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神奈川の史跡 神奈川奉行所跡と神奈川運上所跡

ペリー来航以後、各国と修好条約を結んだ徳川幕府は、現在の関内地区に限定して外国人を受け入れた。

横浜という国内屈指の都市を作ったのは横浜の主役だった外国人でした。

1868年、幕府が消滅し東京に新政権ができると徐々に、政治の窓口としての横浜の機能は東京に移ります。

開港場である関内を統括するために1859年に神奈川奉行がおかれます。

横浜を統治していたのは二つの役所です。

神奈川奉行所は警察と政治を

神奈川運上所は貿易を監督していました。

わすが10年の期間ですが、幕末の激動期の役所で、これまで経験のない国々との交渉もあり大変だってはずです。

途中有名な生麦事件がおこりますが、おそらく対処できなかったでしょう。

歴史に登場をしないところをみれば。たぶん英国は奉行所など相手にしなかったはずです。

●神奈川奉行所跡 

紅葉坂の上にあります。道が下っています。先にはランドマークタワーがあります。

県立青少年センターの正面にこの石柱があります。規模・範囲がわかりません。

戸部の崖の上になっています。

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解説版

110724_132848

●神奈川運上所跡

日本大通りの県庁の角に石碑があります。

110724_141000

解説版

110724_141027_2 

当時は最先端の役所だったはず。この役所の方々は明治後どうしたのでしょうか?

また調べるネタにあたってしまった。

Photo

グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)から作製

木村嘉伸

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