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大津の史跡 近江宮 大津京

私の最寄り駅は「大津京」。

●周辺の文化財MAP

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天智天皇が定めた都のあった場所です。
都には縁があって、難波宮の近所に住まいしたことがあるし、結婚した新居は長岡京の境域だったし、子供たちが生まれたのは平安京の右京にあたる場所でした。

大津京という言い方は適切ではなく、日本書紀では“近江宮”と表現されています。

この違いは条坊制をともなった街が存在したか否かです。

近江宮は、政庁の府ではあったが町づくりまではなされていなかったと考えられます。

宮が出来る以前から渡来系の人々が定住した場所でした。
京都もそうでした。


天智天皇がまだ中大兄皇子の時代、時代の中心は明日香にありました。

天智天皇は英雄です。

建国以来の大族、蘇我氏を滅ぼし、新興官僚を登用して、政治の枠組みを変えました。

活力溢れる若い政治家達は、国際社会にも乗り出します。

朝鮮半島に影響を及ぼそうとしたわけです。
白村江の戦いに敗戦した時の政府は、明日香からより朝鮮半島に近い、近江に都を移し、戦う意志を鮮明にします。
国家の危機だったのでしょうが、日本史上こんなに勇気を示した政策はありません。

この辺りの機敏は想像するしかありませんが、周囲からは不評だったはずです。
だから天智天皇が亡くなった後、既存勢力と結んだ天武天皇が勝利を収めます。
667年近江に都を移した天智天皇は崩御され、大友皇子があとを継ぎますが壬申の乱が起こりわずか5年で近江朝は滅亡します。


さて近江宮跡

現在湖畔から山麓までは1km弱の幅がありますが、埋め立てが進んでいますから、当時は半分程度だったようです。

そうすると、とても沢山の人が住める範囲ではありません。

宮跡は長く発見されませんでした。

古い住宅街ですから今後も発掘が進むことはないでしょう。
ジョギングルート上にあるので、写真とってきました。

●第一地点

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●第八地点

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●第四地点

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●第二地点

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●第九地点

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●第三地点

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ゆっくり回っても1時間ほどです。
街は穏やかで滅んだ政権を感じるには十分な味わいがあります。

さて、帰宅してこれから家族で出かけます。

●近江大津宮遺跡

所在地 滋賀県大津市錦織

アクセス JR大津京駅より5分

木村嘉伸

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