無料ブログはココログ

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

1月はランで153km、ウォークで63kmで終了

まだ蹴って走れませんが、足元を見ながら歩を進めることはなくなりました。

(ジョグノート:http://www.jognote.com/user/131076/days?month=1&year=2012)

ただ5km29分台やから文字通りのジョギング。歳がいってからやから筋力はなかなか戻らんもんなや。

今日は途中図書館により「続々群書類従」にある大津城籠城記に眼を通していました。

Cimg3148_2

古書は久しぶりなので時間がかかりました。辛うじて読解できるレベルになってしまいました。難儀やなぁ

旧膳所城 薬医門 (膳所神社表門)

膳所城内にあった門でこの地に移築されています。重要文化財です。

Cimg3037

Cimg3036

Cimg3035
◆旧膳所城 薬医門 (膳所神社表門)

所在地 滋賀県大津市膳所1-14-14

      京阪膳所本町駅よりすぐ

2

旧膳所城南大手門 (鞭崎神社表門) 

江戸時代、大津市の最南端の藩は膳所藩でした。城跡は公園になっています。城門のいくつかが残っていて指定を受けています。

草津市の鞭埼神社の門は移築された大手門です。重要文化財に指定されています。
Cimg2980
Cimg2975

Cimg2977_2

Cimg2982
Cimg2985

◆旧膳所城 南大手門
所在地 滋賀県大津市矢橋町1462

近江八景 矢橋の帰帆(矢橋港と常夜灯)

近江八景のひとつ矢橋の帰帆、草津市の矢橋にはしけが再現されています。

Cimg2995_2
解説板の絵と比べてみたら臨場感がわくかも
Cimg2992_2_2
常夜灯のあかりは大津の町からも見えたでしょう。
Cimg2993_2

プロバスケットbjリーグ 滋賀vs琉球

動きのあるものは酔うのですが、回復を確かめる意味でも会場に足を運びました。

一試合終わって、眼はかなり疲れましたが2時間試合を見ることができました。ほっとしました。

東京に戻ったら人の動きは凄いからね~

ちなみに対琉球戦はいいゲームだった。

○試合前の会場  野洲市立総合体育館 

Cimg2763_2_2

○前半のタイで折り返し

Cimg2772_2 

○ハーフタイム

Cimg2775_2

○後半は琉球がつねにリードだがディフェンスのがんばりで徐々に流れがやってきた

Cimg2790_3

○1分を切って逆転逃げ切りでした。

Cimg2793_2

琉球の選手は個人技も凄いねぇ。楽しめました。かなり疲れました。

滋賀県野洲市の史跡 大岩山古墳群附き銅鐸博物館

念願の訪問です。国道8号線沿いに史跡公園がありいつも時間がなく残念に思っていました。今日はbjリーグの試合前にRUNでまわりました。

■大岩山古墳群の特徴

①24個の銅鐸大量出土

 大岩山古墳群は銅鐸の大量発掘で有名です。24個の銅鐸出土は加茂岩倉遺跡の37個に次ぐ二番目の量です。

 銅鐸はまだ不明な点が多く用途さえはっきりしません。

②300年にわたる埋葬期間

 大岩山古墳群は17基の古墳で構成され比較的広範囲に展開しています。丘陵地が岬のようになって場所と平地に分かれています。

 17基の古墳の内8基が史跡指定を受けておりそれ以外の古墳は消滅したりで実態が不明です。

 築造時期は3世紀から6世紀にわたり、この地域を統治した首長にかかわる歴史が感じ取れます。一地域でこれだけの歴史がつながる“地方都市”はレアケースです。

大岩山古墳群map

Cimg2680_3_2

■古墳めぐり

JR野洲駅から旧中仙道を徒歩で進みます。約20分で桜生史跡公園に到着します。

公園には甲山・円山・天王山古墳があります。

公園内を通過し国道8号線に出て辻町を右折すると銅鐸博物館に至ります。

フィールドワークは地元の資料館から始めるのが鉄則です。

フィールド1 銅鐸博物館 及び 弥生の森歴史公園

博物館は弥生の森歴史公園にあり、各種の歴史体験ができるのが魅力です。

○弥生の森歴史公園 復元竪穴住居

Cimg2704_2_4

博物館は銅鐸展示がメインで大岩山銅鐸の発掘の歴史が丁寧に紹介されていました。

大岩山古墳群の全体像がわかります。

ちなみに公園の南側に銅鐸出土跡があります。

Cimg2702_2_4

フィールド2 宮山二号墳

  築造:6世紀後半  形状:円墳

○宮山二号墳

Cimg2715_2_3

こんな古墳の保存状態を始めてみました。コンクリートだものなぁ

Cimg2718_2_4

石室は開放されて石棺がおかれていました。

Cimg2717_2_2

桜生史跡公園に再び向かいます。徒歩約15分ほどです。

Cimg2678_2

フィールド3 天王山古墳

  築造:6世紀初頭  形状:前方後円墳

○天王山古墳

Cimg2670_2_2 この古墳群唯一の前方後円墳です。石室は開口していません。

○前方部から後円部を眺める

Cimg2676_2_2

フィールド4 円山古墳

  築造:6世紀初頭  形状:前方後円墳

○円山古墳

Cimg2683_2_2

○解説版

Cimg2686_2_2

○墳丘

Cimg2684_2_2

○石室 近づくと説明の音声が急に鳴り出してびっくりしました

Cimg2688_2_2

フィールド5 甲山古墳

  築造:6世紀前半  形状:円墳

○甲山古墳

Cimg2661_2_2

○解説版

Cimg2666_2_2

○墳丘

Cimg2668_2_3

桜生史跡公園には管理事務所もあります。この日はお休みのようでした。さて、大塚山古墳に向かいます。徒歩で新幹線の高架をくぐって約10分です。

フィールド6 大塚山古墳

  築造:5世紀前半  形状:帆立貝形古墳>

○大塚山古墳

Cimg2722_2_2

○解説版1

Cimg2724_2_2

○解説版2

Cimg2728_2_2

○解説版3

Cimg2733_2_2

墳丘は3段が確認できます。帆立貝形は大変珍しい。古墳群内最大です。

桜生の3つの古墳は丘陵地にありました。大塚山古墳はそこから降りた場所にあります。また一時代前の築造ですから、埋葬の形の変化か?集落の移動があったのか?変化の要因が興味深い。

ここから少し離れて3つの古墳があります。徒歩で約30分。

フィールド7 亀塚古墳

  築造:5世紀末  形状:帆立貝形または前方後円墳

○亀塚古墳

Cimg2739_2_2

○墳丘

Cimg2735_2_2

フィールド8 古冨波山古墳

  築造:3世紀後半  形状:円墳

○古冨波山古墳 解説版1

Cimg2742_2_2

○解説版2

Cimg2743_2_2

○解説版3

Cimg2747_2_2

○墳丘は埋め戻されて公園になっています。

Cimg2750_2_2

三角縁神獣鏡が三枚発見されています。

この地方でも最古級首長墓のようです。最後に冨波古墳に向かいます。

フィールド9 冨波古墳

  築造:3世紀後半  形状:前方後方墳

この古墳は墳丘部が削平されていて発掘調査で発見されました。

○冨波古墳 発見時 墳丘がありませんでした

Cimg2759_2

○冨波古墳

Cimg2752_2

○復元された古墳。墳丘がわからないので基台のような復元です、珍しい。

Cimg2762_2_2

○冨波古墳 解説版1

Cimg2753_2_2

○冨波古墳 解説版2

Cimg2756_2_3

発掘調査資料を読んでいませんが、面白そうです。こうした出現期の古墳は周囲の墳墓との関係をよくみないといけません。

■当時の野洲の豪族

野洲の国造は近江安直(おうみのやすのあたい)でした。ちなみに「野洲」という地名はこの“安”からきているのでは?と想像しています。

息長氏との関係もあり、天皇家ともつながる。300年という長期にわたってこの地を支配した勢力とすると中央政権とも信頼関係のある豪族であったはずです。

集落がたくさん見つかって生活を知りたいものです。

堪能しました。

港 大津 -古都大津no.3ー

■琵琶湖の湖上は「高速道路」

京阪浜大津駅を降りると琵琶湖が広がります。

琵琶湖が現代の関西に与える一番の影響は「水」でしょう。周辺自治体に与える影響は大きい。

瀬田川洗堰をとめると下流にある自治体は水不足になります。そんなことをしてはいけませんが。

歴史上の琵琶湖はもっと多様な役割を果たしていました。

一番大きかったのは「物流」であり物の流れにあわせた「交通」でした。

奈良・京都に政権があった時代、大津は都に向かう「人」「物」の最後の集約地でした。

北陸からやってくる物資は敦賀から琵琶湖に出て、現在の長浜市にあった船着場から大津に向かいました。

また中山道(古代は東山道)、東海道の物資も草津にあった船着場から大津を目指していました。

街道を行くより効率がよく湖上の船便は現代の高速道路のようなものだったでしょう。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

○京阪浜大津駅

Cimg0461_2

○浜大津駅から琵琶湖を眺める

Cimg0452_3

○浜大津港 湖西を俯瞰できます。これから向かう史跡の場所を眺め見ながらスタートをきりましょう。

Cimg0454_2

現在の浜大津港は観光遊覧港で昭和になり埋め立てが進み公園化されました。

浜大津港から近江大橋に向かって「なぎさ公園」となり大津市民の散策やイベントでにぎわいます。

時間があれば観光船ミシガンで南湖をまわるのは抜群です。湖上を行き交った先人の気分が味わえます。

○ミシガン

Cimg0666_2

湖上交通と漁業の中心であった港町の面影はこの地にはありませんが、装いを新たにした琵琶湖を感じ取れます。

■なぎさ公園

○打出浜の常夜灯とレストラン 

Cimg0429_2

浜大津港を含めて湖岸は「なぎさ公園」として整備されています。ほとんどが埋立地です。江戸時代の汀線は現在の湖岸道路の西側にあったでしょう。

高い建物が少なく夏冬とも特徴的なので四季が身近に感じられます。浜大津港から打出浜あたりまで足を伸ばしてみると湖上の景色が変わって味わい深い。

Cimg0427_2

京阪浜大津駅から石場駅まで電車で移動して戻っていくものよいかもしれません。ゆっくり歩いて30分程度です。

京都市の史跡 平清盛邸宅跡 西八条第跡

平氏の拠点は「六波羅」が有名です。

平清盛は六波羅で生まれ成人後も邸宅を六波羅においていました。

内大臣、太政大臣になる全盛期に「西八条第」は建設されたようです。

その後亡くなるまでの15年ほどの住居です。その間清盛だけは福原の別宅に身をおくことも多かったはず。

□解説版(梅小路公園内)

現在遺跡に残るのはこの解説版のみです。公園の中にあるので見渡せばどれだけの規模だったのかが体感できます。公園の真ん中にこの解説版はあります。

Cimg2432

□宅地の規模  広大な規模です。現存する東寺よりも大きい。

西八条第が建設された時期に羅城門はなかったでしょうし、西寺も衰退していたはず。

現在も東寺のあたりに国道一号線が突き当たりますが、西国からの街道の入り口あたりにあったのがこの邸宅の特徴だったのでしょう。

西国から都にやってくれば必ずこの邸宅を眼にし平氏の隆盛を感じたはずです。

Cimg2434

■西八条第跡

所在地 梅小路公園内

アクセス 京都駅より徒歩15分

京都 三十三間堂の通し矢

この時期の都大路の風物詩で新成人のイベント。足を運びました。

本来の通し矢は競技ですが、いつのまにか成人イベントのほうが有名になりました。

この日に矢を射るのは全国からやってくる今年成人を迎える男女。

既に、京都駅あたりから弓を携えた若者に華やぎがありました。

□三十三間堂

Cimg2476_2

□午前中は男子、午後からが女子です。どのくらいでしょうか?2000名くらいかな?

Cimg2478_2_2

□正式には 三十三間堂大的全国大会といいます。

Cimg2480

□会場略図

Cimg2479

□射場への列です。見たことのない絵柄です。

Cimg2485_2

□観客もかなり多く観客越しにカメラを出して撮影しています。

Cimg2486_2

□あでやかですね。

Cimg2496_2

□実はなかなか的に行かない。×は的にあたらかなったということ。

Cimg2513_2

□これが的です。一矢入ってます。

Cimg2535_2

□なんかと前にまわりこめました

Cimg2524_2

□引き絞った絵柄は素敵な空気を呼びます。

Cimg2527_2

□もちろん屋台もありました

Cimg2540_2 

実は始めてです、通し矢。この時期は忙しくタイミングがあいませんでした。

人にもまれて大変ですがこのイベントは値打ちがあります。

みなちゃんとけんちゃんにやらせればよかったと後悔しました。

機会があればまたよります。

積雪

思ったよりは積もらずよかったよかった。

でも縮み上がるわ。

□宇佐山

Cimg2389_2

滋賀県大津市の史跡 瀬田丘陵生産遺跡群 山ノ神遺跡

大津市の勢多丘陵では古代の製鉄、製陶にかかわる遺跡群が見つかっています。

時期は7世紀半ば頃のものが多く、おそらく「近江大津宮」建設の資材生産拠点と想像できます。

埋蔵文化財センターの常設展に立ち寄り、帰路遺跡に足を運びました。

埋め戻されていますので、遺跡公園として保存はされていません。

■石碑と解説版

Cimg2383_2

瀬田史跡会が設立した石柱です。有志の集いなのかな?

Cimg2382_2_2   

山ノ神遺跡では宮殿の屋根飾りの鴟尾(しび)4基がほぼ完全な形で出土しています。

鴟尾を焼いた4基の須恵器窯も発見されています。

山ノ神遺跡は「瀬田丘陵生産遺跡群」として

草津市の野路小野山製鉄遺跡、

源内峠遺跡(瀬田南大萱町)とともに史跡指定されています。

●瀬田丘陵生産遺跡群 山ノ神遺跡

所在地 大津市一里山三丁目

Map

アクセス JR瀬田駅より徒歩15分

旧東海道 大津宿ー京都三条 歴史散歩ランニング

いつもながら立ち寄りの多い歴史散歩RUNです。今回は天智天皇陵を訪れるのが目的。

大津宿は旧東海道の最後の宿場です。今は面影がありません。

大津宿は琵琶湖岸で坂の下にあります。スタートから逢坂山を登ります。結構きつい。

○「逢坂山関址」 峠に石碑があります。平安京を外敵から守る役所です。

Cimg2323_2_2

峠を下ると山科区です。旧東海道に平行して京阪大津線が走ります。

山科駅をすぎて5分程度走ると五条別れに至ります。

○五条別れ道標 三条通りと五条通に向かう渋谷街道の分かれ道です。

道標はまだ新しいもので18世紀のものでした。

Cimg2345_2

五条別れには京都薬科大学があります。校舎がきれいになっていました。

JRを超えてすぐに目的の天智天皇陵があります。何度も前を通っていますが、陵墓に入るのは始めてです。

○天智天皇陵

Cimg2349_2

○参道1 長~い

Cimg2350_2

○参道2 まだあります。薄葬令を出された君なのですが・・・

Cimg2352_2

○やっと到着 

Cimg2354_2_2

現在指定を受けている天皇陵で、被葬者が特定できる数少ない陵墓の一つが天智天皇陵です。

墳丘は終末期古墳の代表的な形態である八角墳です。私が中学生の頃に明日香の中尾山古墳の発掘調査があり、八角墳だったのが強い印象に残っています。

天皇陵の発掘調査が進まないものか?ほとんどが盗掘されているはずなのに~。

さて最後の上り坂、日ノ岡を越えて東山に下りたところに南禅寺があります。

もう一つの目的です。

○南禅寺

Cimg2360_2

○琵琶湖疏水の水路 南禅寺の中を通っています。よくドラマの撮影でも使われていますね。

Cimg2361_2

これでおわり。最後は三条通りをチンタラ下ります。

○三条大橋に到着 川岸の工事していました。

Cimg2374_2_2

くたびれました。距離はともかく峠を二つ越えられて大満足です。

帰りごろには眼が弱ってきましたので電車で帰宅。明日こたえるやろな?

□今日のルート ジョグノートhttp://www.jognote.com/days/10498230

浜大津に買い物がてらのRUNです

浜大津へRUN。

□ジョグノート

http://www.jognote.com/user/131076/classic?day_id=10484587

RUNの目的地は蓮如の“顕証寺”です。

蓮如は浄土真宗の僧で親鸞から数えて本願寺第八世。そして本願寺派を統治の世界に躍進させた中興の祖です。

石山本願寺を建立したことで有名です。

蓮如が生まれた頃の本願寺は天台宗の青蓮院の末寺に転落していました。

蓮如は延暦寺と闘い越前、大坂に一大勢力拠点を作り上げた。

京都大谷にあった本願寺を追われ各地に居を移した一つが“顕証寺”です。

現在は本願寺近松御坊となっています。

Cimg2298_2

15世紀のこのあたりはどんな景観だったのでしょう。城下や宿場ができる前の大津ですから葦の原だったのかもしれません。

雨が降り出したので夕飯の買い物をしてもどりました。はるみちゃんが熱だしたもので。

蓮如の事跡は大学生の頃に追いかけましたが、忘れてしまいました。

少し追いかけてみます。

始まりました 大河ドラマ 『平清盛』

Cimg2313

今年の京都・神戸は盛り上がるでしょうね。

清盛が主人公になる大河ドラマは「新・平家物語」以来です。

仲代達也さんが清盛でした。もっとも私は小学生でしたのではっきりとは覚えていません。

今年の作品は当時の武士階級を明確にアウトローと位置づけてスタートしています。

妙味ですね~この作品は成功すると思います。30pカメラもよい。

相国平清盛は中大兄皇子以来の英雄です。

古代に一線を画し“統治”と天皇制の基盤を確立したのが中大兄皇子で、

武士階級を国家の中核に上らせたのが平清盛です。

平氏の拠点であった「六波羅」は鴨川の東側でいわゆる洛外です。

このことからも当時の武士が置かれていた位置がわかります。

今回は忠盛の活躍も描かれるようですので楽しみです。

平氏が政治の中心に躍り出たのは忠盛の時代です。

私は昔からの忠盛ファンです。

渋谷に戻る前に、神戸の遺跡はフィールドワークしたいですね。

祇園遺跡の発掘調査もいけませんでしたから。

古代の大津は渡来人の里 -古都大津 no.2ー

○大津市  地図の水色の部分が大津市

Photo

■渡来人の里

古代の滋賀県はたくさんの渡来人が展開していました。特に大津市の大半で渡来系氏族の痕跡が発見されています。中国、朝鮮半島から日本に移住した方々です。

こうした渡来系氏族は漢字、仏教などを持ち込んだ技術者集団で、国内に大きな影響を与えました。

官僚としてだけでなく、王家との姻戚関係もでき政治的にも重要な役割を果たしていきます。和邇氏と息長氏が著名です。

現在の大津市域は当時滋賀郡と呼ばれ真野郷、大友郷、錦織郷、古市郷の4つ地域にわかれていました。現在の地域にすると以下のようになります。

  真野郷は堅田周辺 

  大友郷は坂本周辺 

  錦織郷は大津京駅周辺 

  古市郷は石山周辺

真野郷は和邇氏の本拠ですが、他の3郷はすべて渡来系氏族が展開した地域でした。

もっとも和邇氏も前時代の渡来系氏族と考えるむきもあります。

幕末・明治の初めに外国人居留地が出来ましたが、古代の大津はこうした居留地のような先進で高い文化をもった地域だったのでしょう。

首都圏の横浜のような存在だったのかもしれません。

予断ですが9世紀前半に編集された『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)では、約1/3の氏族が渡来系となっています。

大津から全国の様々な地域に展開をしていったのかもしれません。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

■古代大津の人口は1万人?

7世紀ごろの人口に興味を持っています。人口推定は当時の集落や都市を想像するのに無可決です。しかし、多くの説がありいまだ確定には至っていません。

私はいくつかの説の中で「人口400万人」説をとっています。

現在人口は1億2800万人ですから約1/32です。

大津市の2012年1月1日時点の人口は約34万人。

単純で乱暴ですが、現在人口に上記の比率を掛けると古代大津の人口は約1万人となります。

近江大津宮ができた頃はこの程度ではなかったでしょうが基盤になる人口はこんなものかもしれません。

発掘調査に基づく市内の古墳群を見ると40程度の大集落があったのではと想像しています。

『人口300名程度の“40ほどの村”が点在する』のが古代大津の姿だったのではと思います。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

能書きが長くなりました。次回は浜大津から北上していきます。

古事記 今年で千三百年

712年和銅五年
太安万侶が献上した歴史書が『古事記』です。

今年で千三百年なんですね。

記紀と称され同じくされがちなのが日本書紀。


この二つの書は選定時期も近似している為、一般には同一視されがちですが全く違うものです。


古事記は"文学“に属すると思います。

特にこの国を作り上げた神々の伝説を豊かな出来事で紹介しています。

神話を教えない国家は日本ぐらいやないかな?

いかんね。

国家の元なんだけどね。

家と同じで成り立ちを知らないといかんでしよう。

戦後教育のダメなところです。

岩波文庫をよく読んだけどなぁ〜

唐突ですが。

初詣 西教寺

お昼から家族四人で初詣。坂本の西教寺にむかいました。

■総門 明智光秀の居城坂本城の遺構

Cimg2186_2

■総門から参道

Cimg2176_2

■苔むした石垣

Cimg2175_2

■本堂に向かう石段と石塔

Cimg2180_2

■客殿(重要文化財:伏見城遺構)

Cimg2183_2_2

■辰

Cimg21842

■猿

Cimg2185_2

残念ながら雪です。天気がよい日は広がりのある景色がすばらしいのですが残念です。

■西教寺 以前の投稿

http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-ea5e.html

初詣 唐崎神社

またまた近辺の神さんに初詣です。 唐崎神社です。

近江八景の一つ「唐崎夜雨」で知られています。

■正面 鳥居 

Cimg2160_2

■唐崎の松

見ごたえがあります。ベンチに座って湖岸の景色を眺めながらゆっくりするのがよいかな。

Cimg2164_2 

■神社から雪の比良山系を眺める

向かって右手の海岸には明智光秀の居城坂本城址があります。

Cimg2167_2

■解説版1

Cimg2172_2

■解説版2

Cimg2173_2

自宅からランニングで15分程度。大変よい気分にしてくれる景色です。

初詣 いっぱい廻りました

大津市

 宇佐八幡宮

   Photo_2

 近江神宮

  Photo_3

 志賀八幡宮

  Photo_4

京都市

 知恩院

  Photo_5

 八坂神社

  Photo_6

 建仁寺

  Photo_7

午前ははるみちゃんとランニングで近辺の神さんを

午後は東山に出て行きました。今年の大河ドラマは清盛ですからこの地域もにぎやかにな

のでしょう。

しかし目的は一銭洋食でした。久しぶりです。

大変な繁盛振りでした。暖かくてよい日和でした。

 一銭洋食

    Photo_8

よい年にしたいものです。

古都 大津 no.1

京都から山科を経て西大津バイパスに入りトンネルを抜けると、琵琶湖が鮮やかに広がります。

○バイパス途中から浜大津港を眺める

Cimg2099_2

京都三条からは車で20分、距離にして10kmです。

始めて、この景色を見たのは18歳のとき。

突然あらわれる琵琶湖のキラキラした湖面と青い空が大きな開放感をもたらせます。

その後仕事、生活共々に滋賀県に縁が出来、既に20年近くを過ごしています。

昨年末から時間が出来たので、改めて市内を訪ね歩きました。

豊かな歴史資源、ほかにはない自然。この魅力を改めて紹介したいと思いました。

しかし、どこから話を始めるか大変迷っています。

唯の観光案内にはしたくないし、専門的すぎても伝わらない。

出来るだけ臨場感を大事に紹介をしていくことにします。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

◆全国第10番目の古都指定

古都指定を受けているのは京都、奈良、鎌倉、逗子など史上政権が置かれた都市ばかりです。

大津市は天智天皇の近江大津宮、淳仁天皇の保良宮など都が置かれた時期がありました。

また平城京、平安京政権の資材資源と人材供給源の意味が大きいと思います。

人材面では大陸からの渡来人が定着し勢力を持った地域でもありました。

さて、これから数回に分けて大津市湖西南部(大津北郊地区)から紹介をしていきます。

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »