無料ブログはココログ

« 阿波踊りに沸く徳島市内 | トップページ | 淡路ハイウェイオアシス »

徳島県の史跡 徳島城跡

江戸時代、徳島県は蜂須賀家が支配をしていました。家祖は豊臣秀吉の股肱の臣である蜂須賀小六正勝であとを継いだ家政が藩祖です。

私は、この藩にあまりよい印象を持っていません。創業の二代は歴史の波を泳ぎきって歴史上名を残しましたが、それ以後はネガティブな印象です。淡路の稲田家との暗闘や民を絞りに絞った政治、こんな印象です。徳島全県で25万石。土地の広さの割には米がとれません。江戸経済の中では不遇な地であったと思います。

あとは浄瑠璃。「ととさまの名は十郎兵衛、かかさまはお弓と申します」今の人は知らないかな~ 傾城阿波の鳴門という人形浄瑠璃の演目のひとつです。

それと、ニッチですが判官義経が屋島攻撃の為、嵐の夜半大坂を船で出発し、着いたのは徳島市の南側にある現小松島市。そこから長躯屋島に向かい、平家の本拠を一気に覆しました。

目覚めて、ぶらりと城跡を散歩。

Cimg1970

戦国時代の阿波は小豪族がせめぎあい、統一したのは長宗我部元親でした。しかし、すぐ豊臣秀吉に覆されます。四国攻めで功績のあった蜂須賀家に与えられ、初めて一国の安定支配に入ります。

その為、城は戦闘用ではなく、政庁・御殿のような立地で作りになっているようです。城山に本丸、二の丸を置いているものの麓に屋敷を展開しています。正面に眉山をすえて、水に囲まれた穏やかな城下町を形成していたのでしょう。

Cimg1966

城山には貝塚がありました。山肌は海岸に露出しているような波に洗われた壁面になっていました。縄文海進の頃は海に浮かぶ小島たったのでしょう。

Cimg1969

木村嘉伸

« 阿波踊りに沸く徳島市内 | トップページ | 淡路ハイウェイオアシス »

名所・旧跡・史跡」カテゴリの記事

城跡」カテゴリの記事

歴史が教えてくれる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1210945/36187217

この記事へのトラックバック一覧です: 徳島県の史跡 徳島城跡:

« 阿波踊りに沸く徳島市内 | トップページ | 淡路ハイウェイオアシス »