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京都市の史跡 方広寺大仏殿跡

東京(当時は江戸)に首都移転したのは1600年。

その後江戸は100万人都市になり人口世界一になりました。

江戸が東京と改称され都市の形は大きく変化しました。太平洋戦争の戦火、戦後の経済成長が近代都市に向かわせました。

人口増加は周辺自治体にもおよび、千葉都民などいう言い方が登場するようになりました。

東京の都市化は“わずか”400年間のことです。

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王城1000年といわれた京都は平安京から都市としての歴史が始まります。

平安京が成立する以前の京都は原野であったようです。

その原野に秦氏などの渡来系、賀茂氏などの天神系が小さな勢力をもってしました。

平安京は条里制で、碁盤の目の都市づくりです。

しかし、早い時期から右京が衰退をしていきました。桂川に近い地域です。

現在は河原町が代表的な繁華街ですが平安時代は鴨川の川原であり都のはずれでした。

それだけ“左京”に偏ってきたわけです。

この京都を大改造したのが豊臣秀吉です。

以前、御土居の記事をアップしましたが、衰退していた右京を切り離し、分離していた上京と下京を連携させて、南北に細長い都市設計を行いました。

この時の改造が現代にも生きています。

□以前の投稿 「史跡御土居」

http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3ac1.html

政庁は聚楽第として新たに成立します。

□以前の投稿 「聚楽第址」

http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/no1-9261.html

そして権力の象徴しとして建てられたのが史上有名な方広寺の大仏です。

奈良の大仏よりも大きい日本一のものを建てますが天災などもあり崩壊してしまいます。

その後も秀頼により再建されますが落雷で焼失し再建されませんでした。

方広寺の規模はかなり小さくなっていますが、当時の場所にあります。

○現在の方広寺と当時の推定寺域

赤い囲みが当時の寺域。現在の方広寺と豊国神社そして国立博物館の新館部分にあたります。

Photo

○方広寺梵鐘(重要文化財)

Cimg2106_2

○鐘 「国家安康」「君臣豊楽」の銘文

大坂の役につながった有名な銘文です。

Cimg2113_2
○大佛殿石垣

方広寺に現存する当時の石垣です。大きな石が多いです。秀吉らしさを感じます。

大和大路の面しています。

Cimg2105_2

○大仏殿跡緑地 

方広寺の裏(東側)に発掘地が公園として残っています。

Cimg2108_2

○解説版1

Cimg2109_2

○解説版2

Cimg2110_2

久しぶりに訪問しました。緑地公園は始めて。

京都市内でこうした遺跡公園ができるのは珍しいが、もう一段展示方法を

考えてほしいなぁ。

秀吉時代の京都はもう少し調べてみます。

■方広寺

所在地 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル

アクセス 京阪七条より徒歩7分

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