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滋賀県の史跡 姉川古戦場

実に20年ぶりです。この間に「姉川の合戦」の歴史的評価は大きく変わりました。

【姉川の戦いは小競り合いだった】

織田信長が決定的勝利をえた大戦とされていましたが、どうも小競り合いだったのではされるようになってきました。

浅井歴史民俗資料館に立ち寄って、解説員の方に伺ったところ2点の指摘をしておられました。

①同時期の良質の資料に「姉川の合戦」は見当たらない。
②3ヵ月後に志賀の陣で浅井・朝倉軍は兵を動かしている事実

大損害を受けていてと到底展開は不可能です。

浅井軍は守りの堅い小谷城を出て、大軍の敵に突っかかる必要性もありません。

○年譜をみておきます。

1568年  9月  信長が上洛を開始

1570年  4月  信長が越前侵攻と撤退。(金ヶ崎の退き口)。

      6月  姉川の戦い

この3ヵ月後、浅井長政は長躯大軍を現在の大津に送ります。大敗していたら無理だと思います。

      9月  志賀の陣

1571年  9月  比叡山焼き討ち。織田信長の復讐戦

1572年  9月  武田信玄が甲斐を進発する。

      12月 三方ヶ原の戦い

1573年  7月  信長は3万の軍を率い再び北近江に攻め寄せる。

          一乗谷城の戦い

      9月  小谷城落城

お市の方の輿入れによって成立した織田・浅井の同盟関係はわずか10年で終了する。

●姉川の戦い

グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)から作製

Photo_18

横山城は小谷城の付け城で、織田軍はこの城を包囲し、浅井本軍をおびき出す作戦だったようです。

浅井軍は注文通り小谷城を出て、展開します。

mapの姉川古戦場(野村)は浅井軍の先鋒が展開した場所です。

現在の野村橋付近を渡り、織田軍に肉薄しました。

また姉川古戦場(血原)は朝倉軍の先鋒展開地域です。

浅井三代記では、危機に直面した徳川軍は榊原康政を西側から迂回させ朝倉軍の脇腹をつかせることになっています。

信長は決定的勝利を得ないうちに、京都に戻り戦勝報告をしています。

また、横山城は姉川合戦ののち降服し、城主の野村直隆は小谷城に戻っています。

織田軍も周辺事情から、この地に長くとどまることができなかったのだと思います。

信長が周辺の包囲網でもっとも苦労をした時期でした。

●姉川古戦場(野村)より横山城を望む

Photo_19

●古戦場跡 看板

Photo_20

●姉川戦死者の碑 浅井家の重臣であった新庄家の後裔当主銘

Photo_21

●解説版 大河ドラマのおかげです。

Photo_22

●合戦布陣図

Photo_23

今回は野村橋周辺のみを訪問しました。また別の機会に。

木村嘉伸

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