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2011年2月

テレビつけたら 「紳助 徳光の一枚の写真」

戻って片付けしながらだったので、全部は見なかったのですが、泣けるお話をしていました。

他で聞いたものもありましたが、野球部マネジャーの女の子のドキュメントは泣けましたね。

・私のからだ頑張れ「17歳あっこ チームに捧げた最後の夏」

他でも取り上げられていたようですが私は始めて。末期ガンにおかされた高校生の実話です。

文章にすると私の感激がチープになってしまうので。いゃぁ~泣けました。

木村嘉伸

横浜市都筑区の名所 梅の東方天満宮

IKEAの北側の道を西に入っていくと東方天満宮があります。

風は強いが青天で気温も高かったですね。

以前から梅の時期に行きたいと思っていたのと、新横浜で所用があったのでちょうどよい。

●鳥居

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●案内版110227_122914

鳥居から参道は小ぶりですが、階段を上った境内はなかなか広い。

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梅があざやかでした。

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こういう身近な季節感がうれしい歳になってきたようです。 戻って一仕事します。

■東方天満宮

所在地 横浜市都筑区東方町1275

木村嘉伸

ドラマスペシャル「遺恨あり~明治十三年最後の仇討」

吉村昭さんの小説を昔読みました。

その時の印象で、2時間ドラマにするのは難しいのではとおもっていましたがなんとかなっていましたね。

現代風な人間描写になっていたので、感情移入しにくい点はありましたが合格ラインは超えていたように思います。

今と違って大きな犯罪が多くありませんし話題になることも少ない時代ですからセンセーショナルな出来事ではあったはずです。

時代背景をもう少しストイックに描けたらよかったのですが。

キャスティングはよかった。北大路欣也さんの山岡鉄舟は立ち回りを含めて抜群でしたね。

脇をぐっとしめていました。明治後の山岡鉄舟には剛直な逸話が多く、本来はこちらの方がドラマになると思うのですが、今はうけないかな~

今日はしゃべりすぎたのか?アレルギーなのか?

のどがやられちゃいました。

明日は東京マラソン用にあけていたので、フリーの一日。

パートナーの一人が初エントリーで抽選にあたったんだって。うらやましい~

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 新田館跡 総持寺境内

新田氏初代義重によって築かれた館跡です。残念ながら、確認できる遺構はありません。

現在は総持寺がたっています。新田義貞が挙兵した時点はこの館にいたと考えられています。

●新田館跡の碑

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●総持寺の正面より

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●案内板 Cimg3047

●鐘楼の解説Cimg3046

●鐘楼Cimg3048

西側(搦め手)に川が流れていて、自然の要害としていたのでしょう。当時の館の規模を感じさせるものはありませんが、江田館を見た後なのでなんとなくイメージはできました。

太平記を片手に境内で読みながらなんていうのがいいかもしれません。今度そうしてみよう。

同じような規模だとすると、周辺の住宅の下に遺跡が眠っているのでしょう。発掘調査は難しいでしょうね。

■新田館跡

所在地 群馬県太田市世良田町850

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 徳川氏発祥の地 長楽寺・東照宮境内

東武伊勢崎線世良田駅から車で3分程度の場所に歴史公園が整備されています。長楽寺と世良田東照宮を中心に新田荘歴史資料館があります。空気がよいですね。

この地は徳川氏の発祥の地となっています。

徳川氏が新田源氏と自称し出したのは家康の時代です。新田源氏の初代義重の四男義季から始まる得川氏(もしくは世良田氏)の子孫と称しました。それまでは藤原氏を称していました。現在では可能性はあるものの、文献上確認できるものではありません。

●長楽寺

東日本最初の禅寺で仏教史上有名だそうです。得川義季を開基として創建されています。義季の墓もあり。

 案内板

Cimg3032  勅使門 県重要文化財

Cimg3029  太鼓門 県重要文化財

Cimg3031_2  宝蔵 風情がばっぐんでした

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 徳川義季累代の墓 お墓そのものを撮影する習慣がないので。

             ちなみに前方後円墳の後円部にきずかれています。

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●世良田東照宮

家康が亡くなり日光東照宮に葬られたのですが、その20年あまり後、東照宮の改築にあたり、旧社殿をこの地に移設しました。

 唐門 Cimg3037

 案内板

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 拝殿

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 拝殿を南側から眺める

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江戸時代は手厚くされていたはずです。将軍家の先祖の地ですからね。

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 江田館跡

反町館跡から車で5分程度です。反町館跡よりも保存状態がよい遺跡です。

とはいえ、歴史公園化していない自然な感じあって、この遺跡は好きですね。

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●案内板

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この館は新田一族の江田行義の屋敷跡だといわれているようです。

その根拠はどんな文献なのか?また調べてみます。

江田行義は太平記にも登場し鎌倉の極楽寺坂口を抜いた大将です。

その後、敵対した足利の世の中になり追討を恐れ、「守下」と改姓し九代にわたって逼塞します。

江田氏はその後歴史から消えてしまいます。新田宗家は義貞の後数代で滅び、義貞と行動をともにしたいくつかの分家も歴史の主流からはずれます。

新田本宗家が衰退した後、新田氏惣領職を獲得したのは岩松家です。

江戸時代はわずか120石の交代年寄として存続します。

もう一度世に出るのは明治になってからです。岩松家が過ぎし時代の勤皇の功績を認められて男爵に叙任されます。

話しがそれた。

●城におきかえれば大手門にあたり場所

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中世の館跡が明確に残るものは少なく、希少な遺跡です。

●土塁と堀

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●大手門付近から南西側の堀を眺める

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●南側の土類上から館跡を眺める Cimg3055

復元した建物などなく、手をいれずに残っているのがよいですね。観光だと味気ないかもしれませんが、中世の空気を感じるには抜群の遺跡です。

発掘調査はどの程度なされているのでしょうか?文献の少ない時代だけに土に聞かないといけないのですが。

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 反町館跡 新田義貞居住伝説地

●案内板の航空写真

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生品神社から車で5分程度南下すると、反町薬師があります。中世の城郭 反町館跡です。 建物は残っていませんが、主郭が残っています。全国レベルでも珍しい。

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反町館は新田義貞が居住したと考えられています。

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屋敷から城に移行する最後の時期です。 上空写真からも見て取れるように、館の縄張りがみてとれます。

●東側の堀跡

当時よりは拡張されているようです。 Cimg3060

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●西側の堀跡

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●南側の土塁と堀跡

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● 南西の入り口 右の石柱には 「新田義貞公古城跡」とCimg3065

現在残っている縄張りは住居跡ではないかと思います。戦国に移行する内に城の規模は拡大します。今回はゆっくり探して歩けませんでしたが、探せば外郭の一部が発見できそうです。

■反町館跡

所在地 群馬県太田市新田反町町要害896

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 生品神社 新田義貞挙兵の地

新田義貞は記録では旧暦5月8日に挙兵し、わずか2週間後に鎌倉を抜きます。

群馬県太田市からまっすぐ太平洋に向かって南下すると、陸地の最後にあたるのが鎌倉です。

生品神社は村社といってもよいほどの規模で、創建は平安時代以前のようです。

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新田義貞や弟の脇屋義助の居城は南部地域にあります。

「太平記」では、「義貞は一族共々五月八日朝生品明神前で旗上げし後醍醐天皇からの綸旨を披いて拝礼三度の後笠懸野へ打って出た」となっています。

私は仕事で現在の笠懸にうかがいますが、生品神社の北部にあたります。位置関係からすると南側でないとおかしいと思います。

一説らによると当時の笠懸野は現在のそれよりも広大な地域と考えられています。

この地を出発した時は義貞の一族郎党150名。途中、足利尊氏の長子千寿丸(のちの義詮)が合流したことで、万余の大軍となりました。

当時の源氏の本流は足利家でした。幕府内の位置づけも大きな違いがあります。

足利尊氏は北条氏より妻を向かえ、縁戚となっていました。

新田家は義貞の時代には所領を売りさばくほど没落しています。

挙兵の背景は、こうした環境にあったと思います。

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この地から歴史が変わったのです。

木村嘉伸

群馬県太田市の史跡 新田荘遺跡

昨日24日から群馬県にきています。

今日は時間をぬって、新田荘遺跡にいってました。

この遺跡は中世荘園の痕跡を残す遺跡で、そのうち11箇所が史跡指定を受けています。

現在の地名では群馬県太田市です。太田市は群馬県の南東端にあり、栃木県足利市と渡良瀬川をはさんで接しています。

太田市は富士重工の企業城下町ですが、高い建物がありませんし農地も多いので坂東平野の広大さと中世の生活感を味わうとができます。

この遺跡はそれだけに価値があります。また文献ものこっており東日本屈指の荘園遺跡です。

この遺跡はもっと大事にしないといけないし、広報もしないとね。隣町の足利とともに是非一度は足を運んでほしいものです。

名前のとおり、新田義貞を生んだ地です。

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また、遺跡の南部には「徳川家発祥の地」もあります。

私は中世荘園に暗いので、この機会に勉強しようと思います。

荘園はわかりやすくいえば私有地です。

新田荘は八幡太郎源義家の四男義国がこの地に定着したことから始まります。

義国は跳ね返り者だったようでなんども朝廷に逆らい、源家の中心からはずれ土着し土地開拓者となります。

彼と息子の義重は開拓した地を寄進し荘園が成立します。京都では平清盛の時代になっていました。

その後は穏やかな一地方都市として発展していきます。

変化が訪れたのは1333年の新田義貞の挙兵です。

建武の新政は紆余曲折がありましたが、代々新田の血族が支配をし戦国に入ります。

荘園の時代を終わらせたのは豊臣秀吉です。太閤検地は土地支配を明快なものにしました。ひとつの土地には一人の支配者とし、私有を許さない政体に移行したのです。

能書きが長くなりました。太平記の里です。今の地名も太平記に登場するものばかりです。

スタートは「世良田駅」からです。

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木村嘉伸

シーフォレストのお誕生日 11歳になりました

つじぴーのアイデアで今年は社内で鍋にしました。

食材を買いすぎて、明日の昼もまかない鍋になりそうです。

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ちゃんこにしました。鍋は二つに区切りがあって、魚と鶏を楽しみました。

誕生日ケーキです。さくさくのチョイスですが、悪くない。

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11年間、いろいろありましたが、なんとかかんとかご飯が食べられていることに感謝。 来年は干支が一回りしますので、関係各位にもなんかしないとな。 木村嘉伸

若泉敬 総理の密使

この方を全く存じ上げませんでした。

昨年NHKでも取り上げていたようです。

ウィキペディア程度じゃなく調べてみたくなりました。
国会図書館かな?

木村嘉伸

ブータン王国 ケサン・チョゼン・ワンチュク王女

朝、出掛け先でテレビをみていたら、ブータンの王女が出演なさっていました。

ブータンは「国民総幸福」を理念として(日本は国民総生産)数代の国王のもとで進化しています。

行ったことはありませんが、日本との交流も活発でよい印象を持っています。

ブータンは中国とインドとの関係が深く、第一公用語は英語です。

日本からは農業支援などで目立った成果を残しているはずです。

王女は29歳で、お子さんいらっしゃるようですが、美貌もさることながらクレバーな印象で、豊かさを感じさせました。

よい人生を送られているようです。国民総幸福の国の王女らしい印象を感じさせました。

もっとも、音声が出ていないテレビだったので、話の内容はきいていませんが。

経済発展は不可欠ですが、“何が幸福なのか”は国家規模で考えるべき点。

「最小不幸社会」なんていうネガティブなアプローチはダメだよね。メッセージが弱すぎる。

小泉政権時代の郵政選挙の時に、岡田代表率いる民主党は「日本をあきらめない」というメッセージで大敗しました。同じ轍を踏んでいます。

人の心を刺激できないリーダーではダメですね。

木村嘉伸

「小ネタ」の充実 今日のお店は 湘南の魚とワインの店 ヒラツカ

横浜でいっぱいやりました。

ご一緒したのはクライアントというか、パートナーというか
後輩でもあって、なんやかんやいっても長いお付き合いになっている方。
2年ほど前から、経営者です。

途中から会社のスタッフも合流して、にぎやかな集いになりました。

まだスタッフも若くて、息吹が感じられて苦しいけど夢のある時期ですね。

今日は、「小ネタ」で盛り上がりました。

関西で商売をしていると、お客様に喜んでいただくちょっとした工夫を沢山するものです。
これは我々は「小ネタ」と呼んでいます。

ダイナミックさはないけども、人の接点の味わいを大きくしていくのには必要です。
年賀状もそのひとつ。

バレンタインデーもそう。

私が常にかばんに入れている「一筆箋」などもそれに入ります。

商売はお金のやりとりもさることながら、心の中で遊ぶ気持ちも大事だと思っています。

人に喜んでもらうために、仕事をしているわけだから当然です。

儲け話ばかり、追いかけていてはなかなか儲からないものです。

とはいえ、最近新ネタが少ないことに帰路の車中で思い至りました。

なんぞ工夫せんとな。

●今日のお店  湘南の魚とワインの店 ヒラツカ

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所在地 〒221-0835 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町2-17-1 相鉄岩崎学園ビルB1

アクセス JR横浜駅 徒歩3分

TEL 045-314-8357

営業時間 17:00~23:30

定休日 年中無休

http://www.hiratsuka-dynac.com/index.html

木村嘉伸

結婚記念日

2月15日は結婚記念日です。24回目。

離れているので何もしません。今年は年末にはるみちゃんと走れるように

がんばらないと。

木村嘉伸

積もりました雪


積もりました雪
寒い

木村嘉伸

調布の名所 深大寺

クライアントと一緒に深大寺に行きました。

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冬の月曜日なので、門前のお店も休みが多く、人も少なくゆったりできました。

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深大寺は天台宗別格本山です。東京では浅草寺に次ぐ古刹。
何度か火災にあっており今の建物の多くは大正時代のもの。

●山門

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●境内と本堂 Cimg2998

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門前をはじめ、武蔵野の風情を今に伝えるスポットです。7年ほど前にまーさんに連れて行っていただいて、好きになりました。

最後は4年前です。会社の子が入院して、近くの病院だったので帰りに寄った記憶があります。

3月3、4日にはだるま祭が行われます。これも盛大です。ほっこりするには抜群です。

深大寺そばはどの店でもおいしくいただけます。

●深大寺

所在地 調布市深大寺元町5-15-1

アクセス 調布、三鷹、吉祥寺からバスすべて終点

木村嘉伸

大津の史跡 坂本城と明智光秀の足跡

坂本RUNをしました。

坂本の歴史は古く、弥生時代から人が住んでいました。
現在かなりの数の古墳群が確認されており、一大勢力が存在していたことがわかります。

その後、比叡山延暦寺の門前町として栄えます。
1571年織田軍による比叡山焼き討ちが行われ、坂本の町は灰燼に帰しました。
焼き討ち後、この地を知行したのは織田信長の将、明智光秀です。
1571年から築城が始まります。天守閣を持つ豪壮な城であったようです。
1582年に本能寺の変がおこり、天王山で敗戦した明智光秀は坂本に撤退する途中、
山科で命を落とします。その後の戦いで坂本城は炎上します。
廃城は1586年。豊臣時代には軍事拠点としての意味が失われていき、再興した延暦寺の門前町として再整備されます。

さて、坂本城です。全貌がわかるほどの発掘調査は行われていないようですが、およその城域は確認されています。

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●湖岸の石柱

 公園として整備されています。

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●石垣の跡

  15年ほど前だったと思いますが、渇水で50mほど水が引いたことがあり、当時の石垣が顔を現したことがありました。あの写真はどこにいったのだろう。 110213_105938

●本丸の跡

石柱から30mほど北にある。 110213_110832

●城跡の碑

二の丸のあたりになるはず。110213_111052

●中堀跡

坂本城は三つの堀に囲まれた水城でした。この石柱がある場所は昔は堀でした。

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●聖衆来迎寺

坂本城跡よりR161を2kmほど進むと国道沿いにあります。表門は坂本城から移設たされたとのことですが、解体修理中でした。森蘭丸の父、森可成の墓所があったので信長の比叡山焼き討ちの難を逃れました。

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□森可成の墓所

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●西教寺

聖衆来迎寺より叡山に向かって、10分弱登っていくと西教寺につきます。

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□明智光秀の妻女の墓

朝倉家の時代に髪を売って光秀を助けた逸話で有名です。

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□明智一族の墓

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●坂本城跡

所在地 滋賀県大津市下坂本三丁目付近 

アクセス JR比叡山坂本駅下車徒歩20分

●聖衆来迎寺

所在地 滋賀県大津市比叡辻2-4-17

アクセス JR比叡山坂本駅下車徒歩15分

●西教寺

所在地 滋賀県大津市坂本5-13-1

アクセス JR比叡山坂本駅下車徒歩15分

ちなみに今日のコースをジョグノートにあげておきました。

http://www.jognote.com/jogmaps/513719

お休みも今日でおしまいです。

木村嘉伸

長浜 名物 焼鯖そうめん

小谷城から、長浜で食事をしに途中下車しました。

向かったのは親子丼で有名な、「鳥喜多」ですが、残念ながら準備中でした。

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ということで、次に向かったのが「翼果楼」です。

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長浜は昔から焼鯖が有名らしい。知らなかった。 このお店は「焼鯖そうめん」が有名で、テレビの取材もかなりあるようです。サインや写真がいっぱいでした。 頼んだのは「焼鯖そうめん」と「焼鯖すし」です。

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110212_145721 そうめんは、にしんそばに似た甘い味付けで、汁をぬいてそばをそうめんに変えた感じです。食べやすいし、味が深い。うまいと思いました。

はるみちゃんも連れてきてあげたらよかった。

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長浜もかなり久しぶりです。駅も変わっていますし、何よりも観光客が多くてびっくりしました。 110212_141330 盆梅や大河ドラマ「江」の影響もあるのでしょうが、冬の長浜にこんなに人がいるなんて。ほかの自治体もがんばらないといけませんね。

長浜は語るべきことが多いですが、それはまた後日。

木村嘉伸

滋賀県の史跡 小谷城跡 積雪が多く踏破できず

思い立って、朝一番に小谷城跡に向かいました。

今年の大河ドラマの主人公江が生まれた城で、戦国屈指の山城です。

唯、雪の用意をしておらず山頂まではいけませんでした。

実は、小谷城に“登る”のは初めてです。通りかかるのだが、時間に縁がなく

いつも素通りしていました。

せっかく大河ドラマで取り上げてくれたので、いってみようと思ったのですが

大失敗です。

河毛駅のポスターです。湖北では「江・浅井三姉妹 博覧会」が開催されています。

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河毛駅ロータリーの浅井長政・お市の像です。有名ですね。

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●JR河毛駅から歩いて25分ほどで山麓につきます。

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●看板は近づくとこんな感じです 110212_130243

●小谷城戦国歴史資料館

小谷城は二つの尾根とその間の谷で構成されています。谷の部分に平時の屋敷がありました。資料館はその谷にあります。長政も市もこの谷に生活をしていました。

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●小谷・江のふるさと館 110212_110109

小谷山は500m弱です。一気に上りきれば1時間足らずでしよう。

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雪の具合をお聞きすると、途中まではいけるとのことだったので、いけるとこまでとスタートしました。

●出丸跡

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●桜馬場跡 2010年9月にここで撮影が行われた。時任三郎さんと鈴木保奈美さんのシーンだったようです。110212_121115

●本丸跡と石垣

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●中丸跡

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このあたりで限界。というのは、目の前に鹿があらわれるわ、雪に足をとられるわであきらめました。桜の時期に再訪します。

●史跡 小谷城跡

アクセス JR河毛駅より徒歩25分で山麓の到着します。

      今年一年はコミュニティバスが一時間に二本程度運行しまいます。

木村嘉伸

大津の史跡 皇子山古墳

皇子山古墳は近江宮を見下ろす位置にあります。

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正面の丘陵が皇子山古墳。

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築造は4世紀後半です。被葬者はわかりません。

前方後方墳で皇子山の自然の丘陵を利用して、削りだして盛り土をしています。

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古墳の前面には拭き石がおかれいてます。 Pap_0017

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県内では最古級の古墳です。この地を見渡せる墳丘にたってみると有力者であったことは間違いないと思う。

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前方後方墳は関東・東海や中四国が中心です。近畿では珍しい。

この古墳が築造されたのは仁徳天皇の時代です。

仁、徳を伝えられる時代で比較的安定していたのでしょう。

仁徳天皇は大阪(難波高津宮)に都をします。

こんな頃に、文化的に異なる前方後方墳を作った要素は何だったのでしょう。

古墳の形態だけで政治的背景を考えるのは間違いだと思いますが、興味深い。

古墳時代前期にあたるこの古墳は、約300年後壬申の乱の戦火を眺めることになります。

木村嘉伸

家族で誕生日会

健太郎が予約してくれました。今日で私は49歳です。早いものです。

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私が東京にいるので、家族で食事に出かけるのは久しぶりです。

●トラットリア&ピッツェリア amore 木屋町

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家族です。

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お誕生日ケーキです。

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四条木屋町をずっと下がったところでした。面白いものが多かったね。 帰りは京都駅まで四人でぶらぶら帰りました。

今回の帰省はこのためでした。パスタがおいしかった!!

●トラットリア&ピッツェリア amore 木屋町

所在地 京都府下京区和泉屋町161

アクセス 京都四条駅徒歩10分

TEL 075-708-7791

営業時間 11:30 - 22:30(22:00L.O.)

木村嘉伸 

大津の史跡 近江宮 大津京

私の最寄り駅は「大津京」。

●周辺の文化財MAP

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天智天皇が定めた都のあった場所です。
都には縁があって、難波宮の近所に住まいしたことがあるし、結婚した新居は長岡京の境域だったし、子供たちが生まれたのは平安京の右京にあたる場所でした。

大津京という言い方は適切ではなく、日本書紀では“近江宮”と表現されています。

この違いは条坊制をともなった街が存在したか否かです。

近江宮は、政庁の府ではあったが町づくりまではなされていなかったと考えられます。

宮が出来る以前から渡来系の人々が定住した場所でした。
京都もそうでした。


天智天皇がまだ中大兄皇子の時代、時代の中心は明日香にありました。

天智天皇は英雄です。

建国以来の大族、蘇我氏を滅ぼし、新興官僚を登用して、政治の枠組みを変えました。

活力溢れる若い政治家達は、国際社会にも乗り出します。

朝鮮半島に影響を及ぼそうとしたわけです。
白村江の戦いに敗戦した時の政府は、明日香からより朝鮮半島に近い、近江に都を移し、戦う意志を鮮明にします。
国家の危機だったのでしょうが、日本史上こんなに勇気を示した政策はありません。

この辺りの機敏は想像するしかありませんが、周囲からは不評だったはずです。
だから天智天皇が亡くなった後、既存勢力と結んだ天武天皇が勝利を収めます。
667年近江に都を移した天智天皇は崩御され、大友皇子があとを継ぎますが壬申の乱が起こりわずか5年で近江朝は滅亡します。


さて近江宮跡

現在湖畔から山麓までは1km弱の幅がありますが、埋め立てが進んでいますから、当時は半分程度だったようです。

そうすると、とても沢山の人が住める範囲ではありません。

宮跡は長く発見されませんでした。

古い住宅街ですから今後も発掘が進むことはないでしょう。
ジョギングルート上にあるので、写真とってきました。

●第一地点

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●第八地点

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●第四地点

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●第二地点

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●第九地点

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●第三地点

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ゆっくり回っても1時間ほどです。
街は穏やかで滅んだ政権を感じるには十分な味わいがあります。

さて、帰宅してこれから家族で出かけます。

●近江大津宮遺跡

所在地 滋賀県大津市錦織

アクセス JR大津京駅より5分

木村嘉伸

薬過剰投与で死亡、薬剤師に異例の賠償責任

本日の朝刊です。訴訟社会になってきましたから、こうした判決が出てくるのもあたり前ですが、いよいよ来たなという感じがしました。

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この件は、研修医が普段は投与しない薬を投与し、それも用法用量を読み誤り薬剤師に指示したことで起こりました。判決では薬剤師にも疑義紹介の義務があったと判断の理由がついていました。

たぶんこれから、いろんな議論が出てくるのでしょうが、この可否を述べてもしかたありません。

プロだからな。

軽い気持ち(たとえば、手に職を など)で薬剤師になる人もいるけど、いつまでもそれではすまなくなる。

薬学部でも「心」を鍛える学習をさせてほしいものです。 大津は、朝から雪です。寒いより“冷たい”という感触です。 木村嘉伸

府中の史跡 分倍河原古戦場

寒かったですね、今日は。仕事の間に分倍河原で乗り換えたので、思いついて古戦場を見に行きました。

「分倍河原」では歴史上、二つの重要な戦いがありました。

鎌倉幕府の滅亡に繋がった1333年の合戦。

室町幕府の衰退を決定づけた1455年の戦いです。

後者はあまり興味がないので、有名な新田義貞の戦いをみていきます。

分倍河原の駅前ロータリーには新田義貞の像があります。この像は鎌倉に向いています。

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義貞が新田荘の生品神社で挙兵し鎌倉に進軍を開始したのは旧暦5月8日。

鎌倉街道をひたすら南下し、小手指、久米川で鎌倉軍を撃破し、武蔵野国に入ります。 この地に到着したのは5月13日のようです。

今なら、車で3時間ぐらいでしょうか?

太平記は誇張された数字か好きなので軍の実数きわかりません。軍記では新田軍20万となっていますが、現在の人口などを考えてもこんな数字はありえない。0がひとつ多いぐらいじゃないかな。

5月16日、この合戦に勝利した新田軍は鎌倉に向かいます。有名な稲村ガ崎の迂回攻撃で、新田軍は鎌倉に侵入し、勝利を収めます。

5月22日だったといわれています。

新田義貞が本拠地の群馬県太田市(現在)をスタートし、倒幕に成功したのはわずか二週間後。 さて、分倍河原の古戦場は石碑と案内板のみです。

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以前から不思議だったのは、「河原」がないことです。多摩川が当時は北を流れていたのかもしれません。

現在は新田川という小川があるだけです。大軍展開するには、十分な平野ですが、平押しするしかない地形です。

ここで時代が変わったのですが、石碑ひとつとは愛想がないものです。

もっとも、古戦場を調べるのは限界があるものですから、仕方がありません。 さて、これから横浜です。今夜は大津に戻ります。

●分倍河原古戦場の碑

所在地 東京都府中市分梅町2丁目36付近

アクセス 分倍河原駅より徒歩8分

木村嘉伸

ぼけない五か条

クライアントの薬局にあった張り紙です。めっちゃ懐かしい。どなたがおっしゃったは知らないのですが、昔からよくきいていました。

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「ぼけない」にフォーカスしていますが、ここには人生の喜びの多くが含まれていると思います。

人との縁

感謝の気持ち

感受性の受け取りと発信

プラスアルファの刺激作り

いろんな要素が入っています。 今日、お会いしたお若い方は、枠組みを決めてしまって残念な時間を送っておられました。 この五か条はそのようにならない為の指針がふんだんに含まれています。 気付きは大事だよね。 久しぶりに目にして、思いをつよめました。 人は一人では生きていけないからね。 木村嘉伸

ガイヤの夜明け【シリーズニッポンの食卓?一日の計は朝食にあり】

今日のガイヤの夜明けは、朝食の重要性を取り上げていました。

医学的にも、朝食は必要です。太った方、今時の言葉ではメタボの方は朝食をとらないケースが多いと聞いた記憶がある。

当然です。夜寝ている間にできる脂肪を朝食をとることで燃やして、午前中のエネルギーにするわけですから、燃焼しなければ体にたまります。

太る確率高くなります。

現代人は起きている時間が長くなりましたから、三食は必要だと思います。

体のリズムとしてもね。

朝食は体と、よい朝の使い方という習慣、一日のリズム、いろんな意味で重要です。

私が知っている薬剤師のベテラン陣に聞くと、

「夜は酒のつまみ程度。昼、夜はしっかり食べないと」といわれます。

番組は「朝食ビジネス」を取り上げていましたが、それはどうでもよくて、ちゃんと家庭(一人暮らしなら自分で)で用意してゆったりした朝の時間を作らないとね。

絶対必要です。

こういう、生活のしつけに繋がるビジネスはなかなかよいと思います。

シーフォレストもなんか考えよ~

木村嘉伸

「簡単に会社を辞めないこと」 大事なんだよ、これが!

私が社会に出たのは1985年。入社したのはリクルート。「とらばーゆ」が創刊した年で、男性の就職情報誌「就職情報」は市民権を得つつありました。

その後26年、たった26年で転職はネガティブなものではなくなりました。

この是非はいろいろあるでしょう。人材の流動化が世界的に必要ではあったし、組織にとっても終身雇用のタガが外れて“楽”になりました。

一方、働く側もチャンスが増えたのかもしれません。

私は、リクルートからリクルートフロムエーを経て、現在のシーフォレストを立ち上げました。

はじめに勤めた会社は辞めましたが、転職はしていません。

今更ですが転職はしないほうがよいと思っています。経営者になったからかもしれませんし、年をとったからかもしれませんが、最近の思いです。

人材の流動化は、「一仕事を終えて、ステップアップ」をするならよいと思いますが、そのケースは少ないはずです。問題がなければ退職はしないはずです。

本当に力がある一仕事終えた組は起業するかもしれませんね。

私は採用の仕事もしていますから、最近の人事マンとの会話を思い起こしながら以下のべます。

大学全入時代です。中下位校の学生は高校までに戦い方が不足していたはず。例外もあるでしょうが。

そして、大学では我々高度成長期の時代と同じように、いやいやそれ以上に遊んでいる。社会への適合性が低いまま、世の中に出てきて、ギャップがどうのこうのと言う。結果退職。

この方々に、本当のチャンスがやってくるように思えません。

先人である我々は応援する気持ちになれないし。

また、どこに勤めるかも大事だけど、「縁のあった組織で何をなすか」の方がもっと大事なのです。

シーフォレストをはじめてから、気がついたのは、中小企業のたたき上げの力です。ちゃんとやっている人は凄い。

規模の大小でないことははっきりわかりました。

常に、何をなすか!

どんなやり方なら面白いか?

どんな理解をしていけば、モチベーションがあがるか?

全部自分の問題だからな。簡単にやめてはいけません。

木村嘉伸

自慢話の効用

研修講師をはじめて、10年近くになります。

勉強はしましたが、一番効き目があったのは「自慢話」でした。

高校ぐらいから、自分の人生を振り返って自慢話をしてみると、沢山思うことがでてきました。

今の自分。自慢の人生の結果、今の自分なんだったら、なんかおかしいわけです。

もっと有名になっているはずだしね。

人生の良し悪しではなく、ちゃんと自分の人生を振り返っていないことに気付くわけです。

気付くと楽なんですよね。

それからは、「気付き」をテーマにして、いろんなプログラムを考えるようになりました。

今日は社内で昨年実施した研修を振り返っていました。

参加者を想いうかべて、変化があるやなしやを考えていました。

上司から「変わった」といわれた方もいるし、そうでない方もいます。

至福のときです。

木村嘉伸

都筑区の文化財 関家住宅(重要文化財)

昨日に続いて、昼過ぎに仕事を終えて帰宅。 IKEAに会社でのものを買いにいきます。

当然、ランニングです。 ちょうど片道10kmのコースです。帰りは荷物があればバス。

何もなければ、ランニングです。今日は、帰りはセンター北からバスに乗りました。

何度か前を通りましたが、いつも素通りするのが、この重要文化財。

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残念ながら、非公開です。なぜなら代々世襲で、当代がお住まいだからです。これがすごいです。

また、住居だけではなく土地も重要文化財に指定されています。これも珍しい。

17世紀前半の建物です。これも現在確認できる関東最古の住宅なんだそうです。江戸幕府が成立した時期に建ち、土地の変遷を見つづけてきたんですね。

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関家は世襲名主ですから、ずっとこの土地を守ってきたようです。江戸後期には名主と代官を兼務していたようです。年に一度程度はご好意で一般公開があると聞きましたが、タイミングはないだろうなぁ私。

ちなみに写真は歩道から。考えたら、へんですよね。お住まいの方には勝手に、写真とってwebにあげるんですからね。

このところ詰めて走っているので、だいぶ戻ってきました。週4日はなんとかしないと維持できないですね。

テレビ東京 「サハラに舞う羽根」やってましたね

この作品、おしいんですよね。

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渋谷にきてから、見た作品です。どこで見たか忘れました。

仕事しながらチラ見してました。やっぱりおしい。

●1800年代後半の英国が題材です。英国軍はアフリカのスーダンに侵攻します。

その渦中の人間ドラマです。

原作は古典の名作らしい。時代背景や、ストーリーの骨子はいいのですが、脚本がいまいちかな。

登場人物の背景の描き方が薄いから、人間ドラマなのに人物に入っていけない。

主演のヒース・レンジャーはかっこよくて苦悩する主人公を演じているのですが、

なぜ軍を除隊するのか?とか

スーダンに単身行ってどうしようとするのか?

などの根本的な論拠が伝わらないから、苦悩が迫ってこない展開になって

しまいました。その割りに、砂漠での格闘シーンに時間をかけたりするからよけいに伝わってこなくなりました。映画は難しいですね。

戦闘シーンは重厚なんですけどね。

また若き日のケート・ハドソンがヒロインですが、物凄く考えの薄い女性になって

しまいました。やむにやまれぬ気持ちが出たらよかつたのにね。これももったいない。

それだけ。

木村嘉伸

大相撲 八百長問題で春場所を中止するんだって

星の貸し借りを八百長と騒いでいます。私は相撲好きです。

だけど、星の貸し借りも相撲だと思っています。もちろん、なくてよいことだとは思います。

違和感があるのは、「以前から、こういうことはあるだろうなぁ~」と思っていたはずの周辺関係者が、この時とばかりに騒ぐこと。

マスコミもそうだし、そこでコメントをいっている“専門家”もいい加減なものだと思います。

斎藤祐樹くんじゃないけど騒ぎすぎです。

プロレスは八百長とは言われませよね。同じ興行です。

国技だからというなら、国ですべて囲い込んで国家公務員にすればよいと思います。

今回は早い決定で、春場所を中止する旨の記事を見ました。暗澹たる気持ちです。

角界の浄化を待って!なんていってたら場所なんか開けなくなってしまう。

木村嘉伸

県立東高根森林公園 東高根遺跡

仕事を終えて大急ぎで帰宅して、RUNしました。夕方に所用があるので一気に走りました。

とはノープランだったので、信号に引っかからないで進んでいくと、いつの間にか

東高根森林公園に向かっていました。

川崎市唯一の森林公園です。多摩丘陵の南東のはずれです。

この森林公園は50mあまりの丘陵のトップに、弥生・古墳時代の居住遺跡があります。

東高根遺跡といいます。約60軒分の竪穴式住居跡や、食糧貯蔵穴跡、貝塚などが発見されています。

また遺跡周辺にはシラカシ林(推定樹齢150〜200年)が自然林に近い形で残っており、学術的な価値が高いそうです。門外漢なので、このあたりは案内版の受け売りです。

縄文時代はこの地域まで、海がせまっていました。BC3000年ごろは神奈川県の半分ぐらいが海の中であったはずです。

この遺跡からも貝塚が発見されていますが、これは海が近かった証拠です。

神奈川県の貝塚は意外と内陸部から発見されています。貝塚を追っていくと、どのあたりが海岸線だったのかがわかります。

●これが公園の入り口です。イベントも沢山やっていますからご近所の方々は子供さんとよく来られるのではないかな。このあたりの管理事務所の苦労は大変ななんですよね。

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●遺跡です。住居跡ですが、保存を主体に考えているようです。もっとも竪穴式住居ですから、復元するのはコストとその後管理を考えると大変です。このままの方がよいと思いますね。

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ちなみにこのランニングコースは鷺沼から宮前平に降りて、宮崎台を駆け上がり、神木本町に一気に降りるというかなりハードなコースなので、たぶんもう行かないだろうな。あぁしんどかった!

●東高根森林公園

所在地 神奈川県川崎市宮前区神木本町

アクセス 溝の口駅からバスが一般的です。かなり本数はあります。

ランニング好きの研修トレーナー 木村嘉伸

神楽坂 椿々 にみんなでいきました

マーさんのお誘いで、何名かで神楽坂の「椿々」にいってきました。

●神楽坂 椿々所在地  東京都新宿区筑土八幡町5-12 サンプラザ神楽坂

アクセス 飯田橋駅C1出口より5分

かなりわかりにくい構えです。調べていかないととおりすぎそうです。

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向かって左からさくさく、つじぴー、まーさん、そして私 。

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メニューです。一色加わったものが多いですね。

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■チーズ豆腐 蜂蜜が絶品

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■江戸前シチュー 赤ワインと八丁味噌だって。濃厚です

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■ごぼうの唐揚げ

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■うまそうでしょう。カブのサラダでした。

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■焼プリン

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■神楽坂の町並み

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■毘沙門天 善国寺Cimg2990

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神楽坂は久しぶりでした。今日はそれだけ、なぜなら眠たいし 木村嘉伸

節分 渋谷宮益坂 御嶽神社

今日は節分です。節分の由来はよく知りませんが、季“節”を分ける日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日に執り行われます。 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられて、それを追い払うための悪霊ばらい行事だったようです。

ということで、会社でミーティングをしていたのですが中断して行ってきました。

場所は渋谷宮益坂の中ほどにある御嶽神社です。この神社は室町時代の創建です。今は味気なくもコンクリートの建物になっていますが、江戸時代の絵図にも残る由緒ある神社です。

当時は高い建物がなく、見晴らしは抜群だったでしょう。

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地元の方を中心に50名ほどが社殿内での儀式を見守っていました。

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鬼は外、福はふち でした。

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福豆を頂戴する列です。

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福豆 

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●宮益坂 御嶽神社

所在地 渋谷区渋谷1丁目12-16

  アクセス 渋谷駅下車すぐ 木村嘉伸

歴史ヒストリア 後醍醐天皇

鎌倉幕府は約150年続きました。制度疲労が起こるには十分な期間です。

天皇制は世界でもっとも長い歴史を持った“王朝”です。

また、これだけ長い時間のなかで、君臨したものの統治した期間が短いのも特徴です。

だから長く継続しているのかもしれません。

しかし、自由な時代です。こんなことを投稿すれば戦前なら不敬罪でつかまりますね。

ちなみに私は、継体天皇以降しか王朝の継続性を認めていません。

継体天皇は26代、当今は125代。この間で直接統治に乗り出し、時代の先頭に立とうとした天皇は多くはありません。というか、失敗した後鳥羽天皇(承久の乱)以外では後醍醐天皇だけではないかと思っています。

残念ながら、気分はあったが、戦略や思想がなかったので武家からの反感を招き、再び武家の世に戻ってしまいます。足利尊氏による室町幕府の登場です。

最近、こういう番組で新しい情報をえられることがほとんどありません。

多くの勉強をしているわけではない私ですらね。もう少し掘り起こしてほしいものです。

鎌倉の滅亡から、南北朝時代の愁眉は楠木正成です。

一地方武士が幕府の大軍を向こうにして、孤軍勝利を収めます。後醍醐天皇の時代が成立した要素は沢山ありますが、最大の功労者は大楠公、楠木正成です。

建武の新政は現状を理解しないままね政治になり失敗をします。

世慣れた楠木正成のような人を重く用いたなら、違った形になったのでしょう。

結局、時代を混乱させ、天皇の直接統治の時代の終わりを決定づけることになりました。

こうみると、太平記は時代の悲哀ですね。また読みたくなりました。

木村嘉伸

映画 「ディープエンド・オブ・オーシャン」 午後のロードショー

ぎっくり腰で寝てたら、表題の映画をやっていました。

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主演はミシェル・ファイファーで、1999年の作品です。

3歳の時に誘拐された息子が、9年後突然生還。息子を誘拐したのは母親(ミシェル・ファイファー)の同級生。一度壊れてしまった家族が一生懸命新しい関係構築をはかるストーリー。

誘拐した同級生は既に自殺をしており、事情を知らない“父親”と幸せに暮らしていました。

このお父さんはいい人なんですよ。

9年間は長いでよね。発見された息子も12歳ですから自我があります。

なかなか深い作品でした。ウーピー・ゴールドバーグが渋い役どころで出ています。

いい人ばかりの作品なので、誘拐という犯罪の重さに引きずられることはありません。

数年前に「チェンジリング」というアンジェリーナ・ジョリー主演の作品がありました。

こちらも幼児誘拐が下地になっています。

大きな違いは主人公の母親像。

ミシェル・ファイファーは受け止められるずに苦悩する母親、

アンジェリーナ・ジョリーは戦う母親。

この作品の最後はハッピーエンド(?)ですから、その分だけこちらの方が好きですね。

ミシェル・ファイファーは「アンカーウーマン」が印象に残っています。

セリーヌ・ディオンの『Because You Loved Me』がよかったしね。

だいぶ落ち着いたので、会社にいこう。

木村嘉伸

このブログのカテゴリーを変更しました

このブログは構想があってスタートしたわけではないので、コンテンツとしは散文的で絞れていません。

あまりに日記ぽいのも見にくいのでカテゴラズしました。

携帯でエントリーするのでカテゴリーを忘れがちでしたので。

だいぶ、変わっていますからゆっくり眺めてみてね。

お知らせでした。

木村嘉伸

マスコミの喧騒 斎藤佑樹の報道

鎌ケ谷から沖縄名護に舞台を移し、マスコミの斎藤佑樹 過熱報道は続いています。

スポーツ新聞の一面をバンバン飾っていますが、内容などあるはずもない。

朝ズバでどなたかが発言されてましたが(出勤用意でゆっくりみなかったが)
「騒ぎすぎ」ですと。その通りだと思うな~

球団幹部は大喜びだろうけど、適正というものがあるし、品格じゃないかと思います。

早稲田の最終戦にわざわざ行ってしまう私が言うのだから間違いない。

アフリカの暴動問題などをもっと取り上げるべきです。大変なことになっています。

歴史が変っていく瞬間のように思います。斉藤佑樹くんに罪はないし、球団も悪くはないけど周囲の節操がなさ過ぎます。

パリーグは予告先輩があったはずですが、その日は大変だろうね。

木村嘉伸

調布パルコで「オーケストラ!」を上映してました

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以前も投稿したと思いますが、この映画いいんですよ~ 残念ながらレイトショーのみの上演です。 20時からはちょっとね~ 残念 ミニシアターでは珍しいぐらいのロングランらしい。 木村嘉伸

調布の名所 布多天神社 近藤勇の孫の名前がのる記念碑

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京王調布駅の北側に参道(現在は商店街)があり200mほどで布多天神社があります。

延喜式に名を連ねる古社です。武蔵野の赴きを残していて、私は好きな神社の一つ。

現在の地は1477年に移ってきた場所です。多摩川の洪水被害によってとのこと。

1477年は応仁の乱が収束した年です。それだけでも古い。

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拝殿

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境内に日露戦争の記念碑があります。この碑の裏面には日露戦争に従事して戦病した近藤勇の孫である、勇の娘瓊子(たまこ)と勇五郎の一人息子・近藤久太郎の名があります。かなり風化しているので、発見は出来ませんでした。 110201_141807

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新選組局長 近藤勇は現在の調布市の生まれです。子孫もこの地に住んでいたんですね。この久太郎の戦死をもって近藤勇の直系の子孫は途絶えているようです。 ちなみに太閤の制札なども残っているようです。 110201_141149

朝から調布でお仕事です。昼すぎに終了。帰社ついでによって見ました。趣がありました。

●布多天神社

所在地  東京都調布市調布ヶ丘1-8-1

アクセス 京王調布駅北口を北向きに5分

木村嘉伸

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