道路です。創設時期は明確ではありませんが郡衙があった時期には当然成立していたはずです。ひょっとすると鎌倉街道が北から鎌倉につながり、古東海道が極楽寺切通を通っていたとすると今小路通りがメイン道路だったかもしれません。
    

●源義朝館跡(寿福寺)

今小路通りを北に200mほど進むと山が迫り、寿福寺があらわれます。この地が源義朝の館跡といわれています。
    
河内源氏初代源頼信、二代頼義は平忠常の乱の平定を通じて東国へ進出し、平直方の屋敷を譲り受け、鎌倉に拠点をおくようになります。三代は有名な八幡太郎義家です。数々の伝説を残した英雄です。

彼の活躍は武門が宮廷政治に参入した歴史的なものでした。義家は東北の争いに参入し関東・東北に基盤を残したが、大変な苦労をしました。彼の没後東国での勢力は一時減退しますが、再び活発な活動を始めるのは義朝の時代です。
義朝は東国に下向し在地豪族と連携し勢力を拡大していきます。放送中の大河ドラマ「平清盛」では玉木宏さん演じる義朝が関東下向後の勢力拡大ぶりをワイルドに表現していました。
    
(1)立地

2
今はJRが分断していますが、今小路通りは当時亀ヶ谷坂、化粧坂につながっていたでしょう。山あいを抜けて平野地を一望にできる傾斜地の上に立地しています。また館の裏には源氏山があり義家が兵を募るために源氏の白旗を山頂に掲げた伝説があります。繋がりを求めるときりがなくなります。
      
(1)寿福寺  今日の大河で紹介されてましたね。偶然。

Cimg6350_2
案内板
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参道
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裏山である源氏山へのルートです。こんなとこ通れるのか?
Cimg6340_2
今日でまだ二回目です、鎌倉。こんな調子だと一年ぐらい掛かりそう。鎌倉は京都と同様に遺跡が残っていませんが調べていくとなかなか奥深い。本来相模国全体を見ないとクリアにならないことも多い。やれるところまでやってみます。
                               
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