無料ブログはココログ

« 耳障りやな 最近の「させていただく」言葉の乱用 | トップページ | 古都鎌倉 no.3 鎌倉国衙跡と源義朝館跡 »

古都鎌倉 no.2 鎌倉の土地形成 「海中だった鎌倉の町」

鎌倉の平野地は三方を山に囲まれています。市域は大船など内陸地を含んでいますが、ここでは平野地を中心に見ていきます。

縄文時代前期、海面は5m程度高くなり(縄文海進)平塚市・藤沢市は大半が海に沈んでおり、鎌倉も平野地はほとんどが海の底でした。

□鎌倉・逗子 縄文時代前期の地形推定

Cimg6359              『神奈川県逗子市桟敷戸遺跡発掘調査報告書』
              ~鎌倉・逗子市の地形発達史と遺跡形成より転載 著:上本進二氏

その後海面が低下し砂地があらわれます。陸地からの流水もあり、扇状地も形成されていきます。それ以前は山の上で生活をしていたようです。大船に近い常楽寺の裏山からは弥生時代の土器が発見されています。

また現在の江ノ島電鉄沿いに砂州が形成されます。今日このあたりをじっくり歩いてみましたが2mほどの海抜差がありました。
   
滑川が時代によって流れを変えます。流れを変えるということは氾濫も起こしたでしよう。しかし由比ヶ浜の砂州は避けざるを得なかったのではないでしょうか。従って現在の流れになったのではと考えました。
    
古墳時代にはほぼ現在の平野地が形成されていたようです。由比ヶ浜には古墳もつくられていました。どうしてこの地に人が住みだしたのかが疑問でした。山に囲まれた狭い谷地のような場所に。
   
今日、大船から北鎌倉、鎌倉と歩いてみました。恐らく縄文時代から現在の横須賀線沿いにやってきた人々は魚や貝をとっていたはずです。水が徐々に引いたはずですから、低湿地の場所も多かったでしょうね。

むしろそのことがアプローチしやすかったのかもしれません。
                                                 きむらよしのぶ 

« 耳障りやな 最近の「させていただく」言葉の乱用 | トップページ | 古都鎌倉 no.3 鎌倉国衙跡と源義朝館跡 »

古都鎌倉」カテゴリの記事

名所・旧跡・史跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210945/45071060

この記事へのトラックバック一覧です: 古都鎌倉 no.2 鎌倉の土地形成 「海中だった鎌倉の町」:

« 耳障りやな 最近の「させていただく」言葉の乱用 | トップページ | 古都鎌倉 no.3 鎌倉国衙跡と源義朝館跡 »