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神戸市 平氏の遺跡 祇園遺跡・雪見御所

清盛が築いた大輪田の泊。

国際貿易港神戸はここからスタートしています。港として弱点の解消の為に沖に経ヶ島という人口島を建設します。
その後、島は陸地とつながってしまい痕跡の確認もできません。また実態を明らかにできる資料も残っていません。
清盛が修築強化した大輪田の泊は時代が下がると“兵庫の津”と名をかえますが、国際貿易港として発展し続けます。

江戸時代の末期に日米修好条約で横浜・新潟・長崎と共に開港をし、兵庫の津から現在の神戸港へと範囲を広げました。世界を相手の港湾に姿を変えて生きます。

大学時代の同級生と平清盛の足跡を訪ねました。新しい資料・見解はないかと少しだけ期待して。


まずは神戸市立博物館で情報収集してからの出発です。ちなみに湊川の戦いと一の谷の戦いの展示がほとんどなかったのですがどうしたんでしょうね。私が時代遅れなのだろうか?

■平野地区

有馬街道を登り、山に入る手前の丘陵地帯が平野地区と呼ばれています。(町名としての平野はその一部)この地は平氏の拠点で清盛が晩年の10年ほどを過ごした場所です。兵庫の町・港を一望に収められる場所でした。景色を眺めながら開発構想を練っていたのでしょうか。

※以下の画像はクリックすると拡大します。

○平野地区の史跡map (平野交差点南東角にあります)

Cimg4200_2

    “国見”のできる祇園神社にのぼります。

○祇園神社からのビュー

Cimg4211_2

真ん中の道が有馬街道で突き当たりが大輪田の泊。街道の右側におそらく福原宮が広がっていたはず。

○祇園神社と清盛

Cimg4215_2

この「平野」という地名。平氏の野(フィールド、土地)という意味らしい。今回は初めて聞きました。大河ドラマという風が
吹いていますが、地元もがんばっています。掲示・掲出物も充実しています。

○案内版 解説版

Cimg4208_2

さて平野地区では屋敷跡に足を運びます。まずは「雪見御所」です。

○雪見御所跡(湊山小学校校舎北側にあります)

Cimg4234_2○解説版

Cimg4231_2

平家物語にも清盛の邸宅として登場します。京都の六波羅、西八条殿を訪問しましたが規模としては近似した広さです。天王川、石井川を堀として山側(北側)に建物、そして石碑のある湊山小学校より南に庭園が展開していたようです。この二つの川の流れが変わっていないのであれば平野地区では重要な立地だと思いました。
もう一つは祇園遺跡という昨年発掘され注目された遺跡です。現在も発掘は継続しているようすですが、囲いが厳重で隙間から撮影できたのはこれだけです。

 Cimg4204_2

なんともしようがないので、歴史館のパネルを上げておきます。

○祇園遺跡 第14次調査パネル (歴史館内)

Cimg4286_2
有馬街道の拡張工事でも生活の跡は確認されています。14次調査では珍しい白磁の水注が発見されています。
また3つの建物も発見されています。建物は平氏の時代のものである為、タイミングもよく注目を集めたのでしょう。
住宅密集地区なので発掘はなかなか進まないのでしょうが、平氏一門の全てが屋敷を持っていたとすれば、相当な範囲だったはずですから今後に期待したいですね。
今日は時間もないので、有馬街道を下って「大輪田の泊」に向かいます。
                                                     つづく
                                                     きむらよしのぶ

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