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京都市の史跡 山科本願寺跡 近世城郭のはしり

中世以来の宗教の歴史にはいささか肌があわず表面理解に留まっていました。教義には未だに感心を持てませんが、文化的側面では欠かせないものと思えるようになりました。

山科本願寺は浄土真宗(一向宗)の戦国時代初期の本山です。浄土真宗は親鸞によって鎌倉時代に起こされました。親鸞が入滅後教団しての勢力は減退し、本願寺は天台宗の一末寺となっていました。この時期に第八代を継承した蓮如は天台宗と戦い、近江・加賀を転々としながら北陸に足場をつくっていきました。この頃は応仁の乱の時期です。

加賀で成功した蓮如は大坂に出ていきます。この時期から全国に布教を開始し多くの帰依をえます。
蓮如が60歳を超えて造営したのが山科本願寺です。
      
山科本願寺は伽藍だけではなく寺内町を形成し大きな人口をかかえる都市となっていました。応仁の乱後荒れ果てた洛中より大きな賑わいだったようです。山科本願寺はこの地にあったのはおよそ50年ほどです。

●山科本願寺跡

史跡指定は蓮如の隠居地である南殿と土塁跡です。山科本願寺は城郭史にとっても重要です。当時の宗教勢力は戦乱の渦中にありました。山科は交通の要衝ですが、要害ではありません。伽藍や寺内町の展開にはよいのですが戦闘には不向きです。その為に城郭としての機能充実がはかられました。本丸、二の丸、三の丸に相当する曲郭や土塁、堀が用意されました。
中世の城は屋形に手を入れた程度ですから城兵が連携して戦う構造は戦国城郭に向かう過渡期に思えます。
      (参考 新田荘の屋形跡:http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-c7c2.html)

■南殿跡   

空き地になっていますが、復元保存はされていません。 南殿は蓮如の隠居した地です。広大です。

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■解説版 山科駅から徒歩15分ほど。

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■蓮如上人御廟所
 つまりお墓です。南殿から土塁跡に向かう途中にあります。元は本願寺内でした。

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■土塁跡1 北側より
 かなりの規模の土塁です。 手前は堀跡のようです。本願寺は灰燼に帰して、大坂に移ります。土塁は8mほどです。秀吉のお土居に近いと思いました。

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■土塁跡2 南側より
 寺の内部からの写真 真ん中に小さな石柱があります

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■土塁跡のある中央公園の案内板

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 この地域、今も多くの寺院があります。土塁は長くこの地に残っていたようですが住宅開発が進み今は少なくなりました。山科駅からランニングでまわってきました。発掘調査資料を探してみないといけませんね。

◆史跡 山科本願寺南殿跡(附:土塁跡)

 所在地① 南殿跡 京都市山科区音羽伊勢宿町
 所在地② 土塁跡 京都市山科区西野阿芸沢町(山科中央公園内)
 アクセス 地下鉄東野より徒歩10分(山科からぶらぶら歩くのをお勧めします。
 MAP

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