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東京都の幕末史跡 天然理心流 試衛館跡

試衛館は幕末にあった天然理心流の剣術道場です。四代目の道場主は史上有名な近藤勇、新撰組局長です。
新撰組の中核になったのがこの試衛館です。

●幕末 剣術の興隆

幕末の江戸は剣術が興隆しました。1800年代初頭から幕府が瓦解する1868年の間です。当時の江戸は恐らく世界一の人口を抱えた大都市でした。人口は150万人から300万人と推定されていますが、残念ながら資料が残っていないので確定を見ません。そのうちの士籍はわずか2万人程度であったようです。それ以外に浪人が存在したわけです。
江戸初期から浪人の存在は頭の痛い問題でした。

幕末期には政情不安や立身の目的で剣術に注目が集まり、多数の流儀・道場で活況を呈することになります。

幕末江戸の三大道場といわれた千葉周作の北辰一刀流玄武館、桃井春蔵の鏡新明智流士学館、斎藤弥九郎の神道無念流練兵館などが高名ですが、それ以外にも多数の流派が活動していました。

●天然理心流

天然理心流は江戸に本拠を置くものの、多摩・埼玉・神奈川の農村に出向き指導をすることで発展をしていきます。

創業期から多摩地区に基盤があったようです。二代近藤三助は後継を擁立せずに亡くなり10年ほどたって三代目を継承するのが近藤周助で近藤勇の養父です。
初代の道場は両国薬研堀にありました。北に柳橋があり繁華街として賑やかな場所でした。これは私の推測ですが、
江戸に出るに際し支援者がいてこうした一等地に道場を開けたのではと思います。この界隈には剣術道場は多数存在しました。弟子獲得競争も大変だったでしょう。初代近藤内蔵之助や二代近藤三助あたりはこうした環境を避けて多摩や神奈川に指導に向かったのではないでしょうか。まあそれはいい。両国薬研堀から三代周助の時代に市谷
柳町に移転します。四代近藤勇は現在の調布市の在で15歳の時に試衛館に入門します。天然理心流宗家四代目を
襲名し流派一門の宗家となるのが27歳。29歳には京都に向かいます。
従ってこの地で過ごしたのは14年間です。また宗家としてはわずか2年ですから彼が流派に残せたものは小さかったのかもしれません。さて現在の試衛館跡です。推定地に残念ながら歴史標柱のみが立っています。

○場所

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○標柱

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両国薬研堀からの移転は、多摩地区に近いという立地を優先したのかもしれません。推測ばかりですが両国薬研堀と比べて市谷柳町の方がコスト面でも手頃だったのではないでしょうか。足を運んでわかることですが、道場の規模も大きなものではなかったと思います。

そういえば、と思って調べたら昭和40年代に大気汚染で有名になった地区でした。

○市谷柳町 交差点

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交差点付近が谷底で車の排気ガスが滞留したのです。おそらく当時も一等地ではなかったと思います。

■試衛館跡

 住所 東京都千代田区市谷柳町25

 アクセス 都営大江戸線牛込柳町より徒歩5分

                                                         きむらよしのぶ

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