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群馬県太田市の史跡 生品神社 新田義貞挙兵の地

新田義貞は記録では旧暦5月8日に挙兵し、わずか2週間後に鎌倉を抜きます。

群馬県太田市からまっすぐ太平洋に向かって南下すると、陸地の最後にあたるのが鎌倉です。

生品神社は村社といってもよいほどの規模で、創建は平安時代以前のようです。

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新田義貞や弟の脇屋義助の居城は南部地域にあります。

「太平記」では、「義貞は一族共々五月八日朝生品明神前で旗上げし後醍醐天皇からの綸旨を披いて拝礼三度の後笠懸野へ打って出た」となっています。

私は仕事で現在の笠懸にうかがいますが、生品神社の北部にあたります。位置関係からすると南側でないとおかしいと思います。

一説らによると当時の笠懸野は現在のそれよりも広大な地域と考えられています。

この地を出発した時は義貞の一族郎党150名。途中、足利尊氏の長子千寿丸(のちの義詮)が合流したことで、万余の大軍となりました。

当時の源氏の本流は足利家でした。幕府内の位置づけも大きな違いがあります。

足利尊氏は北条氏より妻を向かえ、縁戚となっていました。

新田家は義貞の時代には所領を売りさばくほど没落しています。

挙兵の背景は、こうした環境にあったと思います。

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この地から歴史が変わったのです。

木村嘉伸

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