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2012年3月

外国人看護師 合格率11%に上昇?

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入院して看護師の仕事の難易度の高さをよくみました。私が脳外科の病棟にいたからかもしれませんが。

外国人看護師を導入することになって4年目。やっと合格率が10%を超えました。たぶん30年後にはNHKスペシャルに

登場する方々になるのでしょう。日本語の難易度は我々の想像以上です。特に医療言語は難しいから、

日常の仕事だけではクリアできるわけがありません。

医療介護分野への外国人の登用は必須です。高齢化スピードの著しい国ですから医療分野の仕事に

つく人そのもののシェアが下がっていきます。結構急務なんですこの件。

それは別としても不合格で帰国しないといけない方々はかわいそうですね。勿論、覚悟があって来日した

方々だし、母国では実績のある方々ですから単純に悲しむのも失礼ですがそれにしてもねぇ。

たまらないねぇ。制度の修正をしてあげてほしいね。

                                        きむらよしのぶ

ランナー膝 腸脛靭帯炎 やってしもうた

2週間前に25kmをやった後、膝が重いと感じていたのですが腸脛靭帯炎やってしまいました。

2~3年前にもこのシーズンに痛めました。しばらくはジョギングで接地の矯正とストレッチを
入念にして痛みは出なくなっていました。

繰り返し出るものだからしかたないけど難儀です。今日は10km過ぎで違和感が出たのです
ぐ止めて帰りました。靭帯の腫れはないようなのでひどくはなさそうです。

ストレッチとスクワットで筋力つけるしかないのだけども走りこんできただけに非常に残念。

靭帯のほぐし方を勉強しないと。これで毎朝、ストレッチという習慣になればいいかも。

                                             きむらよしのぶ

かならず “遅刻”するナイスガイ

いい子なんのですが遅刻癖がある子がいます。そもそも自信が時間に追われていることに興奮して
遅刻に問題意識を持っていないケースが大半です。若い頃にはありがちなことです。

この癖は致命的です。こんな子は人に紹介できない。特に年上の方には。紹介者である私が恥を
かきますからね。遅刻する子がよほど天才的なものを持たない限りこの癖をクリアできない。

首都圏は電車遅延が多い。しかし、10分遅れというケースはそれほど多くはない。だから電車遅延
が理由にもなりません。10分前程度の到着はあたり前なことだから。

またこういう子は表面的には“ナイスガイ”が多いから困りものです。本人もそれを売りにしたりしている。

この数日で二つの事例があった。一人は車が込んでいるので遅れるかもしれないので時間の変更を
依頼してきたケース。それも一時間以上前に。気持ちよいですね。間に合うかもしれないのにね。

もう一人は前回に続きの遅刻、それも数分。彼はそのことには触れずに話しに入りました。難儀です。

私のある先輩は必ず叱り付けていました。続くと引導を渡していました。私も最近は真似をしています。

若者の自由な価値観、型にはまらない行動を容認するのも大事だが最低限の規範のないところに
よいものが出るはずがない。もっとも遅刻などはそんな大げさではなくダメなことなんやけどね。
難儀ですね。

                                               きむらよしのぶ

吊るし雛 都筑区せせらぎ公園 古民家

正式には『雛のつるし飾り』というらしい。伊豆稲取が発祥で江戸時代後期からのようです。私は段飾りにもあまりご縁がありません。

ランニング途中の港北ニュータウンで偶然出会いました。

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かなりの数の飾りがあります。どのくらいの種類なのでしょうね。

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このカットの密集度はえらいことなっています。

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購入したら価格はどんなものなのでしょう。

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現代の住宅事情では難しいでしょうが華があります。

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真横から飾りを撮影しています。

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古民家は「旧内野家住宅」です。内野家は、もともと京都の出身です。大阪夏の陣の功績より荏田に領土を与えられ、

それ以後現代まで続く旧家です。旧内野家住宅は、昭和55年にせせらぎ公園内に当初の形式に近い形で復元されたものです。

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ジョギングの途中に立ち寄りました。来年は伊豆稲取に行ってみたいものです。

                                                      きむらよしのぶ

京都市の史跡 六波羅蜜寺 平氏の拠点跡

Cimg4393_2_2                                                      撮影:2012年3月1日

●六波羅

平氏が勃興期を過ごした六波羅は京都の東山区は平安京の外、つまり洛外にありました。平安京は左京がすぐ衰退し、

鴨川側の右京に偏った都市構造になりました。鴨川はしばし氾濫し京の民を苦しめるのですが現在の東山区は都を囲む

山坂の続きにあり水害面では優位な地域だったのではないでしょうか?平氏がいつの時代から六波羅に拠点をおいたのか

はわかりませんが、新興勢力らしい地盤構築だったのではないでしょうか?また六波羅の地は京に入る街道を押さえる地

でもあり物流の面でも平氏に利があったのでしょう。六波羅蜜寺から七条におりたあたり、現在の三十三間堂の周辺が

後白河法王の政庁があった場所です。平氏の結びつきが見て取れます。当時のこの地域の地図「六波羅・法住寺殿復元図」

をあげておきます。(http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike03.html)

平清盛が殿上人となった頃は西八条殿(以前の記事:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-f911.html)

に移転しており晩年は福原に身をおきます。

●六波羅蜜寺

平氏の屋敷跡は六波羅蜜寺を含むかなり広大な地域です。現代の六波羅蜜寺は当時の10/1程度かもしれません。

Cimg4395_2                                                     撮影:2012年3月1日

京都の歴史石柱「此付近~」というこだわらない姿勢がこの地の歴史の複雑さと都人の物事の捉え方をあらしています。

Cimg4400_2                                                     撮影:2012年3月1日

平氏滅亡後、源頼朝が都に上ったときに滞在したのは六波羅で、その後六波羅探題がおかれます。六波羅探題は

足利尊氏によって討たれ歴史的役割を終えました。

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                                                     撮影:2012年3月1日

平清盛坐像

Cimg4396_2                                                     撮影:2012年3月1日

近年、発掘調査があったようだが資料を見ていないのでまた後ほど。3月1日に訪問したのにアップするのを忘れてました。

■六波羅蜜寺

住所 京都市東山区五条通大和大路上ル東(http://www.rokuhara.or.jp/accessmap/)

                                                     きむらよしのぶ

講座 『日本学』 があっらいいいなぁ

海に囲まれた島国で土地で国境を接しない日本は独自の発展を迎えます。私は鎖国の260年と開国の瞬間がもっとも

日本を変えたと思っています。浦賀沖に米国の艦隊がやってきて開国を迫った時に始めて「日本」という国家観が成立

します。当時の日本の政治家や識者は日本の歴史を踏まえてうまく外国を受け止めたと思っています。

この時代に発刊されて流通したのが頼山陽の『日本外史』です。この書は幕末の尊皇攘夷運動や勤皇思想に、多大な

影響を与えました。

明治になり結果としては開国に至るのですが、過去の日本を見直したことが自信になったと思っています。おそらくこの

自信がなければ植民地のようになったかもしれません。

今日の日本にはこうした自信、民族の歴史観、国家の背景を理解する努力が不足していると思います。単に政治批判を

くりひろげても答えはでない。

以前から考えているのは『日本学』を学校の授業としてとりいれること。現在の社会、国語、歴史を融合したもので、

「日本とは何か」が語られるもの。自分たちのことがわからずに前には進まないから。

ちなみにオランダには長い交流から「日本学」なる学問と講座が存在します。ノウハウをもらいたいものです。

                                                 きむらよしのぶ

東京都の幕末史跡 天然理心流 試衛館跡

試衛館は幕末にあった天然理心流の剣術道場です。四代目の道場主は史上有名な近藤勇、新撰組局長です。
新撰組の中核になったのがこの試衛館です。

●幕末 剣術の興隆

幕末の江戸は剣術が興隆しました。1800年代初頭から幕府が瓦解する1868年の間です。当時の江戸は恐らく世界一の人口を抱えた大都市でした。人口は150万人から300万人と推定されていますが、残念ながら資料が残っていないので確定を見ません。そのうちの士籍はわずか2万人程度であったようです。それ以外に浪人が存在したわけです。
江戸初期から浪人の存在は頭の痛い問題でした。

幕末期には政情不安や立身の目的で剣術に注目が集まり、多数の流儀・道場で活況を呈することになります。

幕末江戸の三大道場といわれた千葉周作の北辰一刀流玄武館、桃井春蔵の鏡新明智流士学館、斎藤弥九郎の神道無念流練兵館などが高名ですが、それ以外にも多数の流派が活動していました。

●天然理心流

天然理心流は江戸に本拠を置くものの、多摩・埼玉・神奈川の農村に出向き指導をすることで発展をしていきます。

創業期から多摩地区に基盤があったようです。二代近藤三助は後継を擁立せずに亡くなり10年ほどたって三代目を継承するのが近藤周助で近藤勇の養父です。
初代の道場は両国薬研堀にありました。北に柳橋があり繁華街として賑やかな場所でした。これは私の推測ですが、
江戸に出るに際し支援者がいてこうした一等地に道場を開けたのではと思います。この界隈には剣術道場は多数存在しました。弟子獲得競争も大変だったでしょう。初代近藤内蔵之助や二代近藤三助あたりはこうした環境を避けて多摩や神奈川に指導に向かったのではないでしょうか。まあそれはいい。両国薬研堀から三代周助の時代に市谷
柳町に移転します。四代近藤勇は現在の調布市の在で15歳の時に試衛館に入門します。天然理心流宗家四代目を
襲名し流派一門の宗家となるのが27歳。29歳には京都に向かいます。
従ってこの地で過ごしたのは14年間です。また宗家としてはわずか2年ですから彼が流派に残せたものは小さかったのかもしれません。さて現在の試衛館跡です。推定地に残念ながら歴史標柱のみが立っています。

○場所

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○標柱

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両国薬研堀からの移転は、多摩地区に近いという立地を優先したのかもしれません。推測ばかりですが両国薬研堀と比べて市谷柳町の方がコスト面でも手頃だったのではないでしょうか。足を運んでわかることですが、道場の規模も大きなものではなかったと思います。

そういえば、と思って調べたら昭和40年代に大気汚染で有名になった地区でした。

○市谷柳町 交差点

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交差点付近が谷底で車の排気ガスが滞留したのです。おそらく当時も一等地ではなかったと思います。

■試衛館跡

 住所 東京都千代田区市谷柳町25

 アクセス 都営大江戸線牛込柳町より徒歩5分

                                                         きむらよしのぶ

今朝の朝日新聞1面 「巨人、6選手に契約金36億円」

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これが1面の記事でした。私は阪神ファンだから必然的に読売ジャイアンツ嫌いですが東スポやあるまいし大手新聞が

1面にこんな記事を使うとは見識を疑います。最近ではオセロ中島さんのニュースもそうですがメインメディアが注目する

必要のないニュースに露出が集中する。ひどすぎます。

半年ほど家にいてテレビを見ていました。始めはずっとつけっ放しでしたが余りに内容がないので後半はほとんど

テレビをつけることがなくなりました。テレビ・新聞業界の経営者は何をしているのでしょう。今の日本は新しいテーマ

設定が必要なのに手を打っているように思えない。

読売の記事も取り扱ってはいけないとは思いませんが、バランスが悪すぎます。見識ある仕事をしてもらいたいものです。

ちなみにこの記事、巨人だけでなく他の球団にも疑惑はあるように思います。金額は巨人らしいし「ルール違反ではない」

などとはよくも言ったものですがこれも巨人らしい。悪いやっちゃな~

                                              きむらよしのぶ

「よく戻ってきた・・・」といってくれてました

ぼちぼちご挨拶周りを始めています。

ご挨拶は直接迷惑をおかけしたクライアントやパートナーやメールやブログでコメントを

くれた仲間に会いに行っています。

「ありがとう」としかいいようがないのですが、とりあえず元気な顔を見せたい。

「よく戻ってきた」と涙してくれる方がいらした。

言葉を失いました。

私に対しての想いなのか、闘病に対する過去の経験則なのかその背景はわかりません。

私の一回り上の方なので、人生経験の何かが涙という感情表現になったのでしょう。

この表現の厚みが人生だと思います。

昨夜も昔の仲間と復帰の祝いをしていました。

この数ヶ月自分の越し方を振り返って実のない自分の人生に気付きがありました。

改めて、自分の何かを作り直そうと思ったのですが、戻ったら多くの方々が

素敵な表現・表情で迎えてくれてありがたいことです。

おもしろい後半生をおくりたいものです。

                                          きむらよしのぶ

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