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滋賀県の城郭 宇佐山城址 「志賀の陣」

信長付いていますが、姉川の合戦の3ヵ月後に起こった「志賀の陣」で奮闘した宇佐山城址にいってみました。

近江神宮の西側の山で、訪れるチャンスはあったものの城跡には初めての訪問です。

その前に当時の情勢を見ておきます。

グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)から作製

2map

【志賀の陣】

1570年 7月 姉川の戦い

その後、三好三人衆や石山本願寺の蜂起など、織田信長の包囲網が活発になります。

その年の9月、朝倉・浅井連合軍が湖西を回り、比叡山延暦寺と連携しつつ、京都をうかがいます。

南近江の織田軍の主城は宇佐山城です。

延暦寺や京都へのいくつかの侵入路の押さえの役割だったはずです。

各地が蜂起がおこり、この地の織田軍は3000名程度。

朝倉・浅井連合軍は2万とも3万とも。

宇佐山城を守るのは森可成。有名な森蘭丸の父です。

朝倉・浅井軍の侵攻に際しては、果敢にも打って出て地の利をえるべく坂本に進出する。

しかし、衆寡敵せず可成は戦死する。

その後朝倉・浅井軍は宇佐山城に迫るが、必死の防戦で信長の援軍がくるまで持ちこたえることができました。

もし、この城が早期に崩れていたら、包囲網は狭まり歴史は変わっていたかもしれません。

12月に入り、織田軍と朝倉・浅井軍の和睦が成立します。

南近江の緊張はこれでとけます。なぜ和睦だったのかも不審です。

一年後、信長は比叡山焼き討ちを行います。

ちなみに織田軍の危機は1573年の武田信玄の死まで続きます。

【宇佐山城の現況】

宇佐山城はすぐ廃城になり、南近江の領主になった明智光秀は坂本に城を移します。

●湖畔側からの遠景 真ん中の塔がたつのが宇佐山

Photo

●上り口

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●宇佐八幡宮参道

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●道らしい道はない。でも案内看板が充実しています

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●志賀小学校の生徒さんの案内板 健太郎、美菜の出身小学校です。

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●急峻でそま道に近い

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●本丸あとに向かう階段 今は放送局の中継基地なので、遺構はない

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●石垣

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●本丸?二の丸? の石垣

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大変急峻な山城です。山頂部は平坦だが、敷地は狭く見張り台程度の役割しか果たせなかったのではと考えます。

山頂にいたるまでに砦のような拠点がたくさんあったのではないかと思います。

木村嘉伸

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