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大津市の史跡 大津城跡

大津は琵琶湖の南端です。西側の山あいを走る国道が旧東海道で、歩いて2時間ほどで

京都の三条大橋につきます。私のRUNだと1時間弱です。

琵琶湖を経由する物資の出入り口でもあり、京都に都が移る以前から交通・物流の要衝でした。

○大津市を俯瞰  グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)から作製

Map 

■関が原の前哨戦 大津城籠城戦

明智光秀の坂本城を廃城し豊臣秀吉が天下をとる段階で、物資輸送と経済面の保護の為に大津城は築城されました。築城から廃城まではわずか15年の城です。

最後の城主は今年の大河ドラマでも重要な位置づけにある京極高次です。

関が原の前哨戦として、京極高次が西軍1万5000の大軍をこの地に引きとどめました。

西軍の将は毛利元康を大将に勇将立花宗茂など九州の大名軍でした。

1万5000の将兵もさることながら、毛利元康や立花宗茂が関が原に入っていれば、違う結果になったかもしれません。

京極高次は一週間程度の攻防ののち降伏し、高野山に入ります。

あまり取り上げられることが少ないのですが、歴史に影響を与えた合戦があった場所です

【大津城址】

琵琶湖は湖岸が埋め立てられています。城が活躍した戦国時代の大津はかなり狭い平野部にあったようです。

○本丸跡にある石碑

Cimg3420_2

黄色い線の内側が城域です。本丸が湖岸に突き出た水城で水利を意識した築城であったことがわかります。

Photo

但し、遺跡はほどんど残っていません。わずかに石垣の一部が残るのみです。

地図の攻城軍陣地からは城内が見下ろせたはずです。

琵琶湖は周囲の水が流れ込む場所で、大津城も湖岸にあるだけに周囲からすれば一番の低地にある。

陣地は現在、長等公園になっていますが城がいかに低地かわかります。

○攻城軍が陣をおいた長等公園から城跡を眺める 真ん中の高層マンションのあたりが本丸

Cimg0700_2

よく一週間も戦ったと感心します。

わずかに残る石垣。外堀の石垣のようです。丸屋町商店街の大津祭曳山資料館横に残ります。

Cimg3411

戦闘の前に街を焼き、戦いに備えたようです。

城内の建物は廃城後、近くの膳所城や彦根城に移されたようです。

現在の国宝彦根城天守閣は大津城天守を解体し、3層にして移築したものらしい。

大津市の学校ではせめて、このあたりの話は伝えてほしいものです。

はるみちゃんとランニングしながらでした。

木村嘉伸

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