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滋賀県大津市の遺跡 足利義晴公 病没の地 

室町時代は苦手です。

1333年に鎌倉の北条政権が消滅し、1338年足利尊氏が京都で幕府を開きます。

室町幕府は創業してから安定期に入るまでに50年強かかります。

南北朝での騒乱が終了し南朝、北朝が統一するのは1392年。

三代将軍義満の時代に最盛期を迎えますが華やかな時代は短く、六代将軍義教は臣である赤松満祐にうたれるなど、統治能力は弱体化していきます。

そして1446年に応仁の乱がおこります。11年間続いた騒乱は幕府の弱体化を決定的にし戦国時代に突入します。

戦国時代の終焉は約100年後です。

12代足利義晴は近江に幕府を移転させた将軍で事跡はあまり知りませんが、近江で生まれ近江でなくなっています。

義晴がなくなったのは1550年、織田信長が家督を継いだ頃です。

なくなったのは大津市穴太です。

その場所がどこなのかを探していました。資料にもあたりましたが見あたりませんでした。

今日、探していたら供養塔を見つけました。

Cimg1121_2

案内板

Cimg1121_4

どこが設置したものなのか不明です。

流転の将軍の最後の地。哀しげですね。

■足利義晴公 病没の地

所在地 大津市穴太2-8付近

木村嘉伸

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