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源義朝の一の郎党 鎌田正清の居城跡 山田神社

こんな近くにたいした遺跡がありました。もっとも“たいした”と思うのは私のようなニッチな関心を持っている人間だけかもしれません。

源頼朝、義経兄弟の父は源義朝。

源義朝は京で生まれ、上総で成長します。

成人後は鎌倉に居を構え、相模(神奈川)に勢力を拡大します。

八幡太郎義家以降衰退していた源氏の勢力を関東で強固にしたのは義朝でした。

頼朝が蜂起し関東で勢力を拡大したのは、義朝の実績が大きかったと考えます。

義朝の一の郎党(筆頭の部下)が鎌田正清で、義朝と最後を共にします。

妙な例えですが、義経の弁慶のような存在です。

●その鎌田正清の居城が横浜市都筑区にありました。

グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)から作製

Photo

城跡として調査はなせれていないはずです。城跡は山田神社となっています。

一の鳥居はややいまどきですが。

110619_112810

階段を上ると、いきなり歴史を感じさせます。

110619_111730

社殿

110619_112038 

由緒書

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山田神社の由緒書には以下のように説明されています。

「山田は石器各所より出づ。其の開拓たる幾千年の昔なるを知らず。
平安時代人皇第七十六代近衛天皇の仁平年間源義朝の家来鎌田兵衛正清の居城せし地にして領地は旧都筑郡中十ヶ村に跨り高田、吉田、勝田、荏田、鴨志田、黒須田、恩田、長津田、上菅田、三反田に及び合計五千五百二十五石なりと伝えり。」

この地は多摩丘陵です。山田の地は縄文時代から集落があり、丘陵の続きには南堀遺跡があります。石器各所より~だったでしょうね。

由緒書の地は鎌倉街道、中原街道を抱えた交通の要衝ですから、鎌倉防衛の一端もになった土地だったのでしょう。

今後しばらく「山田」を探索してみます。

朝RUNついでながら、よい出会いでよかったよかった。

■ 鎌田正清 居城跡(山田神社)

所在地 横浜市都筑区南山田町3795

アクセス 市営地下鉄「東山田」下車10分、バス「宮の下」下車すぐ

木村嘉伸

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