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2011年12月

京都市の史跡 方広寺大仏殿跡

東京(当時は江戸)に首都移転したのは1600年。

その後江戸は100万人都市になり人口世界一になりました。

江戸が東京と改称され都市の形は大きく変化しました。太平洋戦争の戦火、戦後の経済成長が近代都市に向かわせました。

人口増加は周辺自治体にもおよび、千葉都民などいう言い方が登場するようになりました。

東京の都市化は“わずか”400年間のことです。

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王城1000年といわれた京都は平安京から都市としての歴史が始まります。

平安京が成立する以前の京都は原野であったようです。

その原野に秦氏などの渡来系、賀茂氏などの天神系が小さな勢力をもってしました。

平安京は条里制で、碁盤の目の都市づくりです。

しかし、早い時期から右京が衰退をしていきました。桂川に近い地域です。

現在は河原町が代表的な繁華街ですが平安時代は鴨川の川原であり都のはずれでした。

それだけ“左京”に偏ってきたわけです。

この京都を大改造したのが豊臣秀吉です。

以前、御土居の記事をアップしましたが、衰退していた右京を切り離し、分離していた上京と下京を連携させて、南北に細長い都市設計を行いました。

この時の改造が現代にも生きています。

□以前の投稿 「史跡御土居」

http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-3ac1.html

政庁は聚楽第として新たに成立します。

□以前の投稿 「聚楽第址」

http://c-forest.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/no1-9261.html

そして権力の象徴しとして建てられたのが史上有名な方広寺の大仏です。

奈良の大仏よりも大きい日本一のものを建てますが天災などもあり崩壊してしまいます。

その後も秀頼により再建されますが落雷で焼失し再建されませんでした。

方広寺の規模はかなり小さくなっていますが、当時の場所にあります。

○現在の方広寺と当時の推定寺域

赤い囲みが当時の寺域。現在の方広寺と豊国神社そして国立博物館の新館部分にあたります。

Photo

○方広寺梵鐘(重要文化財)

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○鐘 「国家安康」「君臣豊楽」の銘文

大坂の役につながった有名な銘文です。

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○大佛殿石垣

方広寺に現存する当時の石垣です。大きな石が多いです。秀吉らしさを感じます。

大和大路の面しています。

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○大仏殿跡緑地 

方広寺の裏(東側)に発掘地が公園として残っています。

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○解説版1

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○解説版2

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久しぶりに訪問しました。緑地公園は始めて。

京都市内でこうした遺跡公園ができるのは珍しいが、もう一段展示方法を

考えてほしいなぁ。

秀吉時代の京都はもう少し調べてみます。

■方広寺

所在地 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル

アクセス 京阪七条より徒歩7分

滋賀県竜王町の史跡 『源義経 元服の地』 鏡の里

竜王町に出かけた帰りに「源義経の元服の地」に立ち寄りました。

国道八号線沿いにあり、鉄道だと琵琶湖線篠原駅が一番近いようです。

「鏡の宿」は江戸時代まで東山道、中仙道の宿場でした。

○散策map  ゆっくり回って小一時間です。

散策map上の「道の駅」に車を止めて、ぶらぶらするのがベストです。

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道の駅の8号線をはさんだ正面にあるのが、この看板。

九郎判官源義経は源平時代の英雄です。

鞍馬寺に預けられ、遮那王と名乗っていた義経は僧になるのを拒否し出奔します。

都を脱出して始めての泊まりがこの「鏡の宿」で、義経はここで元服をします。

元服とは現代の価値基準と比較はしにくいのですが、成人したようなものでしょうか。

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○「元服池」 まずはここからです。

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○鏡神社 古代の天日槍が祭神で社殿は重要文化財です。

古代から渡来人が腰を落ち着けた地だったのでしょう。

鏡という地名も「技術」を想像させますし、天日槍を中心とした朝鮮半島の技術集団がこの地に定住し基礎を作ったのかもしれません。

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○烏帽子掛けの松

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 社殿

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 義経 宿泊の館跡  石柱と看板のみ

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宿場を通る8号線 歩道が狭いのでゆっくり散策とはゆきませんが、宿駅をイメージできる規模と町並みです。

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案内の看板など現地の鏡の里保存会の皆さんががんばっておられるようです。

義経の元服の地については歴史文献上二つあり、尾張とここ鏡です。

元服の歴史的実態をあきらかにするのは困難なので、おそらく決着はつかないでしょう。

ですので本来は“伝承の地”なのですが、歴史はロマンなので細かいことは言わない方がよいでしょう。

十数年越しで訪問できました。いつも素通りだったので。

比良山系は雪模様です。明日はかなりの降雪でしょう。

◆源義経 元服の地

所在地 滋賀県蒲生郡竜王町鏡

アクセス JR篠原駅から徒歩約30分

木村嘉伸

クリスマスイブやんな

はるみちゃんとなぎさ公園をRUN。

正面の山は比叡山系です。比叡山は雪でした。

風が冷たいけど、冬の琵琶湖らしい晴天で気持ちよかった。

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後姿ははるみちゃん。隣の影は私です。

木村嘉伸

はるみちゃんの会社の子達との宴会です

若い子達がランニングと宴会に我が家に来てくれました。

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豆乳とキムチ鍋です。

なかなか美味い。

木村嘉伸

皇子山公園を走っていました

2時間ほどチンタラ走っていました。

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仕事をしている時は私でも、精神的にくたびれるものです。

必ず人の目があるからでしょう。

今は人の目を気にしていませんし、そもそも人との接点がないから疲れない。

せめて肉体だけでもくたびれさせないといけません。

しかしいい気分にさせてくれる景色が多いのも大津です。

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木村嘉伸

『水戸黄門』が終了しました。

42年間続いたドラマです。

最近は視聴率が一ケタ台と苦戦していました。

漫遊がストーリーのベースですから限界はあります。

特別な思い入れはドラマにはありませんが、残念に思います。

徳川光圀

水戸家の二代目で『大日本史』の編集で有名です。

この書は考証を重視し、全国に足を運んで調査し拾い上げる方法で日本の歴史を俯瞰しています。

この時代によくこれまでのことができた感心します。

大日本史の記述はその後皇国史観を生み出し、倒幕の思想的背景を作り出しています。

ちなみに私の印象での光圀は別のところにあります。

神戸の湊川神社は南北朝時代の武将楠木正成が最後を迎えた場所です。

境内には光圀が家臣佐々介三郎宗淳をおくり碑石(ひせき)を建てさせました。

みずから表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を書きおくりました。

見事な筆跡です。大楠公は私にとって郷土の英雄なので子どものころから何度も足を運んでこの碑を見ています。

これか一番の印象。

水戸に行く機会はまずないのですが、調べてみたくなりますね。

木村嘉伸

テレビ番組が面白くない 

テレビをよく見ます。

BGMかわりにしているかもしれません。

今は時間があるので、家にいると朝から晩までつけっぱなしです。

しかし、「見たい」と思う番組がないですね~

私は比較的興味・関心の領域は広いと思うので、こだわらずに手を出すほうですがほんとうに見たいものが少ない。

視聴率がほしい為に、目先のうけ狙いの企画が多い。それがパターン化して新味を出すことが出来なくなっている。

本質論をやらないとそろそろダメになる。

総人口の減少、高齢化  この意味するところは大きい。

成長が止まるだけでなく、これまでの価値観が否定されているわけだか真剣に振り返らないといけない。

成長している時期は勢いがあるので、問題があっても“調整”で対応できる。

しかし、停滞が始まると本質、土台のようなものをチェックして評価する必要がある。

修復した土台の上に新しい設計でものをくみ上げないといけない。本質論が必要。

「子ども手当」の与野党の調整が行われているが、財源論になっていることが悲しい。

この政策は家計を助けることが目的ではなく、次世代育成のメッセージでなくてはいけない。

「○○な人材を育成したい」というメッセージが必要なのだと思う。

本質的なメッセージがあるところに心が集まるから。

テレビからへんなところになってしまったが、マスメディアが作り出す“世の中の声”は大きだけに物思うことが多い。

木村嘉伸

滋賀県大津市の古墳 木の岡古墳群・高峰古墳

いい天気でしたね~

今日のRUNはJR比叡山坂本駅を超えて、日吉台周辺の古墳めぐりが目的です。

今、フィールドワークをしている大津北郊地区の最後です。

比叡山のすそ野にあたる地域で保存された古墳も多い。

□木の岡団地から 三上山方面を

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古代人もこの景色をみて、この地を選んだのかもしれません。

□木の岡古墳群

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この古墳群は陵墓参考地が多く宮内庁管理の看板がほとんどにあります。

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□高峰1号墳

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日吉地区はあと3日ほどかかりそうです。資料も読まないと。

往復10kmほどですが、何度もつまづきながら走り終えました。

慣れない道は眼がついていかない。くたびれました。

明日は脳神経外科です。

木村嘉伸

日体大 集団行動  トリハダスクープ映像100科ジテン

数週間前からこの番組でやっていました。若い子達が汗をかく企画はいいものです。

日体大の「集団行動」というパフォーマンスは、成果発表会のときに実施させる伝統競技だそうです。

但し、これまでは男子だけのものでした。今年初めて女子が挑戦しました。

会場は「横浜アリーナ」です。

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番組は3週間(たぶん?)にわたっていました。

退院した頃にちらっと見て感心したのですがなかなか難しい演目で苦労をしていました。

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演技は11分間で、行進を中心とした軍隊を想わせるものですが練習で失敗を繰り返すチームを見ているので、手に汗を握る時間になりました。

うまく撮れなかったのですが、メインは二つに分かれたグループが行進しながら交差して全身するもの。

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いい企画やね。

会場で見たいと思いました。OBに声かけとこ。

木村嘉伸

皇子山公園の落ち葉

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落ち葉もよいものです。

朝はやめにランニングをスタートしました。今日は眼の調子悪い日でした。

今日は新聞休刊日です。

昔からこの休みの意味がわからない。何があっても情報を流さないと新聞じゃないと思うんだが。

日本の新聞記者は取材でもチャレンジしないのはこんなところに原因があるのかと思う。

今日はこれだけ。

木村嘉伸

京都市の史跡 史跡御土居(中京区西ノ京)

京都の市街地の原型は平安京の条里制ですが、その後宮廷機能の変化や右京の盛衰など大きな変化がありました。

豊臣秀吉が政権を京都におく際都市設計の一つで京域をつくりました。

その京域を形成した土塁が「御土居」です。

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現在の河原町通りにも土塁がありました。

現在残る御土居は史跡で9箇所です。

御土居のあとをおっていくと、秀吉の時代の京都は小さいものだったのがわかります。

今日ははるみちゃんと山之内にいった途中で御土居に通りかかりました。

現存する御土居でもっとも南にあります。

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鳥居の奥の森が御土居の跡です。

御土居の上に社があります。もちろん後世のものです。

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秀吉が何のために御土居を作ったのかは定かではありません。

京都は盆地で守りに弱いが、防衛目的にしてはチープすぎる。

資料がほとんど残っていないので今後も理由ははっきりしないでしょう。

機会があったら他の史跡もまわってみます。秀吉時代の京都には以前から興味ありなもので。

今日11日は好天だが寒い。冬の京都の天気です。

木村嘉伸

石山周辺をRUNしました

近江大津京跡地区の遺跡はかなりカバーできたので、次に石山周辺のフィールドワークを始めます。

病院が近いこともあるからですが。

石山は大体はわかるのですが、足でつかんでいないのでじっくり走りこみます。

大学時代に担当教授から「国見(くにみ)をせよ」と教えられました。

まったく言うことを聞かない学生でしたがこれだけは大事にしています。

全体像をつかめということですし、客観性を大事にせよということです。

だから、現地を動き回って土地勘を体にいれます。

現在の日本の首都は東京ですが、歴史上大津市に首都がおかれたことが多々ありました。

石山には保良宮が営まれました。現在の住所だと北大路、国分あたりです。

今日は石山高校あたりからくるっと回ってきました。

全貌を理解するにはまだまだ時間がかかりそうです。

□鳥居川御霊神社 黄色い絨毯みたいでした。

ちなみにこの神社は壬申の乱で大友皇子が自決した場所と伝えられています。

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しかし、寒かったわぁ。 木村嘉伸

長岡京 発掘調査2067回 ~京都新聞 夕刊

少しでも考古学をやった人なら長岡京発掘に人生をささげた故中山修一さんを知っているはずです。

京都新聞の10日の夕刊の「どよう 数ーむアップ」という記事です。

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私が結婚しての新居は向日市で、この時に長岡京遺跡に接しました。

住まいしたのはわずか半年ほどでしたので、その後接点がきれました。

今日の新聞で久しぶりに中山修一さんのお名前を眼にしました。

中山さんは学校の先生です。ご自身が私財を投じて発掘を続けられました。

一地域の発掘調査で2000回などというのは物凄い数です。

おかげで長岡京の実態はかなりはっきりしています。

記事では「京域の確定」がこれからの目標だと。

難易度がかなり高いですが、これで都市の全貌がはっきりする。

がんばってほしいね~

木村嘉伸

真珠湾攻撃から70年

今日12月8日は太平洋戦争の開戦日。

この年に生まれた人が70歳、戦前は遠くになりにけりです。

8月15日の終戦記念日前後はテレビはじめ様々な広報やイベントが行われます。

しかし開戦した12月8日の国内での扱いは小さい。

当時の日本は中国大陸で既に戦闘態勢にあり、通過点の日でもあるわけだがこの日がなければ、現在の日本の枠組みは大きく変わっていたはずです。

私は12日8日の方が重要だと思います。

周辺国との賠償問題などもあるため歴史的評価を下すことから政府は逃げています。

またも学校でも近代史はあまり時間をかけないから、ボトムが育たない。

歴史評価は民俗の基盤をはっきりさせる行為だから、こうしたことは大事なんだけど。

今日もBSで開戦に至る番組があります。楽しみ。

木村嘉伸

近江神宮周辺の紅葉

近江神宮は皇紀2600年を記念して昭和15年(1940年)に創祀されました。

天智天皇が祭紳です。

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南側に近江大津宮遺跡があります。

ちょうど、神宮と遺跡の間を流れるのが柳川です。

ふるさとの小川というなりが風情があってよい。

川沿いをぶらぶらしてきました。走りはじめたのですが距離感がつかめないので散歩に切り替え。

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色鮮やかなのは50mほどですが堪能させてくれました。

しかし、調子悪いなぁ。

木村嘉伸

発掘調査を久しぶりに見ました 南滋賀遺跡発掘調査

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南滋賀遺跡は一般にはなじみがありませんが、弥生時代から平安時代の遺跡で渡来系の生活文化を確認する珍しい遺跡群です。史跡指定を受けてもいいはずだけど。

滋賀県は予算がないから発掘が進みません。観光の面でも必要だと思うのだが。

古代のこの地域は来日した先進の外国人が住まいするハイカラな地域だったはずです。

この件はまた別の機会に。だいぶ資料も集まってきましたので。

このあと山側に向かいます。

□大伴神社の紅葉 よい日差しでした。

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□志賀山寺 岩屋不動尊 ビューもよいしここはお勧めです。

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雲が追いかけてきたので、滋賀里駅から京阪に乗って帰宅しました。

木村嘉伸

東海自然歩道の紅葉狩り 志賀の大仏

私は比叡山の山すそのに住まいしているもので、西からくる雲が叡山にあたって雨が降ります。

ここ数日、天気の変化が激しくて、隣町では雨だが今いる場所は天気ということもある。

高い建物がないので雲の動きがよくわかって面白い。

4日日曜日は2時間ほどの散歩+ジョギングをしていました。

眼の調子が悪い日で、足元に注意しながらなので時間がかかりました。

帰ったら、足がパンパンです。こう思うと20kmぐらいのRUNなら平気だった手術以前の状態はおじさんにしては大したものだったと思います。

今日も穴太、滋賀里周辺の紅葉狩りです。この“イベント”すっかり気に入っています。

東海自然歩道を登ってみました。少しだけです。

photo1 見事

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photo2 みとれました

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photo3 この竹林には百穴古墳があります

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この先にあるのが志賀の大仏です。

□志賀の大仏 たたずまいがよいですね。

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解説版

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私が歩いている道は志賀越と呼ばれる街道です。現在も山道ながら京都につながっています。

歴史的に街道ですが、今は地元の方の生活道路とハイキングルートになつています。

なんとか天気はもちました。

木村嘉伸

滋賀県大津市の史跡 高穴穂宮推定地

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高穴穂神社は扇状地のトップの場所にあります。神社は第十三代成務天皇が都とされたのが志賀高穴穂宮址であると伝えられています。
成務天皇ならびに父君であられる景行天皇は実在を疑われています。景行天皇は日本武尊の父君にもあたります。記紀が書き記す古代英雄時代です。

まだ発掘はなされていないようです。トロイの例ではないですが人の口を介する伝承は何かの事実を含んでいるものです。みつからないものか?
琵琶湖をのぞむこの地は、静けさの中に重々しさを感じる崇高な場所です。
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■志賀高穴穂宮跡

所在地  滋賀県大津市穴太二丁目
アクセス 京阪電鉄石坂線穴太駅徒歩分
                                              木村嘉伸

滋賀県大津市の遺跡 足利義晴公 病没の地 

室町時代は苦手です。

1333年に鎌倉の北条政権が消滅し、1338年足利尊氏が京都で幕府を開きます。

室町幕府は創業してから安定期に入るまでに50年強かかります。

南北朝での騒乱が終了し南朝、北朝が統一するのは1392年。

三代将軍義満の時代に最盛期を迎えますが華やかな時代は短く、六代将軍義教は臣である赤松満祐にうたれるなど、統治能力は弱体化していきます。

そして1446年に応仁の乱がおこります。11年間続いた騒乱は幕府の弱体化を決定的にし戦国時代に突入します。

戦国時代の終焉は約100年後です。

12代足利義晴は近江に幕府を移転させた将軍で事跡はあまり知りませんが、近江で生まれ近江でなくなっています。

義晴がなくなったのは1550年、織田信長が家督を継いだ頃です。

なくなったのは大津市穴太です。

その場所がどこなのかを探していました。資料にもあたりましたが見あたりませんでした。

今日、探していたら供養塔を見つけました。

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案内板

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どこが設置したものなのか不明です。

流転の将軍の最後の地。哀しげですね。

■足利義晴公 病没の地

所在地 大津市穴太2-8付近

木村嘉伸

近所の志賀八幡宮の紅葉

散歩途中に近所の神社によりました。有名ではありませんが、古墳が主体となっている神社ですので、歴史があるのでしょう。

調べるすべがありませんが。

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■志賀八幡宮(八幡神社)

所在地 大津市滋賀里

京阪石坂線滋賀里駅徒歩3分

木村嘉伸

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